南條市の展覧会の案内への返事のはがきに関する奇妙な記録

窓際の木の椅子に置かれた小さな水彩画。川と低い山の上に薄い黄色の空が描かれている。霧島秀一撮影。

地方の絵の会では、展覧会を開く前に、仲間や知人へ案内のはがきを送る。来られない人は、はがきで断りの返事を書く。返事は、書いた人が投函してから数日で届く。書かれる前の返事が、先に届くことはない。

展覧会へは行けないという返事のはがきが、書かれる前に届いていた。北都県南條市で水彩画を描く久継直文さん(72歳)の家で、2025年2月に私が確かめたことである。久継さんは、市内の仲間と開く展覧会に向けて作品を選んでいた。私は以前にも作品を見せてもらっており、2月3日は展示の準備について話を聞きに行った。

はがきの差出人は、長年の友人の小室井芳江さん(71歳)だった。2人は若い頃に同じ絵の教室へ通っていた。芳江さんは今も自宅で絵を描いているが、今回の会期中には出掛けられないという。

「家でゆっくり見せてもらえて、うれしかったです。展覧会には伺えませんが、窓際で見た空の色が好きです」

久継さんは文を読み上げ、私へ渡した。黒いペンで横書きされ、「うれしかった」の「れ」は一度書き直されていた。紙の右下には茶色い輪染みがあり、下の縁で途切れていた。輪から細い筋が左へ伸びている。案内は1月末に送り、このはがきは3日の朝に郵便受けから出したという。

久継さんは前年の秋にも、芳江さんの家へ絵を持参していた。そのときのお礼を、展覧会の返事に添えてくれたのだろうと話した。私は取材の控えとして、はがきの両面を撮らせてもらい、撮った後は久継さんへ返した。

久継さんは、包みかけの絵をもう一度出した。川の向こうに低い山があり、上に広い空を描いた作品だった。今年に入って描いたもので、まだ芳江さんには見せていないという。来られないなら、こっちから持っていこうと思って、と久継さんは言い、その絵を会場へ運ぶ分とは別に包んだ。芳江さんへ電話をすると、6日の午後に会うことになった。私も同行してよいか尋ね、2人から了承を得た。

6日、久継さんが包みをほどく間、芳江さんは居間の卓にあった封筒と数枚のはがきをまとめて私の前へ寄せ、絵を置く場所を空けた。重なったはがきの一番上には、何も書かれていない白い面が見えていた。芳江さんが置いた湯飲みの底が、そのはがきの右下に少し掛かった。縁からこぼれた茶が底の周りへ広がった。

私は紙を持ち上げた。斜めにしたため、溜まっていた茶が左へ細く流れた。芳江さんが布巾を取りに立ったので、私は紙を平らに戻した。芳江さんは水気を押さえ、脇の棚へはがきを置いた。そのとき、まだ文字はなかった。

芳江さんは椅子に座り直し、絵を見た。空は白く残したのかと尋ねると、久継さんは薄く色を塗ってあると答えた。居間の奥では分かりにくかったので、2人で絵を窓際へ運んだ。芳江さんは絵へ顔を寄せ、黄色が入っている、と言った。私は2人に断り、窓際の椅子に立て掛けた絵を撮った。帰るときには、はがきは棚に立て掛けてあった。茶色い跡が残っているのは見えたが、私は近づいて形を確かめなかった。

2月10日、久継さんから、芳江さんのはがきがもう1枚届いたと電話があった。お礼の文章が同じだという。私はその日の夕方、久継さんの家へ行った。卓には、その朝に郵便受けから取り出したはがきが1枚あった。先に届いたものは、案内への返事を入れる封筒にしまってあった。久継さんはその封筒から1枚を出し、卓のはがきと並べた。

文章は改行する所まで同じだった。「れ」を書き直した線もある。右下の茶色い跡も、輪の下が途切れ、左へ伸びた筋が途中で少し曲がっている。2枚とも同じ形だった。私は3日に撮った写真を開いた。写真にも、同じ訂正と茶色い跡があった。6日に私が持ち上げた紙は、その直前まで白かった。茶の細い筋は、私が傾けた方へ流れてできた。それが3日に読んだ紙にもあった。

芳江さんに電話で尋ねてもらうと、6日の夜に書き、翌朝出したという返事だった。3日より前に同じ返事を書いたことはないと話した。私は、はがきが白いところから茶で濡れるまでは見ているが、その夜の筆記や投函には立ち会っていない。

12日、私の仕事部屋へ2人に来てもらい、はがきを見比べた。芳江さんが2枚を同時に見るのは初めてだった。文章を順に読み、どちらにも自分の書き直した所がある、と言った。茶の跡を避け、最後の行を少し上へ寄せて書いたことも覚えていた。私は2人の了承を得て、はがきの右下を並べて撮った。宛名のある面は伏せ、文章は紙で覆った。

左右に並ぶ2枚のはがきの右下。文章を白紙で覆い、下端で途切れた輪染みと左へ延びる同じ形の細い筋を見せている。霧島秀一撮影。
霧島秀一撮影。2025年2月12日、2人と確認したはがき。右下の茶色い輪は下で途切れ、細い筋が左へ伸びている。左は3日に私が読んだもの、右は10日に届いたもの。

芳江さんは覆いの紙をずらし、最初の行を指した。

「家で見せてもらえて、というのは、6日のことです」

久継さんは、秋に持っていった絵のことだと思っていた、と答えた。芳江さんは最後の行も指した。窓際で見るまで、空を白い紙のまま残していると思っていた。光の入る方へ持っていってもらい、薄い黄色が分かったので、その色が好きだと書いたのだという。

芳江さんは鞄から、病院の名前の入った紙を1枚出した。入院の案内だった。日付は2月15日で、展覧会の初日と同じだった。股関節の手術を受け、3週間ほど入院する。会期の間は、病室から出られないという。退院は3月の初めの予定だった。

芳江さんの入院の日は、展覧会の案内を受け取った1月の末には、もう決まっていた。展覧会へ行けない理由を、久継さんには電話でも伝えていなかった。手術のことを知らせれば、久継さんが会場の準備をやめて見舞いに来ると思ったからだと話した。

それでも6日に絵を見せてもらった後は、気が変わった。その夜、芳江さんは最後に1行、入院のことを書き足すつもりでいた。だが右下には茶の跡があり、行を上へ寄せると、その1行が入る余白はなくなった。それで書かずに出したのだという。

「行けないとだけ書いておけば、絵を持ってきてくれるかもしれないと思ったんです。そうしたら、本当に来てくれた」

久継さんは、3日にはがきを読んだとき、行けないという言葉の方ばかり見ていたと言った。理由を聞かずに絵を包んだのは、聞けば断られる気がしたからだった。芳江さんが6日に窓際へ一緒に絵を運んだとき、少し足を引いていたことには気づいていた。

私は、はがきがなぜ先に届いたのかは分からないと伝えた。芳江さんの書いた日と、郵便受けに入っていた日が、私の見た範囲では合わない。芳江さんは、自分は6日の夜に書いて7日の朝に出した、それは確かだと言った。

久継さんは、入院の間に、会場に並べる分とは別の絵を病院へ持っていってよいか尋ねた。芳江さんは、病室の窓は北向きだと答えた。久継さんは、それなら廊下の窓へ持っていく、と言った。

6日に見せた空の絵は、会場の入口の壁に掛けることになっていた。久継さんは、会期の初日に会場の写真を撮り、それも病院へ持っていくと話した。芳江さんは、入口なら、自分が行けば最初に見る場所だと言った。若い頃の教室でも、空を白いまま残すのは芳江さんの癖で、久継さんはいつもそこに色を足していたという。

「会場には行けないけれど、家で見られたから。お礼を言っておこうと思ったんです」

久継さんは、先に届いた方のはがきを自分の前へ寄せた。芳江さんが指した最初の行を読んでから、次の「展覧会には伺えませんが」へ指を下ろした。

「これを読んで、持っていくことにしたんですよ」

芳江さんは、久継さんの指の先を見た。それから1行上へ、自分の指を戻した。2人の指は、同じはがきの上にあった。