地方の漁港で釣った魚を生かしておく網袋には、網を切り開いても、魚が元の袋の形から出ていかなくなるものが存在することがある。
港で釣りをする人は、釣った魚をスカリと呼ぶ網袋に入れ、海中に沈めておくことが多い。上と下に四角い枠があり、その間を網がつないでいる。上の口はファスナーで大きく開く。帰るときに引き上げて持ち帰るか、要らなければ口を開けて海へ逃がす。袋を横に向ければ、魚は自分で泳いで出ていく。
2023年7月16日、日曜日の朝。北都県戸鳴町の戸鳴漁港で、私は港の道具置き場を撮っていた。漁船が戻った後の岸壁には、釣り客が数人いた。以前に話を聞いたことのある尾坂義隆さん(54歳)から声を掛けられた。網を開いても魚が出ないので、一緒に見てほしいという。
義隆さんは、帰省中の弟の尾坂智治さん(49歳)を釣りに連れてきていた。智治さんは昼の列車で帰る予定で、駅まで送ってくれる知人に、港へ迎えに来てもらうことにしていた。義隆さんは港内の低い岸へひもを結び、スカリを水へ沈めていた。
智治さんは、子どもの頃以来、ほとんど釣りをしていなかったという。その朝は2人とも1匹ずつメジナを釣った。義隆さんは2匹とも弟へ持たせるつもりで、下ごしらえも引き受けると言った。智治さんは、今回は釣れただけで十分だと答えた。持って帰るなら、自分でさばくことも覚えてからにしたいという。
「逃がす方なら、自分でやれると思ったんです」
智治さんは兄から網袋を受け取り、波の入らない岸のくぼみへ寄せた。そこは砂底の浅場で、岸に座れば両手が届く。水は澄み、袋の底まで見えた。日陰側へ回れば、空の映り込みも少なかった。
私が呼ばれたとき、智治さんは口を全開にし、水中で袋を横に向けていた。義隆さんによると、いつもはこうして傾ければ、魚はすぐに出ていく。今朝も、小さなアジを1匹、そうやって逃がしたばかりだった。魚がその口へ寄ると、頭が止まり、尾を強く振った。口元には魚を押さえる網がない。1匹が横向きになると、こちらを向いた胸びれが、先から体へ折り返された。
まず、細い糸が残ってひれに絡んでいる可能性を考えた。智治さんが袋を持ち、義隆さんは開口部の縁を指でたどった。糸は見つからなかった。魚へ手を伸ばすと体をひねったため、つかんで引き出すのはやめた。
「網を切ってもいいですか」
智治さんに尋ねられ、義隆さんは、魚を傷めるよりよいと答えた。自分の釣り道具からはさみを出し、魚が奥へ向いたところで、口から側面、底へと続けて網を切り開いた。私はその間、岸から魚を見ていた。
切った網の端が水の中で離れ、魚の横が大きく開いた。ところが、1匹がそこへ尾を向けると、扇形に開いた尾びれの下半分だけが、縦の線に沿って直角に曲がった。尾を戻すと、ひれは元の形に広がった。
義隆さんははさみを岸へ置いた。青い糸が絡んでいるなら全部外そうと、切った網を水中で広げた。魚へ当てないよう四角い枠をよけ、網ごと水から引き上げると、2匹はその場に残った。智治さんが岸の上で網を広げた。内側に魚はいなかった。
魚の下には砂があり、上には水面があった。岸に近い1匹が横を向くと、腹の丸みが途中から平らになった。うろこが並ぶ面と、その先へ伸ばした尾の縁が、同じ見えない面へ押し付けられているように見えた。離れると、腹も尾も普通の形に戻る。もう1匹は、その少し奥で向きを変えていた。
私は日陰の岸へ膝をつき、魚が離れた所へ手を入れた。先ほど腹が平らになった位置を手のひらが通り、向こう側の砂へ指が届いた。板にも糸にも触れなかった。手を戻すと魚が寄り、同じ所で頬が止まった。
私はそれ以上、手を入れなかった。網と枠は岸の上にあり、魚のいる範囲には何も残されていない。それでも、魚の頬や腹が押され、そこから先へは進まなかった。
智治さんは、魚が怖がって動かないだけなら、離れて待てばよいのかと尋ねた。3人で立ち上がり、少し下がった。尾びれが水面の下で動くのは見えたが、2匹とも岸の同じ辺りから出てこなかった。
私は、魚が止まる位置を岸の石に合わせて覚えた。上の枠と下の枠を岸へ置いたまま、その寸法を巻尺で測ると、横はおよそ40センチ、高さは30センチあまりだった。2匹が泳いでいる範囲も、ほぼ同じ大きさの箱の形をしていた。網目は1センチほどで、2匹とも体の幅はそれよりずっと大きい。
そのとき、智治さんが岸に置いた上の枠を裏返した。角に古いビニールテープが巻かれ、色のあせた字で「トモハル」と書いてあった。テープの端はめくれ、字は油性のペンで書かれていた。智治さんは枠を手の中で回し、父の字だと言った。
義隆さんは、朝、実家の物置から出してきたスカリだと話した。智治さんが小学生の頃、父親に買ってもらった物で、智治さんが家を出てからは、義隆さんが時々使っていた。弟が気づくまで黙っていたのは、気づかなければそれでいいと思ったからだという。
「これで初めて釣ったのも、この港でした。あのときは、父が全部逃がしてくれたんです」
智治さんは、そのとき網袋をどう開けたのかは覚えていないと言った。父親の隣で、魚が泳いでいくのを見ていたことだけは覚えている。その父親も、足を悪くしてからは港へ来なくなったという。自分で逃がしたのは、今日が初めてだった。
私は義隆さんに断って、岸へ広げた青い網と枠を撮った。側面から底へ続く切れ目があり、袋としては使えない形だった。
義隆さんは、沖側の少し深い所へ運べれば、と言った。ここより水が多い所で泳がせたいのだという。智治さんはうなずいたが、2人とも魚を手でつかもうとはしなかった。さっき手を伸ばしただけで、魚が体をひねったのを見ていた。
「網を戻して、下から持てるようにできないかな」
智治さんが、岸の青い網を取った。義隆さんは、戻したところで運べるかは分からない、と答えた。智治さんは、魚を直接つかむよりは、広い網で支えたいと言った。
2人は袋を元どおりに閉じず、切り開いた青い網を、2つの枠と一緒に水へ戻した。魚のいる所を外から包むように、横にした袋の下になる面を、砂の上へ滑らせた。智治さんが岸側、義隆さんが沖側の端を持った。
義隆さんが端を少し持ち上げると、網は魚の腹の下へ触れた。1匹の体が横へ傾いたため、すぐに下ろした。魚は姿勢を戻し、網の上でひれを動かした。2人は、それ以上持ち上げるのをやめた。
義隆さんは網の端を智治さんに持ってもらい、道具から予備の糸を出した。切り口をつないでおけば、網全体で魚を支え直せるかもしれないという。その間に私は2人の了承を得て、水へ戻した網を撮った。袋の口と切った側面が開いており、2匹はその間で向きを変えていた。

義隆さんが、列車に乗るなら出る時間だと言った。網をこちらへ渡してくれれば、魚は自分が見ている、とも話した。智治さんは、昼の列車には乗らないと答えた。岸へ置いた電話を取り、迎えを頼んでいた知人へ、まだ港を出られないと伝えた。
電話を置くと、智治さんは義隆さんから糸を受け取った。網の端は兄へ渡さず、自分の膝の前に寄せた。
「どの目に通せばいい?」
義隆さんは網の沖側を押さえ、切り口の両端を指した。魚がその近くへ来ると、2人とも手を止めた。魚は開いた切れ目を横切らずに向きを変えた。智治さんは魚が離れるのを待ち、教わった2つの網目へ糸を通した。



