戸鳴の宿の朝食のアジに関する奇妙な記録

笹峰健吾撮影・提供。宿の木のテーブルに、ご飯、みそ汁、卵焼きと、頭を左にして盛ったアジの塩焼きが並ぶ。魚はまだ食べておらず、皿の手前に大根おろしがある。

地方の海沿いの小さな宿では、朝食に地元で揚がった魚の塩焼きを出すことが多い。前の日に港で仕入れ、内臓を取って冷蔵しておき、朝に焼く。客は身を食べ、中骨を皿の端へ寄せる。骨はそのまま下げられ、台所で捨てられる。

焼き魚の中骨を取り外したところで、笹峰健吾さん(56歳)は箸を置いた。皿の端に寄せた骨が曲がり、尾が皿をたたいていた。笹峰さんは身を半分ほど食べ終えていた。残りの半身には、動くところがなかった。

2023年8月27日の朝、北都県の海沿いの町、戸鳴の小さな宿での出来事である。私は別の取材でこの宿に泊まり、隣のテーブルで朝食を食べていた。笹峰さんとは前夜に食堂で挨拶をした。海を見ながら歩くために来た、一人旅の客だった。

朝食には、ご飯、みそ汁、卵焼きと、アジの塩焼きが出た。宿を営む久良木芳江さん(73歳)が、焼き魚は少し待ってほしいと言い、ほかの器を先に運んできた。魚を載せた長皿が届くと、笹峰さんはスマートフォンで一枚撮った。旅先で食べた物を撮っているのだという。

私は後で、笹峰さんにその写真を見せてもらった。魚は頭を左にして置かれ、皮には焦げ目があった。皿の手前には大根おろしが添えられている。撮った時点では骨は露出していない。

笹峰さんは、表の身を頭の方から食べていた。骨が出てくると、頭を指先で押さえ、中骨の下へ箸を入れた。裏側の身から骨を離し、頭と尾がつながったまま、皿の奥へ寄せた。私は、骨がきれいに外れたと思って見ていた。

尾が動いたのは、笹峰さんが手を離してからだった。初めは箸が触れたのかと思った。笹峰さんは箸を箸置きに載せ、椅子を少し後ろへ引いた。それでも尾は左右に動き、中骨は腹側の細い骨を引きずりながら、浅い弓の形になった。

「ちょっと、見てもらえますか」

笹峰さんが厨房へ声を掛けた。久良木さんは空の盆を持って出てきた。皿を見て、「まだ熱かったですか」と尋ねかけ、盆を隣のテーブルへ置いた。頭を支点にして骨が向きを変え、焦げた尾の先が、皿の縁を越えた。

久良木さんは大きめの深鉢を持ってきて、骨にかぶせた。器の内側から細い音が続いた。笹峰さんは、もう食べないと言った。私も自分の箸を置いた。

久良木さんによると、アジは前日に仕入れ、内臓を取り除いて冷蔵していた。今朝、両面を焼いてから、それぞれの皿へ載せたという。笹峰さんは、食べた身は熱く、白い身が骨からほぐれたと話した。私の魚も同じだった。

私は焼いているところを見ていない。ただ、笹峰さんが骨を外してからは、同じ皿を見ていた。骨の周りにはところどころ白い身のくずが付いていたが、胴の厚みはなく、細い骨の間から皿が見えた。

ご飯の湯気が見えなくなった後も、器から音がした。久良木さんは厨房から深い白の鉢を出してきた。アジをまっすぐ置いても収まる大きさだった。水を入れて戻り、長皿の横へ置いた。

「ずっと、皿をたたいているので」

久良木さんはそう言い、かぶせていた鉢を外した。骨はまだ曲がっていた。頭をスプーンで受け、中骨の下にももう一本のスプーンを入れ、水の鉢へ移した。私と笹峰さんは、鉢の両側から見ていた。

久良木さんがスプーンを抜き、水面が落ち着いた後、中骨が左右に曲がった。尾が振れ、頭が鉢の壁へ近づいた。壁の手前で向きが変わり、今度は反対側へ進んだ。骨は底に横たわらず、白い中骨と細い骨の間を水が通っていた。

私は二人に断り、水面の反射を避けて鉢を撮った。写真で残せたのは、身のない骨が曲がった形で水中にあるところである。泳ぐ動きそのものは、一枚の写真からは分からない。

霧島秀一撮影。水を張った白い大鉢の中に、焼けた頭と尾がつながったアジの中骨がある。胴は白い中骨と細い骨になっており、緩く曲がった骨の間から白い鉢底が見える。
霧島秀一撮影。2023年8月27日朝、同じ宿の食堂。水を入れた白い鉢の中のアジの骨。焼けた頭と尾はつながり、細い骨の間から鉢の底が見える。

久良木さんは、こうなった魚を見たのは初めてだと言った。生きているのかと笹峰さんに尋ねられたが、私は答えられなかった。目の前にあるのは、塩をして焼かれ、身を食べられたアジの骨だった。口が開くところは見えなかった。それでも水の中を進み、容器の端で向きを変えていた。

笹峰さんは久良木さんに、朝食を下げてほしいと頼んだ。ご飯と汁の椀を盆に載せる久良木さんに、笹峰さんは、自分が残した半身を見て「すみません」と言った。

久良木さんは、謝らなくてよいと答えた。笹峰さんが長皿を差し出すと、すぐには受け取らず、皮を下にして残っていた半身を指した。

「その身は、私に残してもらえますか」

笹峰さんがうなずくと、久良木さんは長皿を受け取った。ほかの食器の上へ重ねず、水の鉢の横へ置いた。それから厨房へ戻り、仕入れの帳面を持ってきた。

帳面の26日の欄には、「アジ 12尾 笹峰丸」と書かれていた。戸鳴の港から出ている小さな漁船の名前で、久良木さんは30年近く、この船から魚を買っているという。

私の皿のアジも、同じ12尾のうちの1尾だった。私が外した骨は、皿の端に寄せたまま動かなかった。その朝、宿に泊まっていた客は4人で、ほかの2人の皿の骨も動かなかったと、久良木さんは話した。

「笹峰さんというお名前を、昨日の宿帳で見て、もしかしてと思っていました」

宿帳の住所欄には、県外の市の名前が書かれていた。久良木さんは、名字だけを見て、笹峰丸の家と関わりがあるのかもしれないと思ったという。ただ、客に家のことを尋ねるのは控えていた。

笹峰さんは、しばらく帳面を見ていた。それから、自分が戸鳴の生まれだと話した。笹峰丸は、父親の弟の勇さん(78歳)の船である。父親は笹峰さんが14歳の年に海の事故で亡くなり、笹峰さんは母親と県外へ移った。それから戸鳴へは一度も戻っていなかった。勇さんとも、40年以上会っていないという。

今回の旅は、父親の船が出ていた港を見るためだった。勇さんに連絡するかどうかは、決めずに来た。前日の夕方、港の端まで歩いたが、笹峰丸がどの船かは確かめなかった。

久良木さんによると、勇さんは今も週に4日ほど漁に出ている。毎朝、宿の勝手口まで魚を届けに来るという。27日の朝も、笹峰さんが起きる前に、アジ以外の魚を置いていった。

鉢の中で、骨はまだ泳いでいた。久良木さんは平たいへらで半身を持ち上げ、鉢の底へ下ろした。焼けた皮の端から、白い身が少し崩れた。骨はその上を通り過ぎ、反対側へ泳いでいった。へらに残った皮も、箸で一枚ずつはがして鉢へ戻した。

朝食の片付けが終わると、久良木さんは鉢を両手で持ち、港へ向かった。笹峰さんと私も後ろを歩いた。宿から港までは歩いて5分ほどである。岸壁には、船体に「笹峰丸」と書かれた白い船がつながれていた。

船の上では、日焼けした男性が網を片付けていた。久良木さんが声を掛けると、男性は手を止めて岸壁へ上がってきた。笹峰さんは、その場で自分の名前を言った。勇さんは笹峰さんの顔をしばらく見てから、「兄貴に似てきたな」と言った。

久良木さんは岸壁の端にしゃがみ、鉢を傾けた。水と一緒に、骨と半身が海へ入った。骨は一度水面近くで向きを変え、船の下の暗い所へ入っていった。半身はゆっくり沈んで見えなくなった。

勇さんと笹峰さんは、船の横で何か話していた。私と久良木さんは先に宿へ戻った。

笹峰さんは昼前に宿へ戻ってきた。勇さんの家で、父親の写真を見せてもらったという。父親が乗っていた船は、今の笹峰丸の前の船で、同じ名前だった。

笹峰さんは、もう一晩泊まることにした。翌朝は勇さんの船に乗せてもらい、父親が網を入れていた辺りまで行くという。久良木さんは空になった白い鉢を洗い場で洗い、伏せて干した。それから宿帳を開き、笹峰さんの欄の泊数を1から2に書き直した。

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