地方の小さな事務所では、昼になると机を片付け、持ってきた弁当を広げる人が多い。ご飯が残れば、夜に食べるか捨てるかする。冬は傷みにくく、一度家へ持ち帰ったご飯を翌朝また詰めてくることもある。弁当箱の中で何かが動けば、まず虫を疑う。
弁当箱の縁へ出た米粒を、箸で押し戻さずに待っている人がいる。北都県南條市内で事務所を借りている久世知乃さん(31歳)から、そう連絡があった。同じ部屋を借りる垣添沙緒さん(28歳)の弁当で、白い粒に細い脚が生えて歩いているという。
2024年1月26日の昼、私はその事務所を訪ねた。2人とも印刷物のデザインを仕事にしていて、部屋を分け合ってそれぞれの仕事をしている。昼になると窓際の丸テーブルを空け、一緒に食事をする。
その週、垣添さんは弁当のおかずをずいぶん細かく切ってくるようになった。ご飯をほぐすのにも時間をかけるため、久世さんは先に食べ始めていたという。24日、テーブルに付いた米粒を久世さんが布巾で取ろうとすると、垣添さんに止められた。その粒が布巾を避けるように向きを変えたため、虫が混じっていたのかと尋ねた。
「ご飯の方を見てほしいと言われたんです」
私が着いたとき、テーブルには紺色の弁当箱と、小さな透明の容器が置かれていた。弁当箱には白飯が薄く広げてある。透明の容器には、細かく切った卵焼きと茹でたニンジンが入っていた。垣添さんに断って、このテーブルを先に撮った。
垣添さんは、弁当箱の底に付いていた一粒を箸で離した。粒はほかの飯と同じ白さで、片側には隣の粒とくっついていた平たい面がある。その面を上にして転がった後、端に小さな突起ができた。突起は細く伸び、途中で折れ曲がって底を突いた。反対側にも細い脚が現れ、粒が底から持ち上がった。
私は弁当箱の脇からルーペで見た。米粒の下に別の胴はなく、脚は白い粒から直接出ていた。粒の表面に殻や節はなく、炊いたご飯の、少し透けた柔らかい肌のままだった。虫が潜り込んだ穴も見当たらない。粒はすでに脚のある粒の間を抜け、弁当箱の内側の壁を上がった。
縁まで上がったところで、垣添さんは箸を差し出した。粒は箸の先へ脚を掛け、左右の脚を動かして手元の方へ進んだ。手元まで来る前に、垣添さんは箸を傾け、弁当箱の底へ先を下ろした。粒は白飯の隙間へ降り、ほかの飯の間へ入って見分けられなくなった。
最初に気づいたのは22日の昼だったという。その朝、自宅で炊いたご飯を冷まして詰めてきた。蓋を開けると、白飯の端から一粒が起き上がり、少し離れた卵焼きへ近づいていった。垣添さんは食べるのをやめ、蓋をした。午後も箱の中で動くものがあったので、そのまま持ち帰った。
帰宅後、米の袋を広げて生の米を確かめたが、動くものは見つからなかった。翌朝同じ袋から炊いたご飯も、普通のご飯だった。炊飯器の内釜にも、しゃもじにも何も残っていなかったという。動くのは、22日に炊いた分だけだった。
垣添さんは23日、近くの米店にも袋の米を一握り持っていった。店の人は粒を手に取って見た後、虫も混じっていないし、乾き具合もいいと言ったという。炊いた後のことは話さなかった。
今入っているのは、22日に食べなかったご飯である。家では大きめの保存容器へ移し、朝、元の弁当箱へ戻して持ってきていた。冷蔵庫には入れていない。一度入れた晩は粒が容器の壁際に固まり、翌朝まで脚を縮めていたので、台所の棚へ移したという。それでも4日たって、ご飯は固くも臭くもなっていなかった。
「家に置いてくればいいと思ったんですけど、昼に開けられないので」
久世さんは弁当箱を見たまま、何のために開けるのかと聞いた。垣添さんは、透明の容器からニンジンのかけらを取った。弁当箱の中に、米粒より小さく切ったかけらを置いた。
近くにいた白い粒が寄り、ニンジンの端に止まった。粒の先に横向きの裂け目が開き、オレンジ色の端を挟んだ。粒が少し下がると、ニンジンが欠けた。欠けた部分は白い粒の中へ入り、裂け目が閉じた。もう一粒が反対側に付き、同じかけらが細くなっていった。
誰も箸で触れていない間に、かけらはなくなった。垣添さんが残りのニンジンを置いたところで、私は2人に断り、弁当箱へカメラを近づけた。飯の間にあるかけらと、そのそばの白い粒を撮った。

撮影の後、垣添さんは机の引き出しから、二つに折った紙を出した。22日に炊いた米の袋に入っていたという。広げると、鉛筆で書いた短い手紙だった。差出人は北都県の山あいで米を作ってきた祖父の垣添秀治さん(81歳)である。
「今年で田んぼはやめる。これが最後の米だ。腹いっぱい食え」
袋は10キロで、正月明けに届いた。垣添さんは毎年、祖父の米を少しずつ炊いてきた。22日の朝は、手紙を読んでから初めて炊いた日だった。袋の底の方にはまだ米が残っているが、その後に炊いた分は動かないという。
手紙の裏には、田の脇の小屋の絵が鉛筆で描かれていた。垣添さんが子どもの頃、刈り取りの手伝いの後に、祖父と並んで握り飯を食べた場所だという。
垣添さんは祖父に電話をしていない。米を受け取ったとき、礼の言葉は母親を通して伝えた。田んぼをやめる理由は、腰を悪くしたからだと母親から聞いている。
「脚が生えたって言っても、信じないと思うので」
22日の夜、保存容器を開けると、入れておいた卵焼きのくずが減っていた。それで別のかけらを入れると、それにも粒が集まった。翌日から、少量のおかずを別に作るようになった。卵焼きを細かく切るのは、そのためだった。
「今朝はニンジンも入れました。昨日、卵だけでは足りなかったので」
何をどれほど食べるのかは、垣添さんにも分からない。ただ、置いた分がなくなると、粒が弁当箱の縁へ集まってくるという。毎朝、少しずつ違うものを用意していた。
久世さんは自分の弁当の蓋を開けていたが、箸を持たずに聞いていた。垣添さんに、昼食はどうしているのかと尋ねると、机の鞄から袋入りのパンが出てきた。朝、途中で買ったものだという。今週の弁当は垣添さんの昼食だと、久世さんは思っていた。
垣添さんはパンの袋を開け、ひと口かじった。食べながら何度も箱の中を見て、離れた場所にいる粒のそばへ、箸で卵焼きを置いた。弁当箱の白飯は、22日から一粒も減っていないという。
「食べられるご飯なんです。でも、食べる気になれなくて」
久世さんの弁当にも、卵焼きが入っていた。垣添さんはそれを見て、端を少し分けてもらえないかと頼んだ。自分の家のものと味が違うなら、置いてみたいという。久世さんは少し黙ってから卵焼きを箸で挟み、自分の口へ運んだ。この日、垣添さんはそれ以上頼まなかった。
1月31日、私はもう一度事務所を訪ねた。垣添さんは前の晩、祖父に電話をかけたという。脚の話はせず、米がおいしいとだけ伝えた。祖父は、来年は畑で少しだけ作るかもしれないと話したそうだ。ご飯のことは、まだ話せていないという。
保存容器のご飯は、まだ22日の分のままだった。粒の数も、垣添さんが数えた限りでは減っていない。動く粒は日ごとに増え、この日は白飯の半分ほどが脚を持っていた。
その日の弁当箱では、白い粒が縁に沿って並び、蓋の内側を見上げるように脚を立てていた。久世さんは自分の弁当から卵焼きの端を箸で切り、透明の容器へ移した。垣添さんはそれを受け取り、弁当箱の縁で待つ粒の前へ下ろした。



