地方の農村では、畑へ水を送るため池を、冬に一度干すことがある。水を抜いて底の泥とごみを片付け、すんでいる魚は網ですくって別の池へ移す。水が減れば、魚は底の一番低い所へ集まる。網を入れるのは、そこだけでよい。
北都県帆川町の丸池で、2022年12月に池干しをした。水を抜き始めてから2日たっても、3匹の黒いコイが下りてこなかったと聞き、私は12月4日に池へ行った。
私を呼んだのは、地区の水利組合で池の手入れをまとめる滝井信春さん(71歳)だ。前日の電話では、水が減ってもコイが下りてこない、とだけ聞いていた。
丸池は畑の脇にある小さなため池で、この夏を最後に、畑へ水を送る役目を終えた。来年からは用水路の管で水が届く。今度の池干しの後は、水をためない予定だった。地区で管理してきた魚は捕まえ、町内の別の池に用意した囲いへ移す。滝井さんたちは受け入れ先と相談し、水の入った容器や網を用意していた。
昔から丸池で釣りをしてきた小野塚文治さん(83歳)も、魚をすくう係で来ていた。水を抜き始める前の日にも、釣りざおを出したという。「ここで釣るのは最後だから」と、いつもは昼で帰るところを夕方まで残った。釣った魚は池に戻した。
私が着いたとき、水は池の一番低いくぼみに残るだけだった。作業をする人が、そこで跳ねるフナを順にすくっていた。岸に並んだ容器の中では、既に移された魚が水を揺らしている。
3匹のコイは、作業をする人の頭の辺りを泳いでいた。下には水がなく、長靴の跡があった。ひれを動かして曲がり、互いの横を通り過ぎる。跳ね上がった魚が落ちるまでの間を見ているのではなかった。滝井さんが指した岸の泥の線は、水を抜く前の水面の跡だという。3匹はその少し下を泳いでいた。
小野塚さんは長い柄の網を持ち、足場を確かめながら浅い側へ降りた。私は岸から見ていた。近づいてきた1匹の下へ網を入れると、魚の腹が網に載り、網の底が重みで下がった。
「バケツを寄せてください」
滝井さんが池の底の平らな所へ、水を入れた大きなバケツを置いた。小野塚さんは網を傾け、魚を水の中へ滑らせた。魚の背が一度、水面の下へ入った。次に頭が上がり、胸びれが水から出た。魚はそのままバケツの縁より高くなった。
小野塚さんが網を持ち直す間に、コイは尾を振り、バケツの外へ進んだ。水はバケツの中に残り、魚から落ちたしずくが泥に点を作った。コイはさっきまで泳いでいた高さへ戻ると、ほかの2匹のいる方へ向きを変えた。
滝井さんはバケツを持って追うのをやめた。網に重みが載る以上、何かがいることは確かだった。ただ、水に入れても留まらない。釣り糸やワイヤーでつるした細工なら、網を下へ入れた時点で引っ掛かる。周りに、そうしたものは見当たらなかった。
その日は、残った水にいた魚の移動を先に終えた。空中の3匹は、網を近づけると向きを変え、池の中央へ逃げた。滝井さんは、捕まえようとして泥の上を走る人を止めた。池を埋める日などもまだ決まっておらず、急いで作業を終える必要はないという。
この日に移したのはフナが120匹ほどと、小さなコイが6匹だった。どれも低いくぼみに集まり、網で簡単にすくえた。空中の3匹と同じくらいの大きさのコイは、水の中には1匹もいなかった。作業をした8人のうち、3匹を見ていない人はいない。
翌週の11日、私はもう一度丸池へ行った。雨は降らず、浅い側の底は長靴で歩けるほどに乾いていた。低いくぼみにも、もう水はなかった。コイはまだ3匹いた。滝井さんによると、その後も網を持って来たが、捕まえられていないという。
この日も3匹は、昔の水面の少し下を泳いでいた。泳ぐ範囲は先週より狭く、岸の一か所の前を行き来している。石と草の間の、平らになった場所の前だった。滝井さんは、先週はそこに気付かなかったという。
この日、滝井さんは公民館の棚から、水利組合の池の帳面を持ってきていた。池干しや放流のたびに書き足してきた大学ノートで、表紙に「丸池」とある。
1987年12月の池干しの欄に、「黒鯉3匹 小野塚氏より」とあった。水を戻した後、小野塚さんが自分の家の池で育てたコイを3匹入れたという記録だ。2008年の池干しの欄には、「黒鯉3匹 網ですくい戻す」とある。
2016年8月の欄には、「黒鯉3匹 死んで浮く 小野塚氏が岸に埋める」と書かれていた。暑さで水が減った夏だった。それより後の池干しの記録には、黒鯉の名前は出てこない。
同じ欄には、フナが20匹ほど死んだことも書かれている。水を足すまでの数日で、池の水位は岸の泥の線から50センチほど下がっていた。帳面に残る線の高さは、今の3匹の泳ぐ高さより低い。
滝井さんは、この欄を覚えていなかった。2016年は別の人が手入れをまとめていた年で、帳面は棚に置かれたままだったという。私たちは帳面を閉じ、岸で釣りの支度をしていた小野塚さんのところへ行った。
小野塚さんは、3匹を埋めたことをはっきり覚えていた。
「3匹とも同じ日に浮いていました。釣った魚ではないから、針の跡はなかったです。並べて埋めて、上に石を置きました」
1987年に3匹を入れたのは、自分の家の庭の池を埋めることになったためだった。息子の家を建てる土地に充てたという。丸池なら毎日見に来られると思い、水利組合に頼んで放させてもらった。
埋めた場所を尋ねると、小野塚さんは足元を指した。岸にある石と草の間で、小野塚さんがいつも折り畳み椅子を開く所だった。2016年の後も、小野塚さんはそこに座ってフナを釣り、釣れた魚は池に戻していた。
小野塚さんが丸池で釣りを始めたのは、小学生のころだという。そのころから、釣った魚は池に戻してきた。池干しで魚を移すと決まったとき、真っ先に係を引き受けたのも、ここの魚を自分の手で送り出したかったからだと話した。
私は、釣れた魚を岸へ寄せて、移動用の容器へ入れるのかと聞いた。小野塚さんは首を振った。
「釣れたら、ここへ戻します。まだ泳いでいますから」
滝井さんは、岸に置いてあった網を取りに行きかけて、手ぶらで戻ってきた。
小野塚さんは、石の脇に折り畳み椅子を開いた。場所を教えてもらい、私は椅子と、その前に広がる池の底を撮った。

滝井さんは、取り残した空き缶を拾いに底へ降りていた。小野塚さんが餌を付けて顔を上げたとき、滝井さんは、ざおの届く辺りを斜めに歩いていた。
「針が来るから、そこは歩かないでください」
滝井さんは足を止めた。小野塚さんもざおを動かさず、針を手元に置いて待った。
「缶を拾ってから上がります。まだ投げないでください」
滝井さんは空き缶を袋へ入れ、来た斜面を戻った。私も岸から離れ、小野塚さんのざおが届かない所へ下がった。
底に人がいなくなると、小野塚さんはざおを前へ出した。糸の先の餌が、コイの口の高さに下りた。魚が近づくのを、椅子に座って待っている。
岸へ戻った滝井さんの前には、バケツとごみ袋があった。拾い残した缶が、向こう側にも見えた。そこまでは底を横切れば近いが、小野塚さんの前には出なかった。
「昼までやってみます」
小野塚さんがそう言うと、滝井さんはうなずき、ごみ袋の口を結んだ。それからバケツの横の石に帳面を広げ、最後のページに「2022年12月 池干し フナ・小鯉を移す」と書いた。少し考えてから、その下に「黒鯉3匹 残る」と書き足した。



