古い家の箪笥には、使い道の分からない布が、何十年も畳まれたまま残っていることがある。
北都県柳瀬市に住む楠戸邦枝さん(74歳)の家では、居間の机の上に、薄い木綿のハンカチが1枚置いてある。邦枝さんはそれを、片方の手でもう片方の手を握るときに使っている。
人は一日に何度も、自分の手で自分の手に触れる。手を洗うときにこすり合わせ、寒い日には包んで温め、疲れた指を揉む。誰でも、片手が触れればもう片方の手には皮膚の感触が返ってくると思っている。
2023年2月18日の昼、邦枝さんは買い物から戻り、袋を食卓へ置いた。持ち手が食い込んで、左手が痛んだ。右手で揉もうとしたとき、右の親指が左の手のひらへ沈むのを見たという。指を引くと、左手には穴も傷も残っていなかった。
もう一度左手をつかもうとすると、今度は右の指が左手の甲から出た。つかんだ感触はなく、両手を離しても痛みはなかったという。袋の中の野菜は、まだ出していなかった。
邦枝さんは夫の楠戸昭久さん(77歳)を呼んだ。昭久さんが左手を握ると、指の付け根まで触れることができた。邦枝さんにも握られた感じがあった。袋を持ち上げても、持ち手は指に掛かる。包丁や食器を持つこともできた。自分の左右の手を合わせたときだけ、互いの中へ入ってしまった。
20日、邦枝さんは昭久さんと病院へ行った。医師に手を触ってもらい、指が掌を通る様子も見せたと話している。握力と指先の感覚を調べてもらったが、どちらも年齢相応だと言われた。原因の説明は受けられず、紹介された別の病院を3月6日に受診する予定だという。私は診察には立ち会っていない。
邦枝さんから連絡があったのは21日で、25日の午後、私は自宅を訪ねた。邦枝さんは湯飲みを両手で運んできた。左右の指は湯飲みの両側に掛かり、受け皿へ置くまで離れなかった。話を聞く間、邦枝さんは両手を膝に並べていた。
それまでは、右手で左の親指を包んでいることが多かったという。編み物をした後や、テレビを見ているときに、指を1本ずつ揉む癖があった。今はその動作を始めてから、途中で手を止めることがある。
私はまず、見間違いや手品のような見え方を疑った。指を手のひらに当てたまま曲げれば、正面からは沈んだように見える。邦枝さんは机の上で見せられると言った。私は椅子を横へ寄せ、両手を手首から先まで横から見られる位置に座った。
邦枝さんは左の手のひらを上へ向け、右の人差し指をその中央へ下ろした。指先は皮膚に触れて止まらず、その中へ入った。左手を横向きにすると、甲の真ん中から右の人差し指の先が出ていた。左の指と指の間を通しているのではなかった。右の指は、掌と甲を貫いていた。
邦枝さんは人差し指を引き抜き、両手を離した。左の掌にも甲にも裂け目はなく、血も出ていなかった。痛くないかと聞くと、痛みも、両手を合わせた感じもないと答えた。私は、もう一度見せてほしいとは頼まなかった。
次に、手そのものの感覚が鈍った可能性を考えた。しかし、昭久さんの手や湯飲みには普通に触れられる。私が左手の甲に指を置くと、邦枝さんは「そこ」とすぐに場所を当てた。範囲も確かめた。邦枝さんが右手で自分の頬や左の肘に触れると、指は皮膚の上で止まった。左手で右の手首を握ると、そこも普通につかめた。ところが左手で右の手の甲に触れると、今度は左の指が右手の中へ入った。通り抜けるのは、邦枝さんの右手と左手が、手首から先どうしで出会うときに限られていた。
邦枝さんは、ほかに変わったことはないかと聞かれるたびに、昭久さんと18日の行動を思い返したという。前の晩もいつもどおり台所に立ち、編み物をして寝た。手を何かにぶつけたことも、薬を変えたこともない。買い物袋は毎週同じ店で使う布の袋で、持ち手が食い込んだのも初めてではなかった。
自分の手をつかめなくても、手で持つ物は落ちない。邦枝さんは食事も着替えも自分でできると話した。困るのは、片手でもう片方を洗ったり、こすったりする動作だった。蛇口の下で両手を合わせたときには、片方の指がもう片方を通り抜け、水だけが手に当たっていた。
異変に気づいた18日の夜、昭久さんが洗面所のタオルを渡した。邦枝さんはタオルを左手へかぶせ、その上から右手で包んだ。布を間に置くと、左手の形に沿って押さえられたという。それからは、手を拭き終えても、すぐにはタオルを掛け戻さなくなった。
机には薄い木綿のハンカチが置かれていた。邦枝さんは左手を机へ置き、ハンカチで包んだ。それから右の掌を下へ入れると、布ごと左手を持ち上げられた。先ほど指が通った左手が、今度は布越しに支えられていた。
「厚くなくてもいいんです」
邦枝さんはそう言って、包んだ左手を膝へ戻した。家で手を休めるときの、いつもの持ち方だという。私はそれを撮影した。

タオルは厚くて、膝の上でかさばった。19日、邦枝さんは寝室の箪笥の引き出しから、このハンカチを出したという。引き出しには同じ木綿のハンカチが11枚、畳んだまま重ねてあった。どれも縁を手でかがってあり、店で買った物ではない。
ハンカチは、邦枝さんの母、篠宮キヨさんの物だった。キヨさんは1991年に79歳で亡くなり、遺品を整理したときに、捨てられずに持ち帰ったという。
昭久さんは、晩年のキヨさんをよく覚えていた。キヨさんは1985年に夫を亡くし、その後は柳瀬市内で一人で暮らした。布を手放さなくなったのは、そのころからだという。
「お義母さんは、座るといつも左の手を布で包んでいました。冬だけじゃなく、夏もです。冷えるのかと聞くと、こうしていると落ち着く、とだけ言っていました。私たちは、年寄りの癖だと思っていたんです」
邦枝さんは、母が自分で自分の手を揉むところを見た覚えがない、と言った。入院してからは、見舞いに来た邦枝さんに、包んだ左手を差し出して「持っていて」と頼んだという。邦枝さんは、手が冷たいのだと思い、言われるまま布ごと握っていた。
「母の手は、布の上から握っても、ちゃんと母の手の形をしていました。冷えるのだとばかり思っていて、どうして自分のもう片方の手で温めないのか、考えたこともなかったんです」
キヨさんの手にも同じことが起きていたのかは分からない。本人は何も書き残していない。私が確かめられたのは、机の1枚を合わせて12枚、縁をかがった木綿の布があることと、キヨさんが晩年、座るたびに左手を包んでいたという昭久さんの話だけである。
手袋でも同じように自分の手を握れると、邦枝さんは話した。外出時には片方を鞄へ入れている。ただ、手袋をしていれば治ったように見えるので、病院へ行くときは外して説明するつもりだという。
昭久さんは、私が帰る前に洗濯物を取り込んできた。邦枝さんはハンカチを机へ置き、タオルを受け取って畳んだ。端をつまみ、角をそろえる手つきに困っている様子はなかった。畳み終えたタオルを昭久さんへ返すと、右手が左の親指へ近づき、触れる前に止まった。
昭久さんが隣へ座った。邦枝さんは左手を差し出した。昭久さんが掌を下から受け、親指の付け根を揉み始めると、邦枝さんは押してほしい場所を右の人差し指で示した。自分の指先は左手へ下ろさず、少し上で止めていた。
机のハンカチは、邦枝さんの右手が届く所にあった。昭久さんが揉むのをやめて手を離しかけると、邦枝さんは「揉まなくていいから、もう少し持っていて」と頼んだ。



