古い木の雨戸には、節が乾いて抜け落ち、小さな穴が開いていることがある。表から覗くと家の中が見えそうで、内側から紙を貼ってふさぐ家もある。
北都県柳瀬市の住宅街に住む鵜川久美枝さん(72歳)の家は、1979年に建てられた木造の平屋だ。庭へ出られる大きな窓には、木の雨戸が4枚ある。夜は窓の外へ引き出して閉め、朝は窓の脇の戸袋へ1枚ずつ押し込んで重ねる。戸袋は雨戸4枚がちょうど収まる幅の木の箱で、外側は板でふさがれている。年に一度、秋口に雨戸を外して拭くのが、久美枝さんの決まった仕事になっている。
2023年9月30日の土曜日、昼前に久美枝さんから連絡があった。拭いている雨戸の板に、目のようなものがあるという。私はその日の午後に訪ねた。
雨戸は窓の脇の外壁に立て掛けてあった。表は庭を向き、その先の道路からも見える。庭と道路の間には低い塀がある。久美枝さんは乾いた雑巾を持ち、板の上半分を指した。濃い茶色の節があり、周りの木目はその丸を囲んで曲がっていた。
私が着いたとき、節は閉じていた。中央に細い横線があり、その上下に同じ茶色の木肌が見えた。久美枝さんによれば、午前中にそこを拭いたときは、布が引っ掛かることもなかったという。
「向こうを通った人が、これをじっと見ていたんです」
塗り直すのかと思って見ているのだろうと、久美枝さんはそのとき受け取った。その人が立ち去ってから板を見ると、節の中に白い所があった。顔を近づける前に白い所が狭まり、元の茶色へ戻った。久美枝さんはそこへ雑巾を当てるのをやめ、ほかの雨戸も拭かずに残していた。
私が見ている前で、中央の線が開いた。上の木肌が持ち上がり、下の木肌も少し下がった。その間に、濡れたような光沢のある白い面が現れた。黒い丸の周りには、細い茶色の輪があった。人の目によく似ていた。
そのとき、道路を買い物袋を持った人が通った。黒い丸が右へ寄った。歩く人が塀の前を過ぎると、丸は白い面の右端近くまで動き、やがて中央へ戻った。雨戸の上端も下端も動かなかった。板全体が人の方へ傾いたのではなかった。
久美枝さんが私の左側から雨戸の正面へ移ると、黒い丸はそちらへ動いた。久美枝さんは雑巾を持った手を下ろした。目の周りに手を当てたり、節を押したりはしなかった。
私はまず、光の加減を疑った。節の表面が濡れて光り、見る位置によって映り込みが動いているのなら、黒い丸の動きは私の動きに合わせて変わるはずだ。しかし丸は、私ではなく、道路を通る人や、正面へ移った久美枝さんの方へ動いた。私が鞄の折り畳み傘を開いて日差しを遮っても、白い面の光沢は消えなかった。
通る人の影が板に落ちて、そう見えるのかもしれないとも考えた。私は庭を出て道路へ回り、塀の外をゆっくり歩いてみた。道路から雨戸までは10メートルほどあり、私の影は庭まで届かない。塀の前で立ち止まると、庭にいる久美枝さんが「今、そっちを見てます」と言った。私の目には、節は板の上の黒っぽい点にしか見えなかった。庭へ戻って正面に立つと、黒い丸は私の方へ寄っていた。
私は少しかがんだ。開いている所には奥行きがあり、白い面は木肌より手前へ膨らんでいた。板へ描いた目の向きが変わって見えるだけではなかった。上下の木肌が合わさると白い面は隠れ、また離れると現れた。
久美枝さんに断り、雨戸の端を少し手前へ引いた。節の中に虫や小さな生き物が入り込んでいる可能性も考えたからだ。裏には横木が渡してあり、その間は表と同じ板が続いていた。節の裏に穴や出っ張りは見えなかった。指の背で表の節の周りを軽くたたくと、ほかの所と同じ乾いた音がした。板の中がどうなっているかは分からない。
久美枝さんは、この雨戸を40年以上同じ窓で使ってきた。節があることは知っていたが、動く所を見たのは今日が初めてだという。以前から開いていたかを確かめられる写真はなかった。毎晩閉めていた物でも、外を向く面を近くから見る機会は少なかったと話した。
雨戸を拭き終えたら、久美枝さんは上着の袖口を繕うつもりだった。居間には裁縫箱を出してある。私は久美枝さんに断り、庭で雨戸の全体を撮った。節を含む表面と、窓との位置関係が分かるようにした。
久美枝さんは雑巾をバケツへ置き、窓の脇の戸袋を指した。使わない昼間の雨戸を重ねて収める場所で、奥には残りの3枚が入っていた。その端を少し引き出し、板の表面にある縦の擦り傷を示した。
「押して入れると、隣の板にこするんです。今まで気にしなかったけど」
私は傷の高さを測らせてもらった。板の下端から約1メートル40センチで、庭に立て掛けた雨戸の節と同じ高さだった。傷の周りは木の色が明るく、古い傷には見えなかった。
久美枝さんは居間の棚から、2014年に亡くなった夫の達郎さんの手帳を出してきた。達郎さんは家の手入れを細かく書き留めていて、手帳は1985年から始まり、亡くなる前の年まで続いている。毎年9月の欄に「雨戸拭き」とある。1996年と2008年の欄には、その横に「西の3枚目、節は拭かない」と書き足されていた。西の3枚目は、今日の雨戸だった。ほかの年の欄には、拭いた枚数と、戸車に油を差したことしか書かれていない。
「主人は、雨戸をしまう順番にうるさい人でした。あの1枚だけは必ず最後に入れて、手前に置いていました。私は、出すときに楽だからだと思っていたんです。朝の開け閉めも、主人がいるうちはずっと主人がしていました」
手前に置けば、節のある面は戸袋の外側の板と隙間を空けて向き合う。ほかの雨戸には触れない。達郎さんが亡くなってから、久美枝さんは順番を気にせずに雨戸をしまうようになった。擦り傷が付いたのは、その後のことになる。
久美枝さんは庭の雨戸へ戻り、木枠の両側を持った。持ち上げたところで止まり、元の外壁へ立て掛けた。節は開いていた。
「ここに板を押し付けるのは、ちょっと」
久美枝さんは節へ触れず、手を胸元へ引いた。痛みがあると思うのか尋ねると、それは分からないと答えた。けれど、さっきと同じように拭いたり、ほかの板へ押し当てたりする気にはなれないという。
道路で、立ち止まってこちらを見る人がいた。久美枝さんは、人がまた止まるから雨戸を中へ入れたいと言った。私も一方の木枠を持ち、庭から開いた窓を通して、居間へ運び入れた。
久美枝さんは壁際を空け、目のある面を部屋側へ向けて立て掛けた。目を壁へ向けるかと尋ねると、久美枝さんは、顔を押し付けるみたいだから今はその向きでよいと答えた。
窓にはガラス戸が残っている。久美枝さんは、その日の雨戸の掃除をやめた。私は了承を得て、居間に置かれた1枚を撮影した。庭にあったときと同じように、節は開いたり閉じたりしていた。

夕方、久美枝さんはガラス戸を閉め、カーテンを引いた。裁縫箱を手元へ寄せ、畳んであった上着を膝に広げた。袖口のほつれを指で探し、針山から針を抜いた。
雨戸の目が開いた。黒い丸は、座った久美枝さんの方へ寄っていた。久美枝さんは糸巻きを持ったまま顔を上げ、針へ目を戻してから、もう一度雨戸を見た。
私はカメラを鞄へ収めた。久美枝さんに、もう少し雨戸を壁の端へ寄せるか尋ねた。そのままでよい、と返事があった。
久美枝さんは針に糸を通さず、針山へ戻した。広げた上着を畳み、糸巻きとはさみを裁縫箱へ収めた。最後に針山を入れ、箱のふたを閉めた。



