町の眼鏡店には、客が置いていった眼鏡を預かり、壊れた部品だけを取り替えて返す修理の仕事がある。
北都県柳瀬市の商店街にある榎戸眼鏡店も、そうした店の一つだ。店主の榎戸幸文さん(64歳)は、父親から店を継いで30年近くになる。耳に掛ける部分が折れた、ねじが緩んだ、という相談なら、その場で直すか、数日預かってメーカーへ部品を頼む。レンズに傷がなければ、枠から外して保管し、直した枠へ戻すのが普通の手順だという。
2022年11月18日、この店に、近所に住む坂牧晴彦さん(71歳)が金属枠の眼鏡を持ち込んだ。耳に掛ける部分が根元から折れていた。レンズはまだきれいで、できればそのまま使いたいという希望だった。
榎戸さんが枠を調べるために左のレンズを外したとき、坂牧さんが椅子の肘掛けをつかんだ。
「床へ向けないでもらえますか」
榎戸さんの手にあったレンズは、坂牧さんの顔から50センチほど離れていた。坂牧さんによると、自分の席から床を見たのではなく、床のすぐ上から椅子の脚を見上げているようだったという。榎戸さんがレンズを持ち上げると、今度は天井の照明が見えた。坂牧さんは顔を下へ向けたまま、まぶしいと言った。
レンズを枠へ戻して掛けてもらうと、いつもの見え方に戻った。その日は折れた部分を応急処置し、坂牧さんは眼鏡を持ち帰った。榎戸さんは作業を続けず、目のことは眼科へも相談してほしいと伝えた。
「初めは、気分が悪くなって、めまいでもしたのかと思いました。お年の方ですから。ただ、レンズを上げたら照明がまぶしいと言われて、そこで手が止まりました」
榎戸さんから、修理を進めてよいか困っていると連絡があり、私は11月22日に店を訪ねた。坂牧さんも、話を聞いてもらいたいと了承していた。坂牧さんはすでに眼科で診てもらっていた。私は診察に立ち会っておらず、ここでは店で確かめたことを記す。
私が初めに考えたのは、坂牧さんがレンズの位置を目で追い、見えるはずの物を言い当てているという説明だった。人を疑うつもりはなかったが、確かめずに先へは進めない。
坂牧さんは予備の眼鏡を持ってきていた。壊れた方を店へ預け、枠の修理を頼むつもりだった。榎戸さんは本人に確かめてから、枠の小さなねじを緩め、左のレンズを取り出した。
坂牧さんは右目を手で覆い、榎戸さんに言った。
「今、そちらの手が見えます」
榎戸さんはレンズを作業台の端に立て、柔らかい布で下側を支えていた。坂牧さんによると、右目では自分の席から店内が見える。左目に見えるのは、離れたレンズの前にある榎戸さんの手だった。顔を振っても、左側の眺めは動かない。レンズを横へ向けると、その向きに合わせて作業台の上が見えるという。
次に私は、坂牧さんに店の奥の休憩室へ移ってもらった。作業台との間には壁があり、扉を閉めると互いの姿は見えない。榎戸さんは坂牧さんの隣に残り、見える物を話してもらった。私は1人で作業台へ戻った。
持参した手帳をレンズの前へ置き、白紙のページに、葉の付いたりんごを描いた。何を描くかは誰にも伝えていない。奥から坂牧さんが「りんごですか」と尋ねた。私はその横に三角を描いた。坂牧さんはそれも言い当てた。榎戸さんによると、その間、坂牧さんは休憩室の椅子に座ったままだった。

榎戸さんがレンズへ布をかけると、坂牧さんは、左側が暗くなったと告げた。布をどけると、また作業台が見える。確認を終え、榎戸さんは左のレンズを黒いケースに収めた。坂牧さんは持参した予備の眼鏡を掛けたが、左側の暗さは変わらなかった。
枠の修理はその日は進めなかった。榎戸さんは、レンズの扱いをメーカーへ相談したいと話した。そのとき、私は坂牧さんの診察券の裏に、眼科で書き込まれたメモがあるのに気づいた。坂牧さんは隠すつもりもなく見せてくれた。
メモには、左目の白内障が進んでいること、左の視力は0.1ほどで、手術を勧めていることが書かれていた。坂牧さんによると、ここ数年、左目では新聞の見出しも読めず、人の顔もぼんやりとしか分からないという。
私はそこで、さっきの確認を思い返した。手帳の絵は、鉛筆で描いた小さなりんごだった。葉の形まで言い当てられるほど、坂牧さんの左目はよく見えていない。それでも坂牧さんは、壁の向こうのりんごの葉を「左側に2枚」と言った。見えていたのは、坂牧さんの左目の前の景色ではなく、レンズの前の景色だった。
「眼鏡を掛けているときだけ、左もよく見えていたんです。度が合っているからだと思っていました」
榎戸さんは、店の古い加工台帳を棚から出してきた。父親の代から、作った眼鏡のレンズの度数と、枠の型番を手書きで残している帳面だ。坂牧さんの名前は2008年の欄にあった。枠はそのとき新しく作ったものだが、左のレンズの欄にだけ、父親の字で「持込品 再加工」と書かれていた。
坂牧さんに尋ねると、左のレンズは、1985年に初めて作った眼鏡のものだという。枠を替えるたびに、左だけは古いレンズを削り直して使ってもらってきた。右は度が進んで何度も替えたが、左は替える必要がなかった。
「左は、ずっと見えていましたから」
榎戸さんの父親の字は、2008年の欄の端に、もう一つ書き込みを残していた。「左 見え方の相談あり 異常なし」。坂牧さんは、その相談をした覚えがないと話した。
私は坂牧さんと一緒に店を出た。少し歩いた所で、坂牧さんが立ち止まった。目の前は商店街の歩道なのに、左側には作業台が見えると言った。大きな指がレンズを持ち上げ、白い紙へ置くところだった。
坂牧さんは両目を閉じた。歩道は見えなくなったが、作業台の白い紙は見え続けたという。
「やめてもらえますか」
私に言ったのではなかった。店は後ろにあり、坂牧さんの声は榎戸さんには届かない。私は店へ電話した。榎戸さんは、メーカーへ伝えるため、ケースを開けてレンズの写真を撮っているところだと答えた。坂牧さんへ電話を渡すと、「今から戻ります。いったん閉めてください」と頼んだ。
榎戸さんがケースを閉めると、坂牧さんはそのまま店へ引き返した。預り票を返し、今日は一式持ち帰ると伝えた。榎戸さんはメーカーへの相談だけ続けることにして、左のレンズを元の枠へ戻した。
坂牧さんは受け取った眼鏡を、まだ掛けずに胸の前へ持った。眼鏡の向きを横へ変えると、左目には横の棚が見えると言った。自分の顔は正面を向いたままだった。枠へ戻しても、見える場所はレンズと一緒に動いていた。鼻の上に掛けて初めて、左右の眺めがそろった。
予備の眼鏡は鞄にしまった。折れた部分の修理はまだ済んでいないが、坂牧さんはその眼鏡を掛けて帰った。
11月28日、坂牧さんにその後のことを聞いた。メーカーへ修理に送る話は進めていない。白内障の手術も、しばらく考えたいと話した。手術で左目が見えるようになったとき、レンズの前の景色と自分の目の景色が、どちらも見えてしまうのではないかと思うと、決められないのだという。
自宅では、眼鏡を外して新聞を読むときの置き方が変わった。以前は食卓に置いていたが、その置き方で新聞を読むと、右目には紙面が見え、左目には食卓から見上げた自分の顔が見えた。記事を追って顔を近づけると、左目に見える自分の顔も近づいてきたという。
「新聞を読んでいるところを、自分で見てしまうんです」
坂牧さんは、新聞を開く前に眼鏡をケースへしまうようになった。ケースの中が暗くなったのを確かめてから、右目で読み始めている。



