地方の公民館では、小さな部屋を借りて朗読の集まりを開くグループがある。好きな随筆や短い小説を持ち寄り、順番に前の椅子へ出て読む。マイクも音楽も使わない。聞こえるのは、読む人の声と、席を立って歩く足音くらいである。
北都県南條市で朗読の集まりを開いている竹添邦枝さん(68歳)から、私に連絡があったのは2023年1月16日だった。近所の人たちと公民館の部屋を借り、月に2回集まっている。前回、誰も歩いていない所から靴音がして、読み手が何度か声を止めたという。
参加者の保浦和典さん(71歳)は、集まりには革靴で来ていた。竹添さんは最初、床に靴音が響くのだと思い、出番が済んだら静かに席へ戻ってほしいと頼んだ。保浦さんは、歩いている間には自分でも音が聞こえないと答えた。竹添さんが練習用に残した録音でも、朗読と足音は重なっていたという。竹添さんが知りたかったのは、誰に静かにしてもらえばよいのか、ということだった。
1月21日、私は次の集まりに参加した。窓側に読み手用の椅子を1脚置き、その前に聞く人の椅子を並べていた。舞台のない、木の床の部屋である。参加者は7人で、読む人は自分の席から通路を進み、前の椅子へ移る。
保浦さんが読む番になり、私は後ろの席から見ていた。保浦さんは本を開いたまま立ち、椅子の横を抜けた。途中で靴のつま先が床を擦った。足を少し引き戻し、それから歩く速さを上げて前へ出た。
その間、靴が床に当たる音はしなかった。本の紙が揺れる音や、保浦さんが前の椅子を引く音は聞こえた。ほかの人は座っており、通路には保浦さんしかいなかった。
保浦さんが腰を下ろし、題を読み始めた。その声に重なって、部屋の後ろで硬い音がした。続けてもう一つ。音のする所が、先ほど保浦さんの歩いた通路を、前へ近づいてくる。
私は横の床を見た。そこには誰もいなかった。音は近くを通り、少し先で長く擦れた。保浦さんがつま先を擦った所だった。その後の間隔は短くなり、前の椅子まで続いた。通路側に座っていた参加者の1人は、音が横を通るとき、椅子の脚を少し引いた。保浦さんは題の途中で口を閉じていた。両足は椅子の下にそろっている。
最後の音がやんでから、保浦さんは「今のです」と言った。その声は、動いていく足音とは違い、前の椅子にいる本人から聞こえた。
先に音が鳴り、その響きが室内に残っていたのではなかった。歩く姿を見ながら聞こえなかった音が、本人の着席後に、離れた場所から順に近づいてきた。
竹添さんは保浦さんに、いったん読むのをやめてもらった。隣室を使う人の足音かと思い、前回は廊下にも出たという。今回は私も竹添さんと部屋の外へ出た。隣室は使われておらず、廊下にも人はいなかった。音がやんだ後なので、さきほども無人だったとは言えない。ただ、私が室内で聞いた擦れと早足の並びは、目の前で保浦さんがした動きと合っていた。
部屋へ戻ると、保浦さんは前の椅子に座っていた。自分の靴を見下ろし、家や公民館の玄関では、歩けば普通に音がすると話した。いつからこの部屋で音が遅れるようになったかは、はっきり覚えていないという。
私は竹添さんの了承を得て、席の配置を撮った。通路には本も鞄も置かれておらず、後ろの席から前の椅子まで、同じ床が続いていた。通路の真ん中あたりで、床板の継ぎ目がわずかに盛り上がっていた。保浦さんがつま先を擦った所である。

保浦さんは、座ったままなら読めそうだと言った。竹添さんはほかの参加者にも確かめ、残りを聞くことにした。保浦さんが題から読み直すと、今度は足音が重ならなかった。短い文章を読み終えるまで、誰も席を立たなかった。
本文の最後には、作者が昔の知人を見送る場面があった。保浦さんは、終わりの1行だけゆっくり読み、本を閉じた。竹添さんが礼を言い、次は自分が読むと告げた。
保浦さんが後ろの席へ戻り、代わりに竹添さんが前へ出た。竹添さんの足音は、歩く足に合わせて聞こえた。保浦さんの足元からは、音がしなかった。2人は通路の途中ですれ違い、保浦さんは私の隣に腰を下ろした。
竹添さんも前の椅子に座った。部屋ではもう誰も歩いていない。保浦さんが「どうぞ」と言ったところで、前の椅子のそばから足音が始まった。通路をこちらへ来る。竹添さんは開いた本へ目を落としたが、まだ題を読まなかった。
保浦さんは自分の足を椅子の下へ引いた。竹添さんが顔を上げると、保浦さんは小さな声で言った。
「私はもう座っています」
保浦さんは両足を床から離し、そのままにしていた。音は通路を進み、椅子をよけて曲がった所で一度間が空いた。前の席の人が、保浦さんの読んだ文章の感想を言いかけたが、足音の方へ顔を向けて口を閉じた。音は私のすぐ横まで来て、やんだ。保浦さんが座っている席の前だった。竹添さんは、保浦さんが足を床へ戻すのを見てから、題を読み始めた。
集まりが終わった後、竹添さんは毎回の読み手と作品を書き留めているノートを見せてくれた。2015年から付けている大学ノートの4冊目である。私は、保浦さんがその日読んだ随筆集の題を探した。2022年10月15日の欄に、同じ題があった。読んだのは野上さんという参加者で、横に「途中まで(体調)」と書かれていた。
10月15日の欄には、野上さんの次に竹添さん自身が読んだことも書かれていた。野上さんは途中で読むのをやめ、後ろの席へ戻った。竹添さんは、席に着いた野上さんに「どうぞ」と言われてから前へ出たのを覚えていた。
野上俊夫さんは、2022年11月に73歳で亡くなった。その年の春、保浦さんを集まりに誘った人で、後ろの通路側の席に毎回座っていた。保浦さんが今座っている席である。
竹添さんによると、野上さんは集まりを始めたころからの参加者で、8年ほど通っていた。読むのはいつも随筆だった。体調を崩してからも、10月までは毎回来ていたという。
保浦さんは、自分の靴と本のことを話した。革靴と随筆集は、どちらも野上さんの物だという。12月の初め、野上さんの妻の節子さん(70歳)から、足の大きさが同じなら使ってほしいと渡された。随筆集には、10月に読みかけた所にしおりが挟まっていた。
「最後まで読んでから返そうと思っていました。靴は、そのままもらいました」
竹添さんのノートでは、保浦さんが革靴で来るようになった12月から、足音の書き込みが始まっている。「足音 保浦さんの後」と、2回続けて書かれていた。
1月23日、私は保浦さんを通じて節子さんに電話で話を聞いた。野上さんは、集まりから帰ると、通路の床の継ぎ目でいつもつまずくと笑っていたという。読み終えて席へ戻るとき、次の人に「どうぞ」と声を掛けるのも、野上さんの癖だった。
節子さんは、靴を渡したとき、夫が最後に集まりへ履いていった靴だとは言わなかった。保浦さんが気を遣うと思ったからだという。随筆集のしおりも、夫が挟んだまま抜かずに渡した。
保浦さんは、随筆集を節子さんへ返すことにした。しおりは、最後のページに挟み直してから返すという。靴は、もう少し履いてみるつもりだと話した。
1月21日の帰り際、竹添さんはノートの新しい行に「1月21日 保浦さん」と書き、随筆集の題を写した。その横に「最後まで」と書き足した。保浦さんは部屋の入口で靴ひもを結び直し、廊下へ出た。廊下では、歩く足に合わせて靴音がした。



