南條市の貸衣装店の緑の上着に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。明るい木の作業台に、前を開いた緑色の半袖の上着を広げている。左右の袖口は折り返されておらず、台の奥には裁ち鋏がある。

地方の貸衣装店に残る貸出の控えには、客の左右の腕の長さが、別々の数字で書かれていることがある。

北都県南條市の貸衣装店は、倉辻幹子さん(61歳)が一人で営んでいる。結婚式や発表会のほか、市内の劇団にも衣装を貸す小さな店だ。試着して袖が長ければ、袖口を内側へ折って長さを見せ、客が納得したら仮に縫い留める。返ってきた衣装は糸をほどき、元の長さに戻して棚へ掛ける。衣装ごとに貸出カードがあり、借りた人の名前と日付、袖丈などの寸法を手で書き込む。

2023年5月27日の土曜日、市内の劇団で芝居をしている片峯慎吾さん(34歳)が、6月の公演で着る衣装を探しに来た。試したのは緑色の半袖の上着で、肩と胸回りは合っていた。ただ、袖は劇団で用意した見本の写真より長い。袖口にボタンや飾りはなく、倉辻さんは内側へ折って長さを見てから、縫って留めることを提案した。

上着の袖は、片峯さんの肘の少し上まである。下には、自分で持ってきた袖のない黒いシャツを着ていた。袖の長さを変えても、むき出しの肘から手首までの長さが変わるはずはない。

劇団の衣装担当者は、その場にいなかった。片峯さんには、舞台で食卓へ両腕を置く場面がある。その姿勢で袖がどう見えるかを担当者へ送るため、倉辻さんは自分のスマートフォンで動画を撮ることにした。作業台には、裁断に使う1センチ方眼の敷物が広げてあった。電話を向かいの棚へ置き、上着の正面と台に置いた両腕が入るようにして、録画を始めた。

片峯さんは台の前へ座り、両肘から両手までを並べて載せた。袖を折る間は腕を動かさないでほしいと頼まれていた。最初の映像では、左右の肘も手首も、ほぼ同じ位置にある。

倉辻さんは、まだ縫わずに長さだけ見せるつもりだった。左の袖口を内側へ折り上げ、指で押さえた。片峯さんの左手が、台の上を肘の方へ滑った。

初めは、片峯さんが腕を引いたのかと思ったという。倉辻さんは折った布を持ったまま、「そのまま伸ばしていてください」と言った。片峯さんは伸ばしていると答え、左の手のひらを台へ押し付けた。

そのとき倉辻さんは、手首と肘の間が短いことに気づいた。左の肘は右の肘と並んだままだが、左の手首だけが、右の手首より拳1つ分ほど肘寄りにあった。左腕は横へ曲がっておらず、手と肘は台に着いていた。痛みも、腕を押し縮められた感じもなかったと片峯さんは言う。

「引いてません。腕は動かしてないです」

倉辻さんは、袖を折るときの手順そのものは、いつもと変わらなかったと話す。

「30年以上、何百枚も袖を折ってきました。折るときは、袖口を持って内へ返すだけです。腕を押したり、引いたりはしません。お客さんの手がこちらへ寄ってきたのは、初めてです」

倉辻さんが折り返しを開くにつれ、左手は台の上を肘から離れる向きへ動いた。肘は元の所にあり、肌の見える部分が長くなった。全部開くと、両手首はまた並んだ。倉辻さんはそこで作業をやめ、片峯さんは上着を脱いだ。

連絡を受けて私が店へ着いたのは、その日の午後だった。私は棚から撮った動画を、2人と一緒に見せてもらった。

まず、片峯さんが腕を引いた可能性を考えた。腕を引けば、肘も一緒に下がるか、肘が曲がるはずだ。映像では、左の肘は敷物の同じ線の上から動いていない。動いたのは手首から先だけで、方眼で数えると約9マス、9センチほど肘に近づいていた。右の手首は、同じ間ずっと同じマスにあった。

次に、撮った角度のせいで短く見えた可能性を考えた。両腕はカメラから同じくらいの距離にあり、同じ方眼の上に載っている。角度が原因なら、右腕も同じように短く見えるはずだ。

動画が後から手を加えられた可能性も確かめた。ファイルは倉辻さんの電話に1本だけあり、撮影の時刻は片峯さんが来店した時刻と合っている。まだ誰にも送っておらず、編集の画面を開いた跡もなかった。音も途切れずに続いており、布を折る音と倉辻さんの声が、映像の動きと同じ間合いで入っていた。

袖が腕を隠した可能性もない。袖は肘より上で終わっており、肘から先を覆う布はなかった。倉辻さんが触れていたのは二の腕の上の袖口だけで、むき出しの前腕には一度も手を掛けていない。片峯さんの腕が、台の下や別の布へ隠れた場面もなかった。

片峯さんは脱いだ後、左右の手を何度か並べ、指先がそろうことを確かめていた。倉辻さんは本人の了承を得て、医療機関へ連絡を入れていた。片峯さんは、このあと診てもらう予定だと話した。私は腕に触れたり、別の服で試したりすることは頼まなかった。

私は方眼の敷物を外し、木の台に広げた上着を撮影した。両方の袖は伸ばしてあり、左の袖口には折った筋が残っていた。裁ち鋏は机の奥にあり、糸も針も上着には使われていなかった。

霧島秀一撮影。緑色の上着の左袖を、明るい木の台へ平らに置いた接写。袖口には縁の縫い目があり、布に浅いしわが残っている。針や留め具は付いていない。
霧島秀一撮影。2023年5月27日、上着の左の袖口。撮影時は折り返しを開いてある。試着時の折り返しは縫い留めていない。

撮り終えると、倉辻さんが引き出しから、この上着の貸出カードを出してきた。上着は2018年に古着の業者から仕入れたもので、これまでに貸したのは一度だけだという。

カードの1行目に、2019年10月12日の貸出が書かれていた。借りたのは友人の結婚披露宴の余興で着るという男性客で、名前の横の寸法欄に、肩から手首までの腕の長さが、右と左で別々に記されている。左は右より9センチ短い。備考欄には「左腕短し 本人は否定」とあり、受付の欄に「芦」と1字だけ書かれていた。

倉辻さんは、この行を書いたのは当時店を手伝っていた芦原美弥子さん(72歳)だと言い、その場で電話をかけた。芦原さんは2021年に店を辞めている。私はスピーカーにした電話で、話を聞かせてもらった。

「覚えてますよ。左の袖を折って留めようとしたら、お客さんの左手がすっと縮んだように見えたんです。でも本人は、腕の長さは左右同じだと言う。それで巻尺を当てたら、本当に左が短い。測った数字はそのまま書くものだと教わってましたから、右と左を分けて書きました」

芦原さんが巻尺を当てたのは、左の袖口を折ったまま、仮に留めていたときだった。その客は袖を直さずに借りることにしたので、芦原さんは留め針を外した。その後に測り直したかどうかは、覚えていないという。

「返しに来たときは、上着の箱を両手で抱えてました。左右で手の届く所が違うようには見えませんでした。だから、私の測り方が悪かったんだと思うことにしたんです」

私はこの行を、客の体の特徴を書き留めたものだと思って読んでいた。しかし、数字を測ったのは左袖を折っていた間で、巻尺の目盛りは、この日の動画の方眼と同じ一点のずれを示していた。4年前の店では、それは客の腕の長さとして記録され、「本人は否定」と書き添えられた。

倉辻さんはカードの2行目にこの日の日付と片峯さんの名前を書いたが、寸法欄は空けたままにした。備考欄には「左袖 折らないこと」と書いた。上着は、ほかの衣装と混ぜずに奥の棚へ掛けることになった。

片峯さんは劇団の衣装担当者へ電話して、今日は衣装を借りないことと、袖を折った際に腕の形が変わったことを、自分の言葉で伝えていた。倉辻さんにも、動画を残しておいてほしいと頼んだ。

帰る前、倉辻さんは椅子の背に掛けてあった片峯さんの薄い上着を取った。店へ来たときに着ていた、片峯さん自身の服だ。倉辻さんは前を開いて持ち、片峯さんが腕を通せるようにした。

「自分で着ます」

片峯さんは上着を受け取った。右腕を通した後、左の袖口を右手でつかんで伸ばした。折れた所がないことを確かめてから、左腕も通した。

倉辻さんが襟を直そうとして手を上げると、片峯さんは「そのままで」と言った。襟の片側は、内へ巻き込まれていた。片峯さんは店の戸を開けるまで、それを自分でも直さなかった。

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