地方の町では、同じ職場で長く働いた人どうしが、辞めた後も物の貸し借りを続けることがある。急な雨に傘を貸し、寒い日に上着を貸す。借りた物を返しに来れば、玄関先で少し話をして帰る。用がなければ、会う間隔は空いていく。
借りていた傘を返した女性は、帰り際、玄関の外で小鳥の群れになった。2023年11月25日、私は北都県南條市に住む志津乃さん(仮名、72歳)の家で、その変化を見た。女性に貸したばかりの灰色のマフラーも、鳥が飛び立った後には残っていなかった。
志津乃さんから連絡があったのは3日前だった。物を返しに来る知人に、一緒に会ってほしいという。知人の名は美由子さん(仮名)で、かつて同じ食堂で働いていた。ただし、美由子さんは2020年に68歳で亡くなり、志津乃さんは葬儀にも出ていると、初めの電話で聞かされた。
志津乃さんは、返し物に来る日を25日と約束したので、その時間にいてほしいと言った。記事に書くことと、家や返された物を撮ることについては了承を得た。
昼過ぎに訪ねると、志津乃さんは玄関の靴箱の上へ、灰色の毛糸のマフラーを置いていた。来客用のスリッパは出していなかった。来る女性はいつも、玄関で少し話して帰るのだという。
志津乃さんは、食堂の仲間と撮った写真を見せてくれた。駅前にあった食堂で、2018年に店を閉めている。2人はそこで20年近く一緒に働いた。5人のうち、志津乃さんの隣に立つ、髪の短い女性が美由子さんだった。働いていた頃は、急に雨が降ると互いの傘を貸し、次の出勤日に返していた。2人とも店を辞めた後は、用事がないと会う間隔が空くようになったという。
写真と一緒に保管されていた会葬礼状には、美由子さんの姓名と、2020年の日付があった。喪主は娘の佳奈さん(仮名、44歳)だった。私は生前の美由子さんに会ったことがない。
呼び鈴が鳴り、志津乃さんが戸を開けた。外には、紺色の上着を着た女性が立っていた。髪形と顔立ちは写真の人によく似ていた。女性は玄関のたたきへ入り、畳んだ青い傘を差し出した。
「遅くなってごめんね。乾かしてからと思って」
志津乃さんは傘を受け取り、私を紹介した。女性は私を見て会釈し、今日は風が冷たい、と言った。声は低く、話す時に右の眉が少し上がった。志津乃さんは、その癖も美由子さんと同じだと後で話した。
女性は上がってお茶を飲むよう勧められたが、今日は帰ると答えた。どちらまで帰るのか私が尋ねると、家の前の道の先を指した。そこから先の住所は言わなかった。
志津乃さんは靴箱の上からマフラーを取り、女性の首へ掛けた。
「これをしていって。返すのはいつでもいいから」
女性は両端を胸の前へ垂らし、ありがとう、と言った。私は玄関から2人の後について外へ出た。玄関前の床はコンクリートで、戸の横には葉のない鉢植えが2つ置いてあった。
女性が門へ向き直ると、右の頬が細かく動いた。皮膚の上に何かが付いたのかと思ったが、頬のあった所から小さなくちばしが出た。続いて茶色い頭がいくつも離れ、女性の鼻と口が見えなくなった。
紺色の袖も細かく分かれ、羽を広げた鳥が左右へ飛んだ。首にあった灰色の編み目は、小さな翼の間で途切れ、そのままなくなった。膝から下に人の形が残っている間に、肩のあった高さには向こうの塀が見えていた。
最後に、黒い靴の先が丸い鳥の腹へ変わった。そこから細い2本の脚が下り、コンクリートを蹴った。体が倒れたり、鳥の陰へ人が走り去ったりしたのではない。足元から頭まで見ていた場所に、人も衣服も残らなかった。
鳥はスズメほどの大きさで、茶色い頭と白っぽい頬があり、頬には黒い斑が見えた。ほとんどは隣家の屋根の方へ飛び、1羽だけ鉢の縁に留まった。私はその1羽を撮った。数秒後に飛び去るまで、鳴き声は聞こえなかった。

志津乃さんは飛んでいった方を見上げ、それから玄関へ戻った。私は戸口と鉢を撮り、マフラーが地面へ落ちていないか尋ねた。志津乃さんも鉢の裏まで見たが、見つからなかった。
前にも鳥になったところを見たのかと聞くと、志津乃さんはうなずいた。初めて見たのは今年の6月だった。美由子さんに似た女性が家へ来て、昔借りたという薄い上着を返した。志津乃さんは、上着を貸したこと自体を忘れていたという。返された上着は雨にも濡れておらず、樟脳のにおいがしたそうだ。
その日は雨だったので傘を貸した。女性が庭で鳥へ変わると、傘もなくなった。2週間ほどして、同じ傘を持った女性が来た。志津乃さんは怖かったが、傘を受け取った後は、食堂で働いていた頃の話をしたという。
それ以降も、返却のたびに別の物を貸したと話した。今回の青い傘は、11月5日に貸した物だった。途中からは、天気を見て玄関へ傘や上着を出しておくようになった。
「返す物がなかったら、わざわざ来ない人だったんです」
志津乃さんは、昔の美由子さんについてそう言った。来なくなるのは嫌なので、何も渡さず帰した日はないという。
私は、写真の美由子さんと来訪者が同じ人だとは確かめられなかったと伝えた。志津乃さんは、それでも今日、話をした女性と鳥を両方見たのですね、と聞いた。私が見た順に答えると、青い傘を靴箱の脇へ立てた。
「なら、今度も待っていていいんですね」
志津乃さんは返事を待たず、廊下のハンガーから茶色いコートを外した。次はマフラーを返しに来るだろうから、もう薄い上着では寒いと思って、と話した。コートを玄関へ持ってきて、袖を通しやすいよう、前のボタンを全部外した。
11月27日、私は会葬礼状にあった喪主の佳奈さんに電話をかけた。志津乃さんの了承を得て、6月に返された上着のことを尋ねた。
佳奈さんは、母親の遺品の中に、口を折った紙袋が一つあったと話した。表に母親の字で「志津乃さんへ返す」と書かれ、中には薄い灰色の上着が入っていた。食堂を閉める少し前に、急に冷えた日に借りた物だと、生前の母親から聞いていたという。
志津乃さんの住所が分からず、佳奈さんは紙袋を自分の家の押し入れにしまっていた。今年の6月、押し入れを片付けたときには、紙袋はなかった。どこかへ移したのだと思い、気にしていなかったという。
母親は亡くなる前の年、志津乃さんに会いに行きたいと何度か話していた。住所を書いた年賀状が見つからず、そのままになった。佳奈さんは、母が借りていた上着が志津乃さんの家に戻っていると聞いて、しばらく黙った。それから、母がようやく返せたのなら、それでいいと言った。
11月28日、私はもう一度志津乃さんの家を訪ね、佳奈さんの話を伝えた。志津乃さんは押し入れから、6月に返された上着を出してきた。薄い灰色の木綿で、襟に食堂の名前の刺しゅうが残っていた。店で働く5人に1着ずつ渡され、仕事の行き帰りに羽織っていた物である。志津乃さんは6月に受け取ったとき、襟の内側に縫い付けた自分の名札を見て、自分の物だと分かったという。
上着の内ポケットには、小さく畳んだ紙が入っていた。食堂の注文伝票で、裏に鉛筆で「上着 志津乃さんに借り」と書かれている。志津乃さんは、美由子さんの字だと言った。
志津乃さんは佳奈さんの電話番号を書いた紙を、電話台の横に貼った。伝票は元のポケットへ戻し、上着を畳み直して押し入れへしまった。玄関の靴箱の上には、ボタンを外した茶色いコートが、3日前と同じように置かれていた。



