地方では、年賀状の宛名を手書きにする家がまだ多い。字のきれいな知人に頼み、毎年11月の終わりに、はがきと住所録の束を渡す。書き終われば、礼に菓子や器を添えて受け取りに来る。頼む側が印刷に切り替えれば、その習慣はそこで終わる。
北都県柳瀬市に住む藤戸康章さん(68歳)は、湯飲みの中から年賀状の宛名書きを頼まれた。声は元同僚の三竹晴夫さん(74歳)に似ていた。三竹さんへ電話をすると、今年は誰にも頼んでいないという返事だった。
藤戸さんは2022年に勤めを辞めた。三竹さんとは同じ職場で働いていた。2008年ごろから前年まで毎年、三竹さんが個人で出す年賀状の宛名を書いている。藤戸さんの字を見た三竹さんが、親戚へ出す分を頼めないかと言ったのが始まりだったという。
三竹さんは毎年11月の終わりに、挨拶文を印刷したはがきと住所録を持ってきた。藤戸さんは筆ペンで1枚ずつ宛名を書き、乾かしてから束に戻した。去年は退職後だったが、同じように引き受けた。今年も机の上の雑誌を片付け、はがきを並べる場所を空けていた。例年なら三竹さんが来るころだと思っていたという。宛名は毎年80枚前後で、書き終えるのに3日かかった。三竹さんの親戚の名前は、書いているうちに覚えてしまったという。
2023年11月26日の午後、藤戸さんがその机で茶を飲もうとすると、湯飲みの中から声がした。
「今年も宛名をお願いできるか」
薄茶色の茶の表面に、上下の唇ができていたという。皮膚の色はなく、唇の向こうに湯飲みの底が透けて見えた。口が閉じても、2つのふくらみは茶の上に残っていた。
藤戸さんは湯飲みを机へ置き、部屋を出た。しばらくして戻ると茶は平らになっていた。その日のうちに三竹さんへ電話をし、宛名を頼んだか尋ねた。三竹さんは頼んでいないと答え、今年は宛名まで自宅のプリンターで印刷した、と説明した。
それから2日後、藤戸さんは同じ湯飲みに茶を入れ、また声を聞いた。三竹さんの話を確かめに行ってほしい、と私へメールをくれた。藤戸さんは、口の話を三竹さん本人にはしていなかった。頼んでいないことを、何度も頼んだはずだと言うのは嫌だったという。
私は藤戸さんから紹介を受け、11月30日に三竹さんを訪ねた。三竹さんは、袋に入れた年賀状を机へ出した。宛名側も挨拶文の側も、すでに印刷されていた。82枚ある。束の横には、使い終えたインクの箱が2つ置いてあった。私にも、藤戸さんへ例年頼んでいたことと、今年は依頼していないことを話した。
挨拶文の最後には、例年にない一文が刷られていた。「勝手ながら、本年をもちまして年始のご挨拶を失礼させていただきます」。三竹さんは、来年から年賀状を出すのをやめるのだという。出す最後の年だから、宛名まで自分で済ませたかった。刷り上がったはがきは、まだポストに入れていない。年賀状の受け付けが始まる12月15日に、まとめて出すつもりだという。
三竹さんは今年の春から、右手の指がしびれるようになった。藤戸さんに頼めば書いてもらえるのは分かっていたが、もう勤めも辞めた人に頼み続けるのは悪いと思ったという。
私は束を数えさせてもらった。82枚のどれにも、藤戸さんの名前はなかった。三竹さんは毎年、藤戸さんにも年賀状を出していたが、今年は入れていなかった。
住所録も見せてもらった。藤戸さんが2008年に清書した大学ノートで、三竹さんは毎年、亡くなった人に線を引き、新しい住所を書き足してきた。最後のページには、藤戸さんの住所が三竹さんの字で書かれていた。今年の印刷には、その行だけが使われていない。
「藤戸くんには、直接会って言うつもりだったんです。はがきで終わりを知らせるのは、あの人には悪い気がして」
私は湯飲みの口のことも説明したが、三竹さんには思い当たることがないという。三竹さんは、その場で藤戸さんへ電話をした。私は隣で声を聞いていた。三竹さんは、宛名は印刷したので今年は書かなくてよい、ともう一度伝えた。年賀状をやめることも、そのとき初めて話した。電話の向こうで、藤戸さんはしばらく黙っていた。
12月2日、私は藤戸さんの家へ行った。机の中央には何も置かれておらず、脇に筆ペンと、藤戸さん自身が使う無地のはがきがあった。筆ペンは、毎年この時期に1本買い足していた物だった。藤戸さんは台所で白い湯飲みを洗い、私の前で急須からほうじ茶を注いだ。底に青い輪のある、手のひらに収まる器だった。
湯飲みは、宛名書きを始めた2008年の暮れに、三竹さんが礼として持ってきた物だという。箱は捨てたが、それから毎日使っている。三竹さんの妻が通っていた陶芸教室で焼いた物だったと、藤戸さんは後から聞いた。
湯飲みを置いて話し始めると、茶の中央が持ち上がった。横長のふくらみが上下に分かれ、間に細い隙間が開いた。上側の中央には、人の上唇と同じようなくぼみがあった。鼻や顎はない。唇は茶と同じ薄茶色で、表面に窓の光が映っていた。
「今年も宛名をお願いできるか」
言葉に合わせて隙間が広がり、すぼまった。私にも三竹さんに似た声が聞こえたが、声の主は確かめられなかった。藤戸さんは机に両手を置き、黙って口を見ていた。
藤戸さんは、湯飲みの底に敷く布を引き寄せた。器を持ち上げたときに少し傾き、盛り上がった唇が崩れた。茶は器の内側へ流れ、平らな面へ戻った。布の上に置くと、中央にもう一度、同じ形の口ができた。流れた茶が唇の形へ戻るところを、私は見た。
私は藤戸さんに断り、机から少し離れて器を撮った。それから近くへ寄り、茶の表面を撮影した。口が閉じても、上下のふくらみは残っていた。

「もう印刷したって聞いたよ。晴夫さんから電話もあった」
藤戸さんが言うと、茶の口が開いた。
「じゃあ、俺の名前だけ書いてくれ」
藤戸さんは筆ペンのふたを外した。はがきを1枚取り、宛名側の中央に「三竹晴夫様」と縦に書いた。三竹さんが誰かへ送るための宛名ではない。今度は三竹さん自身の名前が、受取人を書く場所へ入った。住所も郵便番号も書かなかった。
藤戸さんがはがきを立て、文字を湯飲みの方へ向けると、口は「助かった」と言った。唇のふくらみが低くなり、茶の表面は平らに戻った。はがきは藤戸さんの手に残っていた。
藤戸さんは、はがきを机の奥へ置いた。三竹さんへ送るのかと尋ねると、首を振った。
「晴夫さんは、もう頼んでいないんですから」
藤戸さんはそれから、30日の電話のことを話した。年賀状をやめると聞いて、藤戸さんは、自分の所にはもう来ないのかと尋ねた。三竹さんは少し黙ってから、そうなる、と答えたという。
机の引き出しには、これまでに三竹さんから届いた年賀状が、輪ゴムで束ねてしまってあった。15枚あり、どれも宛名は三竹さんの字だった。一番上の去年の1枚は、宛名の字が少し震えていた。
「毎年、私が書き終えた宛名の束を受け取りに来ると、その翌月に、私宛ての1枚が届いたんです。私の名前だけは、晴夫さんが自分で書いていました」
字が乾くまで待つと、藤戸さんは湯飲みを持ち上げ、その下の布を抜いた。はがきを宛名のある面を上にして置き、そこへ湯飲みを載せた。
「いつも、書いたら渡していましたから」
白い器が「三竹晴夫」の文字を覆い、その手前に「様」の一字だけが見えていた。藤戸さんは、この湯飲みに茶を注ぐのを、年が明けるまでやめておくという。



