地方の古道具店の帳面には、品物を誰から買ったのかが、何十年も書かれないまま残っていることがある。
北都県柳瀬市の小さな古道具店は、茶碗や皿、木の盆などを扱っている。2023年11月末、この店を佐名川隆央さん(仮名、44歳)が引き継いだ。前の店主の川添紀生さん(仮名、76歳)は、1987年から一人で店を続けてきた。佐名川さんは以前から休日に販売を手伝っており、川添さんから店内の品物をまとめて買い取った。
古い品を買い取って売る店は、警察署を通して許可を受けて営業する。買い取りのたびに、日付、品物、数、払った額、売り手の住所と氏名を台帳に書く決まりがある。盗まれた品が店に入ったとき、どこから来たのかを後からたどれるようにするためだ。安い品は書かずに済む場合もあるが、川添さんは皿1枚でも書く人だった。佐名川さんが引き継いだ台帳は、大学ノートで31冊ある。
引き継ぐとき、佐名川さんは床の下に倉庫があると教えられた。店の奥にある背の高い棚の脇から下りるという。ところが、下りるための穴もふたも見当たらなかった。川添さんは、その棚は動かさなくてよいと言った。棚の裏にも、まだ品物があるという説明だった。
12月3日、佐名川さんは売り場を広くするため、その棚を少し壁へ寄せた。空いた床へ踏み込むと、右の靴が足首まで沈んだという。左足へ体重を戻し、右の膝を持ち上げると、右足を床から引き抜けた。木の板は踏み抜いておらず、靴の先にも傷はなかった。
すぐ川添さんを呼ぶと、床を壊したのではないと言われた。川添さんは同じ所から下り、しばらくして青い線のある飯茶碗を持って上がってきた。店に1客だけあった物と同じ柄だった。
「下の分も引き継いでもらったから、足りなければ取ればいいんです」
佐名川さんは、その茶碗の内側がぬれていたことを覚えていた。水を入れてひびを確かめたのかと聞くと、川添さんは洗ってきたと答えた。古い品を店へ出す前に洗ったのだと思い、その日は2客を並べておいたという。
佐名川さんから連絡を受け、私は12月8日の午後、2人が会う時間に店を訪ねた。川添さんは、倉庫への入り方を改めて教えに来ていた。佐名川さんが自分で下りたことは、まだなかった。
私は先に建物の外を見た。店の裏手に回ると、床下の地面までは30センチほどしかない。地下室を掘った跡も、明かり取りの窓もなかった。床は茶色い板張りで、棚の横から奥の壁まで同じ板目が続いていた。
川添さんは棚の脇に立つと、右足を前へ出した。靴先が板の面を通り、足首が見えなくなった。左足も入れ、さらに数歩進むと、川添さんの腰が床の高さまで下がった。
川添さんはそこで止まり、私を見上げた。私は断って、その状態を撮った。体の左右には床板が続き、腹の前にも同じ板目が見えていた。体を入れる穴の縁はなかった。

「段があります。足を下ろせば分かります」
川添さんはそう言って下り続けた。肩、顎、頭の順に床へ入り、最後に髪が見えなくなった。川添さんが消えた所にも、平らな床板が続いていた。板の下から、もう来てよいという声がした。
佐名川さんが先に下り、私も後に続いた。足を入れると、靴底に硬い面が当たった。次の足を前へ出すと、もう一段低い所へ置けた。足元に段は見えず、店の床が腰、胸と上がってくる。板が顔に触れる感触はなかった。目の高さが床を越えると、急に下の部屋が見えた。
小さな部屋の中央に、四角い食卓があった。上には青い線の飯茶碗と、魚を載せた小皿が置かれていた。椅子は2脚あり、片方だけが引かれている。棚には皿が立ててあったが、包装紙や売値の札は見えなかった。倉庫というより、誰かの台所に近かった。
私たちの後ろには木の階段があり、上の数段は天井の中へ入っていた。部屋の奥には閉じた戸が1枚あった。川添さんはそちらへ声を掛けず、食卓の前へ進んだ。
飯茶碗には白い飯が半分ほど残っていた。小皿の魚は片側が崩れており、身から離れた骨が皿の端へ寄せてあった。箸は2本とも食卓へ置かれ、先に飯粒が付いている。部屋には、私たち3人のほかに人の姿はなかった。
川添さんは飯茶碗を持ち上げた。
「これで3客になりますね。中を空けて洗えば、上の2つと一緒に売れます」
佐名川さんは手を出しかけたが、受け取らなかった。3日に持ってきた茶碗もここから取ったのかと尋ねた。川添さんは、食卓の反対側を指した。そのときはそちらに置いてあり、中に残っていた飯は、部屋の脇の流しで捨てたという。
川添さんは、茶碗のほかにも、食卓や棚から皿を取って売り場へ運んでいたと話した。傷の少ない物を選び、洗ってから値段を付けていた。上にもともとあった1客も、この部屋から取った物だという。佐名川さんは川添さんの手の茶碗を見ていた。
「それ、食べている途中じゃないですか」
川添さんは、中の飯へ目を落とした。茶碗を渡そうとしていた手を引き、茶碗の外側へもう片方の手を添えた。
「まだ温かいですね」
川添さんは茶碗を食卓へ戻した。飯が盛られた時刻も、誰が箸を置いたのかも分からない。私たちは奥の戸を開けなかった。この部屋で誰かに会ったことがあるかと聞くと、川添さんは、ないと答えた。
私は2人の後について階段を上った。頭が天井を越えると店内が見え、最後に靴が床の上へ戻った。
店に戻ってから、佐名川さんは台帳を出した。上にもともとあった青い線の茶碗を探すと、2019年4月の欄に1客の記入があった。品名と数は書いてあるが、払った額の欄は空いている。売り手の欄には住所も氏名もなく、鉛筆で「下」とだけあった。
「下」と書かれた行は、31冊のどの年にもあった。最も古いのは開店した1987年の秋で、ほかの行と同じ字で皿や盆が並んでいる。数えると600行を超えた。川添さんの売上の帳面と照らすと、店で売れた品のおよそ3割が、この行の品だった。
古い年の「下」の行には、払った額の欄に「置」の字と金額が書いてあった。1987年の行では、皿5枚に「置 1500」とある。川添さんに聞くと、初めのうちは品物を取るたびに、代金を封筒に入れて食卓へ置いてきたという。封筒は、次に下りたときにはなくなっていた。
「置」の字は1998年の行を最後に途切れ、その後の行は金額の欄が空いたままだった。佐名川さんが理由を尋ねると、川添さんは、置いても置かなくても下の様子は何も変わらなかった、と答えた。
佐名川さんは、売り場に並べた青い線の茶碗を2客とも棚から下ろした。底に貼ってあった小さな値札をはがし、2客をカウンターに並べた。私は2人に断り、その茶碗を撮った。佐名川さんは川添さんに尋ねた。
「下にあった品は、誰から買ったんですか」
川添さんは答えず、奥の棚を見た。しばらくして、店を始めた頃からあの部屋はあり、品物はそこに置かれていた、と話した。下りるのが嫌なら、自分が残りを運んでもよいとも言った。佐名川さんは首を振った。
佐名川さんは台帳の新しいページを開き、その日の日付の下に「青線飯茶碗 2客 返却」と書いた。売り手の欄には何も書かなかった。それから、3日に川添さんが持ってきた方の茶碗を取り、空の内側を見てから川添さんの前へ置いた。
「今から返しに行くなら、最初に声を掛けてください」
佐名川さんはそう言い、川添さんの前へもう1客も寄せた。川添さんは2客を抱え、棚の脇へ立った。まだ両足を床の上に置いたまま、下の部屋へ呼び掛けた。
「川添です。茶碗を返しに来ました」


