南條市の個人スーパーの包装台に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。スーパーのレジ横にある包装台。台の奥に黒い卓上マイクがあり、手前の床には誰もいない。

地方の個人スーパーでは、従業員を店内放送で呼び出すことがある。レジが混んだときや、贈り物の包装を頼まれたとき、マイクで名前を呼べば、売場のどこにいても包装台へ来てくれる。呼ばれた人は手を止めて向かう。辞めた人の名前を呼ぶことはない。

浜坂佳代さん(仮名、64歳)は、辞めた店の放送で名前を呼ばれ、自宅から包装台の前へ戻された。電話で頼まれた仕事を手伝いに行ったのではない。洗濯物を干していたはずなのに、両手でかごを持ったまま、店の床に立っていたという。

浜坂さんは北都県南條市内の個人スーパーで18年働き、2023年11月末に退職した。贈答用の菓子や飲料の包装をよく任されていた。勤務中は、売場で名前を呼ばれると、作業を止めて包装台へ向かっていた。

今年の10月ごろからは、向かう前に着いてしまうことがあったという。棚に商品を並べていると、天井のスピーカーから自分の名が聞こえる。次には包装台の前におり、まだ手に持っていた商品を、そこへ置くことになった。

浜坂さんは初め、疲れて移動した間のことを覚えていないのかと思った。だが、自宅から店へ戻された12月3日には、途中の道を歩かなかったことがはっきり分かったという。足元は、洗濯物を干すときのサンダルだった。通勤に使っていた自転車は、自宅に置いたままだった。

呼び出した店員は、浜坂さんの退職を知っていた。近所なので買い物に来ているかもしれないと思い、放送したと説明したという。浜坂さんは、その場で頼まれた箱を1つ包んでから、かごを抱えて歩いて帰った。

「お客さんは待っているし、以前にも包装を頼まれたお客さんでしたから」

浜坂さんは、そうして帰ったことを後悔していた。自分が引き受けた仕事として、お礼を言われたためだという。再び呼ばれるのが嫌だと店長へ伝えた後、12月9日に私へ連絡してきた。

14日の午前、私は店長の古溝正康さん(仮名、59歳)を訪ねた。浜坂さんの話を確かめ、本人が呼び出しをやめてほしいと求めていることも伝えた。店は1979年に古溝さんの父親が開き、従業員は古溝さんを含めて9人いる。

古溝さんも、10月に自宅から戻されたことがあると話した。昼食後、使った茶碗を流しへ運んでいる途中だったという。店では商品券の扱いについて、古溝さんを呼んでいた。そのとき放送で古溝さんを呼んだのは、包装台にいた浜坂さんだった。

「自分の方も、出られるかどうか聞いてもらわないと困ります。名前を放送する前に、電話で確かめるようには言ったんです」

12月3日の後には、浜坂さんを放送で呼ばないよう、売場にいた店員へ改めて伝えた。包装台の横の連絡ノートにも、12月4日の日付で「浜坂さんは退職。店内放送で呼ばないこと」と書いた。ただ、ほかの日や時間帯に働く店員にも伝わったかは、確かめていなかった。

包装台はレジの横にあった。客への案内や従業員の呼び出しに使う卓上マイクが、台の奥に置いてある。連絡ノートは、マイクの脇の包装紙の束の下に挟まっていた。台の引き出しには、浜坂さんが使っていた鋏が、名前を書いたテープを巻いたまま入っていた。古溝さんに断り、マイクと台、その前の空いた床を撮った。

正午前、古溝さんは昼食のため、近くの自宅へ帰った。私は、午後に出勤する従業員にも話を聞く約束があり、店内に残っていた。

12時を過ぎると、販売員の稲形美佐子さん(仮名、47歳)が包装台へ来た。客が持ってきた菓子の箱を見て、マイクのスイッチを押した。

「浜坂佳代さん、包装台までお願いします」

私は稲形さんへ近づきかけた。目の前の、誰もいない床の上に、白いかごの縁が現れた。その下にはまだ床が見えていた。かごの左右に手ができ、灰色の袖、胸元、顔が続けて現れた。サンダルを履いた両足が床につくまで、横から入ってくる人はいなかった。

浜坂さんはかごを傾け、落ちかけた青いタオルをつかんだ。私は反対側の縁を支えた。かごには重さがあり、押さえたタオルは濡れていた。浜坂さんは私を見てから、マイクの前に立つ稲形さんへ向き直った。

「今日は家にいたんです。ここへ来る用事はありません」

稲形さんは謝った。先ほど客から、いつも包んでくれる浜坂さんはいないかと聞かれ、売場にいるなら呼ぼうと思ったという。稲形さんは土日と木曜の昼だけ働いており、連絡ノートは見ていなかった。稲形さんは、浜坂さんに包み方を教わった1人で、リボンの結び方は今もうまくできないという。

浜坂さんは、かごを台の端へ置いた。私は、ここへ来る前も洗濯物を干していたのかと尋ねた。浜坂さんは、これからベランダへ出るところだったと答えた。浜坂さんの了承を得て、包装紙のそばに置かれたかごを撮った。

霧島秀一撮影。包装台の端に置かれた白い洗濯かご。縁に青いタオルが掛かり、隣には淡い色の包装紙がある。
霧島秀一撮影。2023年12月14日正午すぎ、同じ包装台。浜坂さんが自宅から持ったまま現れ、台の端に置いた洗濯かご。

浜坂さんは、借りた店の電話から古溝さんへ連絡した。名前を呼ばれて来てしまったことと、仕事をせず帰りたいことを伝えた。受話器を少し耳から離していたため、古溝さんの声は私にも聞こえた。

古溝さんは謝り、昼食の片付けをしたら戻るので、それまで待ってもらえないかと言った。浜坂さんは、洗濯物を干したいと答えた。

「その箱だけでも。もう来てもらっているので」

浜坂さんは客の箱を見た。まだ包装紙の上へ置かれておらず、ふたには代金を払った印のテープが付いていた。

浜坂さんは受話器を握ったまま、少し黙った。それから、10月のことを話し始めた。

「10月に店長から、来年からは包装の人を置かないと言われたんです。それで、私から辞めると言いました」

古溝さんは電話口で、それを認めた。人件費を減らすため、包装を専門にしていた浜坂さんの勤務を、年明けから週2日に減らすつもりだった。そう伝えた翌週、浜坂さんは11月末で辞めると申し出た。退職届には「一身上の都合」と書かれている。退職の日に店から渡された花束の札には、「長い間ありがとうございました」とあった。浜坂さんは、その札を今も台所の壁に貼っている。

浜坂さんが放送で呼ばれて包装台へ着いてしまうようになったのは、その10月からだった。古溝さんは、浜坂さんの勤務を減らす話をした後も、贈答品の包装を浜坂さんへ回していた。11月の最後の週は、1日に10箱以上包んだ日もあったという。

「お客さんが浜坂さんの包み方を気に入っていて、ほかの人に頼みにくかったんです」

古溝さんは電話でそう言った。12月3日に浜坂さんが包んだ1箱の分の手間賃は、まだ払っていなかった。浜坂さんは、それを聞いても何も答えなかった。

「では、店長にお願いします」

浜坂さんはそう言って電話を切った。マイクを自分の方へ向け、スイッチを押した。

「古溝正康さん、包装台までお願いします」

台の前に、白い茶碗と、それを持つ手が現れた。古溝さんの上体が続き、足元に紺色の室内履きができた。右手には濡れた箸を持っていた。

古溝さんは箸を握ったまま、浜坂さんを見た。浜坂さんはマイクから手を離し、客の箱を指した。

「こちらを、贈り物にするそうです」

浜坂さんは洗濯かごを抱え直した。サンダルが脱げないよう、片足ずつ履き直してから出口へ歩いていった。

古溝さんは稲形さんに、茶碗を置く場所を空けてほしいと言った。稲形さんが包装紙を寄せると、古溝さんはそこへ茶碗を置き、箸を2本そろえて縁に渡した。連絡ノートを包装紙の束の下から抜き、マイクの真横へ立てかけた。客の箱を手前へ引き寄せたのは、その後だった。

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