地方の日本舞踊の稽古場では、先生が習う人の踊りを見て、つまずいた所から「もう一度」と声を掛ける。習う人は少し前の形へ戻り、そこから踊り直す。近ごろは、本人が後で見返せるよう、稽古を動画に撮ることも多い。戻る場所を決めるのは、習う人の方である。
先生が「もう一度」と声を掛けると、踊り終えた人の体が、それまでと逆の順に動き出した。床へ落とした手拭いも、触れないうちに手へ戻った。北都県南條市で日本舞踊を習う端山澄江さん(54歳)から、その稽古を撮った動画を見てほしいと連絡があった。2024年1月23日のことである。
撮影したのは、指導する津金芳代さん(79歳)だった。津金さんにも了承を得て、私は25日、南條市内の稽古場で2人に会った。
端山さんは仕事の休みの日にこの部屋へ通い、習い始めて3年になる。1月21日には、手拭いを両手で広げたり、片手に持ち替えたりする短い踊りの終わりまで教わった。曲に合わせて通して踊ったのは、その日が初めてだったという。
津金さんは、自分のスマートフォンを棚に立てて撮っていた。踊る場所は、家具を壁際へ寄せた板敷きの部屋である。窓は冬の間閉めたままで、暖房も踊る前に切っていた。端山さんの全身と、部屋の端に座った津金さんが、同じ画面に収まっている。
私は撮影に使ったスマートフォンで、踊り始める前から動画を見せてもらった。端山さんは白地に藍色の細い縞がある手拭いを持ち、部屋の奥から手前へ進む。途中で体を左へ向け、両端を持っていた手拭いを右手だけに持ち替えようとした。指から布が外れ、右足のそばへ落ちた。
端山さんが下を見ると、津金さんは「そのまま続けて」と言った。端山さんは手拭いを置いたまま、最後の足運びまで踊った。正面へ向き直り、一礼して上体を起こしたところで、津金さんが声を掛けた。
「持ち替えるところから、もう一度」
端山さんは返事をする前に、上体を下げた。さっきの礼と同じ深さまで下がり、また起きる。次に右足が後ろへ下がり、左足が寄った。腕も、最後に下ろした位置から胸の高さへ上がっていく。
「待ってください。足が止まらないんです」
声は普通の語順で、津金さんに呼び掛けていた。津金さんは立ち上がり、曲を流していた小さな再生機のボタンを押した。曲は止まったが、端山さんの足は動き続けた。近づこうとする津金さんに、端山さんは手を出さないでほしいと言った。腕を自分の思った方へ動かせず、つかまろうとすると津金さんをたたいてしまいそうだったという。
端山さんの右足が、手拭いを落とした場所へ戻った。誰も布に触れていないうちに、その端が起き、折れた部分がほどけながら上へ揚がった。糸や紐は画面のどこにも映っていない。腰の高さで開いた右手の中へ、その端が入った。
布を握った右手が胸の前へ戻ると、左手がもう一方の端をつかんだ。端山さんは布を両手で広げた姿勢のまま体を右へ回し、後ろへ歩いた。落とした後の動きだけで止まらず、落とす前にした足運びも逆にたどっていた。
端山さんは部屋の奥まで戻り、手拭いを胸の前へ下ろした。動画の初めに構えた位置と姿勢だった。そこで足が止まった。端山さんはすぐに横へ1歩出て、壁へ手をついた。津金さんが椅子を持ってくると、自分で歩いて座った。
戻り始めてから止まるまでは、踊るのにかかったのと同じくらいの長さだった。動画を逆に再生したものでないことは、画面の端で見て分かる。床の手拭いをよけて近づく津金さんは、前へ歩いたままだった。
端山さんは、元の場所へ戻ろうと思ったわけではないと話した。落とした手拭いを拾って、持ち替えのところだけ教わるつもりだった。めまいもなく、その後に病院で診てもらっても異常はなかった。止まれない間も、次に自分の足がどちらへ動くか思い出せたが、分かっていても順番を変えられなかったという。
津金さんが指示したのも、最初から全部踊り直すことではなかった。
「落とす前の形に、手だけ戻してもらうつもりでした」
その日はそこで稽古を終えた。端山さんは自宅へ帰り、着替えや片付けは自分でできたという。後から手拭いが動いたこともなかった。津金さんが同じ言葉を掛け直して確かめることはしていない。
1月28日、端山さんはまた稽古場へ来た。踊りは続けるつもりで、まず手拭いを持ち替える動きを見せてもらいたいと言った。私もその場に同席した。始める前に部屋全体を撮り、端山さんが持参した手拭いは低い机へ広げてもらって撮った。床から戻った布そのもので、洗ってまた持ってきたという。

手拭いの端には、藍色の糸で小さく「ふさ」と縫い取りがあった。端山さんの母親、端山房子さんの名前である。房子さんは4年前に亡くなり、遺品の箪笥の引き出しから、この手拭いと扇が出てきた。端山さんが習い始めたのは、その翌年だった。
津金さんは縫い取りを見て、奥の部屋から古い稽古帳を持ってきた。習う人ごとに、教えた踊りと日付を書き留めてきた帳面だという。表紙の色が抜けた一冊を開くと、昭和の終わりの頁に房子さんの名前があった。端山さんが21日に教わったのと同じ踊りの名が並んでいる。
その下に、今より細い津金さんの字で短い書き込みがあった。
「持ち替えにて落とす。もう一度、もう一度。結局通せず」
房子さんはその年の秋、仕事の都合で稽古をやめた。帳面には、それより後の日付は書かれていなかった。端山さんは、母親が踊りを習っていたことは知っていたが、どの踊りをどこまで習ったかは聞いていなかったという。この稽古場を選んだのも、近所の人に勧められたからだった。箪笥にあった扇は、まだ一度も稽古へ持ってきていない。手拭いを先に使ったのは、洗えるからだったという。
津金さんは、房子さんのことを覚えていた。持ち替えのところで何度も手拭いを落とし、そのたびに自分が「もう一度」と言ったという。
「戻れ戻れと言いすぎたのかもしれません。あの人は、言われる前に自分で構え直す人でした」
端山さんは帳面の頁をしばらく見ていた。21日に自分の体が戻っていった道筋が、母親の稽古と同じだったかは分からない。ただ、手拭いを落とした場所は、津金さんの記憶では房子さんと同じ、部屋の中ほどの右寄りだった。
津金さんは21日の後、ほかの生徒の稽古でも「もう一度」と言っていないという。つまずいた所では、手を一つ打って止め、どこから踊るかを本人に決めてもらっている。何人かには理由を聞かれたが、喉の調子が悪いと答えた。手を打つ音で止まった人は、今のところ誰も逆には動いていない。
その日、津金さんは音楽を流さず、端山さんの前で足をゆっくり動かした。端山さんは壁際に立ち、右足と左足の順を見ていた。手拭いの持ち替えまでを見終えると、端山さんは自分もその部分をやってみたいと言った。津金さんは椅子へ戻った。
「じゃあ、さっきのところを」
津金さんが言いかけると、端山さんは手拭いから片手を離し、津金さんへ向けて上げた。
「言わないでください。自分で戻ります」
津金さんは口を閉じた。端山さんは踊ったときの道筋へは入らず、壁際を歩いて部屋の奥へ戻った。正面へ向き直り、手拭いの端を両手でそろえた。縫い取りのある方を、右手の側にしていた。津金さんは膝に両手を置き、座ったまま待っていた。
端山さんは左足を少し前へ出した。足元を見た後、次の足を動かす前に、津金さんの口元へ目を戻した。



