南條市の民家の緑の鉄の門に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。住宅地の公園入口。舗装された通路の脇に、落ち葉のある土と低い柵が見える。

地方の住宅地では、年を取った飼い主に代わって、近所の人が犬の散歩を引き受けることがある。道順は飼い主に教わり、帰りは家の門の前で犬を座らせてから引き渡す。犬が門の前で動かなくなれば、帰りたがっているのだと考える。綱は、門の内側へ入ってから外す。

散歩の途中で、犬が首輪を付けたまま大人の男の姿に変わった。北都県南條市内の公園で、2024年2月10日の昼に、私はそれを見た。その場にいたのは、犬を預かって歩いていた副島紀久子さん(66歳)だった。

副島さんは、近所に住む城間博孝さん(72歳)から、ときどき犬の散歩を頼まれていた。犬は茶色の雑種で、コロと呼ばれている。副島さんの膝より高いところに背中があった。家から公園を回り、反対側の道を通って帰る。出発前には「門へ戻ったら座りますから」と教わっていた。

門の前へ来ると犬は座り、城間さんが門を開けて「よし」と声を掛けるのを待つ。犬が庭へ入ると、城間さんが門を閉めて綱を外すという。副島さんは、犬が道をよく覚え、家へ戻りたがるのだと思っていた。

私は以前、副島さんに町内の催しについて話を聞いたことがあった。この日は別の取材を終え、公園の入口を通り掛かったところで会った。副島さんは綱の輪を右手へ通し、犬はその横で落ち葉の匂いをかいでいた。

犬が顔を上げ、後ろ脚を曲げて座った。口が開き、舌が見えたが、すぐに鼻先が顔の方へ引っ込んだ。黒い鼻の下にあった長い口が短くなり、両側の頬から茶色の毛がなくなっていった。

前脚は地面に付いたままだった。丸くまとまっていた先が横へ広がり、指が1本ずつ離れた。爪の付いた指の間には土が見えた。前脚の下から別の手が出てきたわけではない。足先そのものが、人の手に変わっていた。

副島さんは綱を引かず、後ろへ下がった。私も入口の柵のそばへ退いた。犬の胸が起き、首が長くなる間も、青い首輪はそこに掛かっていた。下がっていた耳が小さくなり、頭の横へ収まった。最後に背中の毛がなくなると、服を着ていない男が両膝を地面に付いていた。犬の体も、脱いだ毛皮も、抜けた毛の一本も、そばには残っていなかった。

男は大人に見えた。立とうとはせず、副島さんへ顔を向けた。

「もう帰るんですか。まだ歩きたいです」

公園には、ほかに人はいなかった。私は男から目を離さないまま、植込みの陰と入口の外の道を見回したが、茶色の犬はどこにも走っていなかった。綱は副島さんの手から首輪まで、途切れずにつながっていた。

私は着ていた長いコートを脱ぎ、男に掛けてよいか尋ねた。男がうなずいたので、肩へ掛けた。前を合わせるよう頼むと、自分の手で襟を持った。痛む所はないか聞くと、ない、と答えた。名前を尋ねると、首輪を触り、「コロと呼ばれます」と答えた。ほかの名前は答えなかった。

副島さんは城間さんへ電話した。城間さんは何度か聞き返し、服と靴を持って公園へ来た。首輪の裏には城間さんの姓が書いてある。城間さんは首輪を確かめたが、コロが人に変わることがあるとは知らなかった、と言った。

男には植込みの奥で服を着てもらった。借りた上着とズボンに、大きめのサンダルだった。私へコートを返すと、副島さんの右手に下がっていた綱を見た。

「一緒に歩いてください」

城間さんが先に立ち、副島さんと男が続いた。綱は男の首輪につながったまま、地面の近くまでたるんでいた。途中で男が犬へ戻ることはなかった。城間さんの家は公園から数分の所にあり、道路との境に緑色の鉄の門が付いている。男は門の前へ来ると腰を下ろし、膝を抱えて地面へ座った。

城間さんが綱を受け取ろうとすると、男は首輪の留め具を指した。外してほしいと言い、この家へ帰るのかと副島さんが尋ねると、首を振った。

「まだ先へ行きたいです。ここで待っていれば、外してもらえます。でも、そのときには門が閉まっています」

副島さんが首輪を外すと、男は立ち上がり、副島さんの右手首を握って公園と反対の方へ1歩進んだ。城間さんが間へ入り、「コロ、離せ」と声を掛けると指が開いた。「コロ、中へ入って」と言われ、男は庭へ入った。

その夕方、城間さんと電話で話した。男はまだ人の姿で、家の中にいるという。通りに面した窓のそばに座り、外を見ていた。一度、靴も履かずに門へ行こうとしたので、城間さんが「待て」と言うと、窓のそばへ戻った。犬に使っていた言い方が、そのまま出たという。

翌11日の朝、城間さんから電話があった。庭の犬小屋の前に、首輪のないコロが犬の姿で寝ていたという。借りた服は、門の内側にたたまずに落ちていた。12日、私は城間さんの家を訪ね、男が座っていた門の外側を撮った。

霧島秀一撮影。住宅の小さな前庭と、道路に面した緑色の鉄の門。門は閉じていて、門柱の外側には人が座れる舗装面がある。
霧島秀一撮影。2024年2月12日、城間さん宅の門。男が座ったのは門の道路側だった。

撮影の後、城間さんは家の中から、透明の書類入れを持ってきた。コロを引き取ったときに、市内の保護団体から渡された書類だという。コロが城間さんの家へ来たのは2年前で、それまでは別の人に飼われていた。

書類には、前の飼い主の鳴海善吉さん(当時84歳)が書いた便箋が1枚挟まっていた。鳴海さんは1人暮らしで、足を悪くして施設へ入ることになり、コロを手放した。便箋には、散歩の道順が書かれていた。

「公園を回り、反対の道を帰る。緑の門の前で一度座る。そこから先、もう少しで家。門で座っても、まだ帰りではない」

便箋には、ほかに餌の量や、雷の日には玄関へ入れること、首輪は留め具が固いので両手で外すことも書かれていた。最後の行には、鉛筆で「よろしくお願いします。歩くのが好きな犬です」とあった。

緑の門は、城間さんの家の門だった。鳴海さんの家は、そこから同じ通りを3軒先へ行った所にあった。鳴海さんは散歩の帰りに城間さんの門の前で一休みし、それから自分の家まで歩いていたという。城間さんはこの便箋を、引き取ったときに一度読んだきりだった。

「門で座るのは、うちが帰る場所だと分かっているからだと思っていました」

城間さんは、自分が門を開けて「よし」と言うと、コロが必ず一度、通りの先を見てから庭へ入っていたと話した。散歩の後の癖だと思い、特に気に留めていなかった。

鳴海さんの家は、去年の秋に取り壊された。今は更地になり、低い杭とロープで囲まれている。鳴海さんは施設で暮らしているが、城間さんは保護団体を通して、コロを引き取ったと一度知らせたきりだった。

副島さんにも便箋を見せると、10日の昼に男が握った手首を、自分でさすった。男は、門の前で外してもらえば、そこから先を自分で歩けると思っていたのかもしれない、と副島さんは言った。

同じ日の夕方、城間さんはコロを連れて、門の前を通り過ぎた。私と副島さんも後ろを歩いた。コロは緑の門の前で一度座り、通りの先を見た。城間さんは「よし」と言わず、そのまま綱を持って歩いた。コロは立ち上がって先に進んだ。

更地の前で、コロはロープの外側に座った。城間さんは、来週、保護団体に鳴海さんの施設の場所を尋ねてみると話した。会いに行けるかどうかは、まだ分からないという。

副島さんは、これからも散歩を引き受けると言った。城間さんは、帰りは門を通り過ぎて更地の前まで行き、そこで一度座らせてから戻ってほしいと頼んだ。道順は、鳴海さんの便箋の裏に城間さんが書き足した。

城間さんはしゃがんでコロの首輪に手を掛けたが、留め具は開けなかった。コロが更地の奥を見ている間、綱を短く持ち直して、その横に座っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です