汐見浜駅の到着放送に関する奇妙な記録

夜の終点駅に止まった電車の車内。座席に人はおらず、開いたドアの外にホームが見える。情報提供者がスマートフォンで撮影した写真。

地方の私鉄の車内放送には、路線図のどこにも載っていない駅名が、一度だけ紛れ込むことがある。

三崎浜急行の下り列車は、海沿いの汐見浜駅で終点になる。下りの最終列車が汐見浜に着くのは23時41分。ホームの先には車止めがあり、線路はそこで終わっている。終点に着いた列車は、乗客を降ろしたあと、折り返しの準備に入る。

2020年10月23日の金曜日、三崎浜急行で通勤している佐藤裕成さん(38歳)は、仕事帰りにこの最終列車に乗った。6歳の息子は電車が好きで、終点の到着放送を聞きたがっていた。佐藤さんはスマートフォンで到着放送を録り、録音を止めてから車内の写真も撮った。写真には座席と、開いたドアの外のホームが写っている。撮り終えると、そのドアから降りたという。

翌日、録音を聞いた息子は「その次の駅も録って」と頼んだ。汐見浜の先に駅はない。佐藤さんはそう説明しようとして、録音を聞き直した。

到着のチャイムに続いて、女性の声で「汐見浜」が2度繰り返され、「終点です」と流れる。ドアの開く音が入ったあとも、同じ声はまだ話していた。

「次は、式場前」

佐藤さんから私に届いた音声は27秒。問題の案内は、ドアの開く音から約1.8秒後に入っていた。佐藤さんは、その言葉を車内で聞いた覚えがない。毎日使う終点に着き、降りる支度をしていた。

「終点ですと言われたら、もう頭は家のほうに向いています。その後に別の駅を言われるなんて、考えもしませんでした。息子に言われるまで、録音の最後まで聞いていなかったんです」

息子の聞き間違いではなかった。ただ、何を「式場前」と呼んでいるのかが分からない。佐藤さんは初め、駅の近くにある結婚式場の広告を、たまたま録音が拾ったのではないかと考えていた。

私はまず、列車がどこまで行けるのかを確かめた。11月2日の夜、汐見浜駅のホームの端まで歩いた。ホームの先には、列車が行き過ぎないようにする車止めがある。線路はそこで終わり、その奥には柵が立っていた。下り列車がそのまま進んでも、次の駅へは行けない。

霧島秀一撮影。夜の汐見浜駅。ホームの先に車止めがあり、その奥に柵が立っている。
霧島秀一撮影。2020年11月、汐見浜駅の車止め。

駅の周りも歩いたが、式場と名の付く建物は見当たらなかった。駅前の商店で尋ねても、近くに結婚式場があったという話は出てこない。録音を聞き直すと、問題の声は、チャイムや「汐見浜」の案内と同じ距離から、同じ響き方で聞こえる。駅の外の拡声器を拾ったのなら、もっと遠く、こもって聞こえるはずだ。

現在の路線図に「式場前」はない。手元にある1990年以降の時刻表も調べたが、同じ名の駅は見つからない。昔の駅名が放送装置に残っている可能性を確かめたくなり、11月4日、私は鉄道会社に音声を送った。

車内の自動放送は、あらかじめ録音した声を、列車の位置に合わせて流す仕組みだ。使われなくなった駅の音声を誤って再生したのなら、装置にその名前の録音があるはずだ。11月11日に届いた会社の回答は、「式場前」という音声は自動放送装置に登録されていない、というものだった。当夜の乗務員からも、異常な放送が流れたとの報告は上がっていなかった。

録音が後から編集された可能性も考えた。私は別の日に汐見浜の到着放送を録り、佐藤さんの音声と聞き比べた。声だけでなく、言葉の間もよく似ている。音声編集に詳しい知人にも聞いてもらったが、はっきりしたつなぎ目は見つからなかった。

式場前という呼び名だけでも、沿線にあったのか。私は郷土資料館で、古い鉄道資料を見せてもらった。

そこに、昭和40年代の仮設停留所をまとめた手書きの一覧があった。祭りや海水浴の時期など、必要な期間だけ列車を停める場所を記した紙で、元駅員の家族が寄贈したものだ。常設の駅とは違うため、時刻表ばかり調べても見つからない。

一覧には、停留所の名前のほかに、どの駅と駅の間に設けたか、いつからいつまで使ったかを書く欄がある。その中に「式場前」が1行だけあった。

同じ行の場所と設置期間の欄は、どちらも空白だった。ほかの停留所なら、名前を知らなくても隣の欄から路線上の位置を探せる。式場前については、路線上の位置も、列車が停まる期間も読み取れなかった。私は欄の見出しと前後の行も入るように、その行を写真に撮った。この紙は、佐藤さんの録音が届くずっと前から資料館にあった。

資料館を通して寄贈した家族に尋ねたが、式場前という停留所の話は聞いたことがないという。元駅員はすでに亡くなっていた。名前を見つけても、私は地図のどこへ印を付ければよいか分からなかった。

11月13日、私は佐藤さんが乗ったのと同じ下り最終列車に乗った。チャイムが鳴り、汐見浜という名が2度流れた。「終点です」のあと、ドアが開く。私はすぐには降りず、録音にあった約1.8秒の間を待った。次の駅名は流れなかった。乗務員が車内を確認しに来る前に、私は降りた。

15日、資料館の職員から、鉄道の展示によく足を運ぶ元車掌を紹介された。1962年に入社し、30年以上乗務した柏木寛治さん(79歳)である。三崎浜急行で自動放送が始まったのは1992年で、それまでは車掌がマイクで駅名を案内していたという。

「新米のころは、停まる駅を順に書いたカードを持って乗りました。言い間違えると、お客さんが降りそびれますから」

柏木さんは、昭和40年代に使っていたカードを1枚持ってきていた。下り最終列車用で、駅名が上から順に並び、いちばん下が「汐見浜(終)」になっている。その下に、鉛筆で「式場前」と書き足され、横に小さく「案内のみ」とあった。

「先輩の車掌に教わったんです。最終の下りだけは、汐見浜で終点と言ってドアを開けたら、一度だけ『次は式場前』と言え、と。列車は動きませんし、そこへ停めたこともない。言うだけです。理由を聞いたら、降りない人がいたらその人のためだ、と言われました。誰のことかは教えてくれませんでした」

柏木さんも数年は言われたとおりに案内したが、乗客から尋ねられたことは一度もない。その先輩が辞めてからは、言わなくなった。自動放送の音声を決めたときにも、式場前の話は出なかったという。

私は資料館の一覧の空白を、書き忘れか、計画だけで終わった停留所の跡だと考えていた。しかし「どの駅と駅の間」の欄は、線路の途中にある停留所のためのものだ。終点の先に置いた停留所なら、書き込める「間」がない。列車を一度も停めないのなら、使った期間も書きようがない。柏木さんのカードと並べると、二つの欄の空白は、書き込む答えがなかったことを示しているように見えた。

一覧を作った元駅員と、カードに式場前を書き足させた先輩が同じ人なのかは分からない。私が得たのは、車掌が口で案内していた時代に、ドアを開けてから一度だけ式場前を案内する決まりがあったという柏木さんの証言と、その書き込みのあるカードである。今の自動放送は、登録されていない音声で、終点の案内とドアの音の後という同じ順番に、同じ名を流していた。

17日、私はもう一度同じ最終列車に乗った。ドアが開いてから、今度は数えながら待った。次の駅名は流れなかった。この日も、乗務員が車内を確認しに来る前に降りた。

佐藤さんは、なるべく最終列車を避けるようになった。録音の声が怖かったのかと聞くと、「いつもの声だった」と答えた。

私は佐藤さんに、古い一覧で同じ名を見つけたことと、場所までは分からなかったことを伝えた。柏木さんのカードの話もした。佐藤さんは、息子にはまだ話さないでおくと言った。駅が見つかったと知れば、今度はそこまで乗りたいと言い出すからだという。

どうしても最終列車になった夜、佐藤さんは汐見浜に着く前から席を立ち、ドアの前で待つ。ドアが開くと同時にホームへ降り、もう到着放送は録らない。

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