柳瀬川花火大会の緑の柳に関する奇妙な記録

情報提供者撮影。夜の川の上に、赤や金の丸い花火がいくつも開いている。右上に、薄い緑色の大きな花火が柳の枝のように垂れ下がっている。

地方の花火大会には、打ち上げを担当した煙火店が作っていない花火を、観客がはっきり覚えていることがある。

北都県柳瀬市の柳瀬川花火大会は、2022年7月23日の土曜日、3年ぶりに開かれた。打ち上げは市内の北都煙火が担当し、観客は川の南北の土手に分かれて見る。大会の翌日、私のところへ1枚の写真が届いた。送り主は、南側の土手で家族と花火を見た大島美代子さんで、「右上の花火の名前を知りたい」という相談が添えてあった。

写真は大島さんがスマートフォンで撮ったものだ。赤や金の丸い花火が重なって開き、その右上に、薄緑の光が大きく垂れている。柳の枝のような細い線が、ほかの花火より長く空に残ったという。大島さんは来年の大会でもこれを上げてほしいと考え、市へ出す要望書に花火の名前を書こうとしていた。

「孫が、あの緑のをもう一回見たいと言うんです。名前が分かれば、要望書にそのまま書けるでしょう」

光の先が長く垂れ下がる花火を、花火の世界では「柳」と呼ぶ。私は写真を持って北都煙火を訪ね、3代目の主人の杉本康一さん(54歳)に見てもらった。杉本さんは画面を少し眺めてから、「今年、うちではこれを作っていません」と言った。

緑色の柳は、先代にあたる杉本さんの父が作っていた。ところが、緑を出すために使っていた材料が手に入らなくなり、約30年前に作るのをやめた。今の北都煙火の柳は、金色と銀色だけだという。

「緑は、きれいに出すのがいちばん難しい色なんです。しかも柳は、光を長く垂らさないといけない。途中で消えてしまうので」

大会の花火は、何をどの順に上げるかを事前に順番表にまとめ、当日はそれに沿って上げる。写真に記録された撮影時刻は20時41分だった。杉本さんは順番表を広げ、その時間帯に赤と金の丸い花火を続けて上げる箇所を示した。そこに緑の柳はない。当日の作業を書いた記録にも、予定外の玉を上げたという記入はなかった。

今の打ち上げは、筒に入れた玉へ電線をつなぎ、離れた場所の点火器から電気で火を送る。点火器には、どの番号の筒にいつ点火したかが残る。杉本さんがその記録も見せてくれたが、順番表にない筒へ点火した跡はなかった。昔は打ち手が筒のそばで導火線に火をつけ、上げた玉に帳面で印を付けていたそうだ。今はその印の代わりに、機械の記録が残っている。

ほかの誰かが近くで花火を上げた可能性も考えた。大会の間、河川敷は立ち入りが制限され、警備の担当者が見回っている。市の観光課に尋ねると、大会中に許可のない打ち上げがあったという報告は受けていないとのことだった。

観光課は毎年、大会の様子を映像で残している。担当の石原直久さんに頼み、当日の映像を見せてもらった。カメラは川の北側から空を広く収めていて、赤や金の花火は画面の端でも欠けずに写っている。ところが、緑の柳が見つからない。

ただし、南と北では花火の見える向きが違う。スマートフォンと市のカメラの時計も、合わせてあったわけではない。時刻表示だけで場面を探すと、別の打ち上げを比べてしまう恐れがあった。私は大島さんから前後の写真も借り、赤い花火が開く順番と、低い所で続けて開いた金色の花火を目印にした。石原さんとその並びを見つけ、前後を何度も再生した。

写真では、撮影中に動いた光が一本の線として残ることがある。動画の1こまだけを抜き出しても、同じ形にはならない。そのため、柳の光が落ちて消えるはずの時間まで、映像を止めずに見た。それでも空に緑の大きな花火は出てこなかった。

スマートフォンが色を作り出したのではないかと、大島さんにも尋ねた。大島さんは、緑色は撮った画面で初めて気づいたものではなく、家族も肉眼で見ていたと答えた。近くの観客もきれいだと話していたそうだが、私が直接話を聞けたのは大島さんの家族までだった。

北側の映像を見直していた石原さんが、今度は空ではなく川を指した。水面には赤と金の反射が揺れていて、その横に、緑色の細い筋が広がっていた。緑は、大島さんの写真と同じ花火の並びの場面で現れ、ゆっくり薄くなった。岸の明かりがずっと映っている位置ではない。私は観光課の許可を得て、その場面を切り出した。

市観光課提供の動画から切り出した画面。空には赤と金の花火が開き、川面には赤や金の反射と緑色の筋が見える。
市観光課提供。2022年7月23日、柳瀬川の北側から撮った大会映像。空の赤と金に対し、水面には緑の筋もある。南側の写真とは、花火が開く順番を目印に場面を照合した。

水面に緑があっても、同じ柳の反射だとは言い切れない。ただ、このカメラでは緑色を記録できなかった、という説明は合わない。同じ画面の水には、緑が写っていた。

数日後、杉本さんから電話があった。先代の帳面が、作業場の棚の奥から出てきたという。帳面には、先代が手で上げていた頃の打ち上げの記録が、年ごとに書いてあった。

緑の柳が最後に出てくるのは、約30年前の7月の大会だった。その行には玉の大きさと上げる順番に続けて、先代の字でこう書き添えてあった。

「緑柳。南の筒より。北の客には川で見せる。空は赤金で隠す」

帳面の演目名の欄は、その行だけ空いていた。ほかの花火には「金冠」「赤牡丹」などの名前が書いてある。

杉本さんによると、昔は打ち上げの筒を南側の河原に並べていた。緑の柳は低めに開くように作り、同じ時に赤と金の花火を高く重ねて上げる。北の土手からは、低い緑が対岸の木立と赤金の煙に隠れ、川に映った緑だけが見える。先代はそういう見せ方をしていたらしい、と杉本さんは言った。

杉本さん自身は、その頃まだ子どもで、作業場に入れてもらえなかった。そこで、先代のもとで打ち手を務めた野々村勝さん(78歳)を紹介してもらい、2人で話を聞きに行った。野々村さんは帳面の行を指でたどり、緑の柳は毎年1発だけで、自分が南の河原で導火線に火をつけていたと話した。

「先代は、あれに名前を付けなかったんです。プログラムにも載せない。北の土手からは川が光ったとしか見えませんから、翌朝になると、何の花火だったのかと問い合わせの電話が何本か来ました。先代は、名前はありません、とだけ答えていました」

野々村さんは、名前を付けなかった理由を先代から聞いていない。材料が手に入らなくなった年、残っていた緑の玉をどうしたのかも覚えていないという。帳面では、上げた玉の行の頭に鉛筆で丸が付けてある。最後の年の緑の柳の行には、その丸がなかった。

私はそれまで、北側の映像に緑の柳が写っていないことを、空に緑がなかった根拠だと考えていた。だが先代の帳面のとおりなら、北から撮ったカメラには、緑の柳は初めから川の上にしか見えない。空に何も写っていないことと、水面に緑が残っていることは、昔の緑の柳の見え方とそのまま合っていた。

私は大島さんに、写真を撮った場所を地図で教えてもらい、南の土手の同じ場所に立ってみた。今の筒が並ぶ北側の河原は、川の向こうの正面にある。野々村さんが緑の柳を上げていたという南の河原の場所は、土手のすぐ下の右手に当たり、そこから上がった花火は、正面の花火より右の高い所に見えるはずだった。大島さんの写真で、緑の柳が赤と金の花火の右上にあったことと向きは合う。

それで分かるのは見え方までで、誰が今年それを上げたのかは分からない。今の筒は北側の河原に並んでいて、点火器の記録にも余分な番号はない。杉本さんは、もしあの写真で注文を受けても、同じ物を約束することはできないと話した。

大島さんには、花火の名前を確かめられなかったことと、市の映像では水面に緑が残っていたことを伝えた。先代の帳面の話もした。大島さんはしばらく黙ってから、来年への要望は出したいと言った。花火の名前は入れず、写真をそのまま送り、「また見たいです」とだけ添えるという。

帰り際、杉本さんは帳面を閉じずに、作業台の上で今年の順番表の隣へ置いた。開いたページには、丸の付いていない緑の柳の行があった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です