汐見浜水族館の7番水槽に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。暗い通路の壁に、青く光る水槽がある。岩と海藻の間を、小さな銀色の魚の群れが泳いでいる。横の名札は白い。

地方の小さな水族館には、展示を終えたはずの水槽に、毎年同じ季節だけ魚が戻ってくることがある。

北都県の汐見浜にある汐見浜水族館は、1968年に開いた小さな市立水族館だ。奥の通路にある7番水槽では、以前カタクチイワシを展示していた。カタクチイワシは、煮干しの材料にもなる銀色の小魚である。魚は沖の定置網の網元から分けてもらっていたが、網元が漁をやめたため、展示は2012年に終わった。その後も水槽には海水を通しており、岩と海藻もそのまま残っている。魚の名前を書く札だけが、白いまま掛かっている。

それでも汐見浜水族館では、7月になると7番水槽の分のえさを多めに用意する。新しく魚を入れる予定はない。飼育員の安藤美津子さんは、8月に備えて用意するのだと言った。

2016年8月の朝、空のはずの7番水槽に、約200匹の小魚が泳いでいた。以来、毎年8月の初めに群れが現れ、9月の初めにはいなくなる。安藤さんは魚がいる間、えさを与え、水の状態を確かめている。7月の準備は、そのためだった。

「最初の年は、朝の見回りで懐中電灯を当てたら、銀色のものが一斉に光ったんです。水槽の中に誰かがアルミの紙をまいたのかと思いました」

群れが来た朝には、安藤さんが水槽の上から写真を撮り、拡大して数を数える。記録を見せてもらうと、どの年も200前後だった。

私が訪ねた2022年8月7日の日曜日にも、銀色の群れが水槽を回っていた。今年は8月3日の朝に見つかったという。安藤さんがえさをまくと、魚が一斉に水面の近くへ向きを変えた。えさを食べるところを見ていると、この水族館が展示している魚にしか見えなかった。

初めから、夏にやって来る魚として受け入れたわけではない。最初に群れが見つかった年、安藤さんは同僚に魚を入れたか尋ね、館長は閉館後の出入りを調べた。魚を届けた人も、受け取った職員も見つからなかった。

海から泳ぎ込んだ可能性も考えた。水槽の海水は沖からくみ上げ、網目が1ミリのフィルターを通している。私は配管の図と実物を見せてもらった。いま泳いでいる大きさの魚は、この網目を通れない。ただし、卵や細かな生き物まで全部除けると確かめたわけではないという。卵が入り込んで育ったのなら、最初は小さな稚魚が見つかるはずだが、群れはいつも、育った大きさで一度に現れる。

人が運んでいるのか確かめるため、2017年からは運搬用の容器が通る通路を撮影した。魚が見つかる前夜、容器を持った人は映らなかったが、水槽そのものは画面の外だった。そこで2019年から水槽も撮り始めた。今度は夜の照明がガラスに映り込み、水槽の奥を見通せなかった。翌年に照明とカメラの位置を変えても、岩の裏には暗い場所が残った。映像で群れを見つけても、そこへどう入ったかは分からない。私が見ても、魚がいないのか、奥にいるのかを見分けられない部分があった。

安藤さんが次に持ってきたのは、映像ではなく前年の作業日誌だった。出現した朝の記録を探すのかと思ったが、開いたのは9月のページだった。

2021年8月、安藤さんは群れから離れて泳ぐ1匹を、背面の作業場にある小さな容器へ移した。ほかの魚と分けて様子を見るためだった。容器にいるのはその1匹だけで、7番水槽とは水が行き来しない。ふたを載せ、安藤さんが水を替えて世話をしていた。魚はえさを食べるようになり、安藤さんは群れへ戻す時期を考えていた。その年の日誌には、移した翌朝に数えた7番水槽の魚が199匹と書いてある。

飼育員提供。作業台の上の透明な容器に、小さな銀色の魚が1匹泳いでいる。容器には透明なふたが載っている。
※安藤さん提供。2021年8月、7番水槽の群れから離して世話をしていた1匹。容器の水は安藤さんが替えていた。

9月のある朝、7番水槽から群れがいなくなった。その日の作業日誌には、別の容器に移した魚もいなかったと書いてある。ふたは載ったままだった。安藤さんは水を抜き、容器の下の台や床、使った網の中まで探したが、死んだ魚も見つからなかった。

日誌の前日の欄には、その1匹がえさを食べたと書いてあった。確認した別の職員の署名もあり、私は本人にも確かめた。前の日には、小さな容器の中で生きていた。岩の裏の群れを見落とした、という説明では、この1匹がいなくなったことは片づかない。

館長は誰かが群れへ戻したのかと思い、職員全員に尋ねたが、戻したと答えた人はいなかった。安藤さんは、もし世話のために戻したのなら日誌に書いておいてほしかったと言った。翌朝も、別の容器にいるつもりで世話をしに来るからだ。

展示を終える前のことを知りたくなり、私は館長に、カタクチイワシを分けてくれていた網元を紹介してもらった。汐見浜の港に近い家で、元網元の梶原敏郎さん(81歳)が話を聞かせてくれた。

梶原さんは、水族館とのやり取りを書いた古い納品の控えを出してきた。紙の束を年ごとにひもで綴じてある。8月の初めの日付に「イワシ 200」、9月の初めの日付に「引取 200」とあり、それが毎年続いていた。最後は2012年の束だった。

「あれは、売ったんじゃないんです。夏の間だけ預けていた。お盆が過ぎて網を上げる前に、引き取りに行って沖へ返していました」

梶原さんによると、汐見浜の定置網には夏になるとカタクチイワシの群れが入り、その一部を水族館へ届けていた。預けるのも引き取るのも自分の役目で、引き取る日は水槽の前で1匹ずつ数えた。数が合わないうちは帰らなかったという。

「死んだのがいたら、それも持って帰って数に入れました。1匹でも水族館に置いてくると、その年の分が終わらない気がしてね。先代からそう言われていたんです」

控えの中には、展示の札について書いた紙もはさまっていた。開館して間もないころ、水族館の担当者に宛てた先代の網元の手紙の写しで、「名札は書かないでいただきたい。預け物ゆえ」とあった。当時の札は白いままだったのか、館に確かめたが、昔の写真は見つからなかった。安藤さんも、この手紙のことは知らなかった。

梶原さんが漁をやめたのは2012年で、その後は網も船も手放している。2016年から群れを運んできたのは自分ではない、と梶原さんははっきり言った。私も、梶原さんが夜の水族館へ魚を運んだと考える材料は持っていない。

私は安藤さんの日誌から群れがいなくなった朝の日付を抜き出し、控えにある引き取りの日付と並べてみた。日付は年ごとに違い、同じ日に重なるわけではない。ただ、どれも9月の最初の週に入っていた。

そう考えると、前年の日誌は違って読めるようになった。8月の初めに約200匹が来て、9月の初めにいなくなる。離して世話をしていた1匹も、群れと同じ朝に容器から消えていた。網元が預けていたころの、届ける日と引き取る日の並びと重なる。安藤さんの手元に残ったのは、その引き取りに、作業場の容器まで含まれていたように見える記録だった。

今年も水槽の正面と背面から撮影を続けている。8月3日より前の映像も見せてもらったが、やはり死角があり、魚が入った瞬間は分からなかった。一方で、目の前には毎日えさを食べる魚がいる。撮影の結果を待って世話を始めるわけにはいかない。

帰り際、私は白い名札を指した。魚がいる間だけでも、名前を書いて展示の案内をしないのかと尋ねた。

「見せる魚として入れたことにすると、いなくなったときも展示を終えたことになるでしょう」

安藤さんはそう言って、えさの容器を洗った。それから作業場の小さな容器を棚から下ろし、水を張ってふたを載せた。今年は1匹も分けていない。それでも9月の初めまで、容器はそこに置いておくという。

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