下地区公民館のセミの抜け殻に関する奇妙な記録

霧島秀一が撮影した北向きのコンクリート壁。複数のセミの抜け殻が、画面左へ頭を向けて付いている。

地方の公民館の管理日誌には、鍵の貸し出しや雨漏りの記録に混じって、夏の生き物についての短い書き込みが何十年も続いていることがある。

北都県三ツ森町の下地区公民館は、平屋の小さな建物だ。東側に入口があり、北側はコンクリートの壁になっている。壁の向こうは畑で、人が通るのは草刈りのときくらいだ。夏になると、この北の壁にセミの抜け殻がいくつも付く。

管理人の森本孝文さん(66歳)によると、壁の殻はどれも横向きで、頭を東へ向けているという。東は入口のある側だ。公民館のまわりの桜の木を見ると、幹に付いた殻はほとんどが上を向いている。

セミの幼虫は、夕方から夜にかけて土から出て、木の幹や壁を登る。止まる場所を決めると爪を掛け、やがて背中が割れて成虫が出てくる。殻は爪で掛かったまま、幼虫が止まったときの姿勢で残る。だから普通は、朝に見る殻の向きが、前の晩に幼虫が止まっていた向きになる。

向きを最初に記録したのは、近所の小学生だった。2019年の夏休みの自由研究で、北の壁のどこに殻があるかを模造紙に描き、一つずつ頭の向きを矢印で書き込んだ。森本さんはその写しをもらって、公民館の棚に置いている。

模造紙には、壁を正面から見た図に小さな矢印が並び、端に「7月25日から8月20日まで、毎朝見た」と書いてある。矢印はすべて右、つまり入口のある東を向いていた。

翌2020年、森本さんも自分で数えてみた。手帳には「63個 全部東」とある。南と西の壁にも殻はいくつか付いたが、そちらは上向きか、少し斜めだったという。そろっていたのは北の壁だけだった。

「自分で数えるまでは、子どもが描きやすいように矢印をそろえたんだろうと思っていました。数えてみたら、本当に全部東なんです」

同じ向きで羽化しているのだろうか。森本さんは夜にも壁を見に来るようになった。ところが、壁を登ってきた幼虫は上を向いて止まっていたという。朝に並ぶ殻から想像した姿と、夜に見かけた姿が合わなかった。

今年、森本さんは数え方を変えた。毎朝6時ごろ、鍵を開ける前にスマートフォンで北の壁を端から撮る。写真には撮った時刻が残るので、前の日の写真と比べれば、どの殻が夜のうちに増えたのかが分かる。7月1日からの写真を見せてもらうと、新しく増えた殻は、6時の時点でどれも東を向いていた。森本さんが夜に上向きの幼虫を見たのは、遅くても21時ごろまでだという。

2021年7月3日の土曜日、私は昼に公民館を訪ねた。森本さんと1個ずつ確かめると、その時点の抜け殻は41個。頭の側はすべて東へそろっていた。冒頭の写真は壁の一部を写したもので、41個全体ではない。

昼に殻を数えるだけでは、いつその向きになったのか分からない。雨や風で落ちやすい殻があり、東向きの殻だけが残った可能性もある。北都県立自然史博物館の昆虫担当者にも写真を見てもらったが、壁の凹凸や日当たりを現地で見ないと原因は判断できない、という返事だった。担当者は、殻は脱いだときの姿勢のまま残るのが普通で、壁に付いたまま向きだけが変わる例は聞いたことがない、とも書き添えていた。

壁の表面も見た。北の壁には、コンクリートを流し込んだときの型枠の跡が、横に細い筋になって残っている。爪が筋に沿って掛かり、殻が横へずれて止まりやすいのかもしれない。ただ、筋は東西どちらへも同じように伸びていて、西向きの殻が一つもない理由にはならない。南の壁にも同じ筋はあるが、そちらの殻は上を向いていた。

確かめたいのは、1匹の幼虫が殻を脱ぐときの向きと、その場に残った殻の向きが同じかどうかだ。森本さんが夜に見た幼虫と、昼に数えた殻は、同じ個体なのか分からない。その夜、私はもう一度公民館へ行き、森本さんと壁の近くで待った。

壁を登ってきた幼虫のうち、手の届く高さで止まった1匹を選んだ。幼虫には触れず、真下の地面に札を置く。翌朝ほかの殻と取り違えないよう、脚の位置と、壁の小さな欠けを一緒に撮影した。頭は上向きで、欠けは頭のすぐ上にあった。

霧島秀一が夜に撮影したセミの幼虫。頭を上へ向けてコンクリート壁につかまり、その上に小さな欠けがある。
霧島秀一撮影。2021年7月3日夜、羽化前の幼虫。頭は上向きで、頭の上に壁の欠けが見える。

やがて幼虫の背中が割れ、白っぽい成虫が体を引き抜いた。その間も、壁に残る殻は上を向いていた。私は成虫の羽が伸びるまで見ていた。夜通し見張ったわけではなく、森本さんも壁を確かめてから帰っている。成虫が飛び去った時刻は分からない。

翌朝、森本さんから写真が届いた。札の上の殻が横向きになり、頭がほかの殻と同じく東を向いているという。私は朝のうちに公民館へ行った。

夜の写真を開いて、壁の欠けを探した。同じ大きさの殻が、その横に付いている。夜には頭の上にあった欠けが、今は体の横にある。札を頼りに、近くの別の殻を見ているのではなかった。

殻に触れずに脚の先を見ると、何本かの爪が壁の細かいくぼみに掛かっていた。糸や接着剤のような物は見えない。ただ、私たちが帰った後は誰でも近づける場所なので、人が付け直した可能性は残る。

森本さんは、清掃で殻を取ると脚が折れることがあると言った。

「いたずらなら、脚を折らずに外して、向きを変えて付け直すことになります。それを毎晩、何十個もやるんでしょうか」

その日の午後、森本さんは公民館の物置から古い管理日誌を出してきた。前の管理人の谷口善三さんが、1983年から2014年まで書いていたものだ。谷口さんは2015年に亡くなり、森本さんが後を継いだ。日誌は大学ノートで、鍵を貸した相手、草刈りの日、雨漏りの場所などが鉛筆で書いてある。

夏のページには、毎年のように同じ書き込みがあった。

「北壁 セミ殻 東へ直す」

最も古いのは1983年7月の「北壁 セミ殻多し 東へ直す」で、その年は8月の終わりまでに同じ言葉が9回出てくる。1986年8月には「北壁 殻十一 東へ直す 入口の方」とある。南や西の壁について書いた行は一つもない。1990年代のページには、数が書かれずに「直す」とだけある日が続く。谷口さんは、北の壁に付いた殻を、自分の手で東へ向け直していた。

「谷口さんは無口な人で、こんなことをしていたとは聞いていません。ただ、引き継ぎのとき、お盆の前になったら入口の戸を少し開けておけと言われました。風を通すためだと思って、2、3年はそうしていましたが、そのうちやめてしまいました」

森本さんによると、昔の下地区では、お盆に集まる人がまず公民館に寄っていたという。日誌には理由は書かれていない。分かるのは、谷口さんが30年以上、夏の朝に殻の向きを直していたことだけだ。

最後に「直す」と書かれたのは、2014年8月だった。翌年から日誌の字は森本さんのものに変わり、セミのことは一度も出てこない。2019年に小学生が矢印を描いたとき、壁の殻の向きを直す人はもういなかった。

模造紙の矢印は、自然に並んだ殻の向きとして描かれている。私も初めはそう読んだ。日誌と並べると、同じ矢印は、谷口さんが毎朝していた作業の続きを写したものにも見えてくる。

森本さんは、自由研究をした子に今年の数を伝えるとき、日誌のことも話すか迷っていた。

「あの子は、セミが自分で東を向くと思って矢印を描いたんです。谷口さんのことを話したら、あの模造紙の意味が変わってしまう気がして」

翌朝、私は森本さんが壁を確かめるのに立ち会った。新しい殻が3つ増えていた。3つとも頭を東に向けている。森本さんは手帳に数を書き、少し考えてから、日誌の新しいページを開いた。

それから入口へ回り、閉めてあった戸を、手のひらひとつ分ほど開けた。

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