地方の住宅地の空き家では、持ち主が遠くに住んでいると、庭の手入れが何年も止まることがある。草は伸び、木の枝は塀を越える。近所の人が気にするのは、たいていそういう庭である。
2021年12月1日の朝、北都県柳瀬市の住宅地に住む小川富美子さん(73歳)から電話があった。隣の空き家で、今年も松の手入れが済んだという。
小川さんは台所の窓からその庭を見ていた。前日の夕方には伸びていた枝が、朝には短くなっている。庭全体は草だらけなのに、真ん中のクロマツだけは、枝の間へ空が見えるほど整えられていた。
「草は伸び放題なのに、松だけなんです。誰かが入ったなら、草も少しは踏まれると思うんですけど」
小川さんがこの変化に気づいたのは2016年だった。それから毎年、12月初めに同じことがある。誰かが作業する姿や、はさみを使う音には気づいたことがないという。小川さんは、気づいた年から毎年、手入れの済んだ朝に台所の窓から松を撮っていた。
家は平屋で、10年近く誰も住んでいない。持ち主は前の住人のおいに当たる後藤康弘さん(55歳)で、県外に住んでいる。了承を得て昼前に訪ねると、管理を受け持つ不動産会社の松田祐治さん(41歳)が、門の鍵を開けてくれた。
松の下には切った小枝や古い葉が落ち、細い枝の切り口は白かった。草には、木を一周して歩いたような道はなかった。ただ、塀は低く、草の薄い所もある。足跡が分からないことだけで、誰も入っていないとは言えなかった。
後藤さんは、松の手入れを誰にも頼んでいないと話した。管理会社の控えにも、庭の草刈りの相談はあったが、松の枝を切る仕事は入っていなかった。松田さんは近くの植木屋にも尋ねたが、この家の仕事を受けた店はなかった。
前の住人の後藤義雄さんは、2011年に84歳で亡くなるまで、自分でこの松を世話していた。近くの植木屋の主人、村上和義さん(77歳)が、古い葉を抜く作業を何度か手伝ったことがあるという。村上さんも、義雄さんが亡くなってから、この庭の仕事はしていなかった。
私は今年の写真を見せた。村上さんは、雑に折った枝ではなく、切って形を整えていると話した。それから写真の向きを変え、家から見たときの片側を指した。
「外から見ると、ここが少し空きすぎなんです」
松の片側に、細長く枝葉の少ない場所があった。葉を残して丸くまとめる方が見栄えはよいのに、その場所へ伸びる枝だけを短くしているという。
前の住人も、そこを空けていた。南の部屋に座ったまま、松越しに門を開ける人の顔を見るためだった。妻の文子さんが体を悪くしてからは、縁側へ出なくても来客を確かめられるよう、同じ幅の隙間を残していたという。文子さんは2009年に亡くなっている。
後藤さんに伝えると、家族の古い写真を探して送ってくれた。夫婦が庭にいる写真の後ろに、枝の空いた所が見える。撮影年は分からなかったが、村上さんの話す工夫が以前からあったことは確かめられた。
ただ、今年の形とは少し違った。古い写真の隙間は、幹に近い低い所にある。今年の隙間はそれより高く、部屋から見て左寄りにあった。村上さんも、前の住人が空けていたのは低い方だと答えた。
小川さんの写真を古い順に並べると、2016年から2020年までの隙間は、どれも低い方にあった。高い所へ移ったのは、今年だけである。
私は松田さんと南の部屋へ入り、雨戸を1枚開けた。家具はほとんどなく、窓の左寄りに椅子が1脚置かれていた。
管理会社が持ち込んだのは11月26日。売却に向けて家を見に来る持ち主が足を痛めていたため、途中で休めるよう用意したという。持ち込んだ日に撮った写真も見せてもらった。椅子は同じ場所にあり、その後ろの雨戸は閉じていた。
私はその椅子に座り、松田さんに門まで戻ってもらった。人の顔が、今年できた松の隙間に入った。立つと葉に隠れ、畳へ座ると幹に隠れる。椅子へ戻ると、また見える。
門の方からも私が見えるかと尋ねると、顔がよく見えるという返事があった。私は松田さんに、前の住人が来客を見るため枝を空けていた話を、まだ詳しく伝えていなかった。
下の写真は、人が門から離れた後、椅子の位置から撮ったものだ。幹の左の隙間を通して、門を見通せる。

昔の切り方を覚えている誰かが、好意で手入れを続けているのかもしれない。村上さん以外にも、住人の作業を見た人はいただろう。ただ、昔の隙間をそのまま残したという説明では、今の位置との違いが残る。
新しい椅子を置いて5日後の朝に、今年の松の変化が見つかった。閉じた雨戸の外から、その位置は見えない。知るには、中へ入るか、持ち込んだ人から聞く必要がある。部屋の畳には薄くほこりが積もっていて、残っていたのは、椅子を運んだときの松田さんたちの足跡だけだった。管理会社も後藤さんも、松の手入れに合わせて椅子の位置を誰かへ伝えたことはないと話した。
椅子を持ち込む前、窓の前に何があったのかも尋ねた。松田さんによると、窓の右寄りに古い座椅子が1つ残っていた。2012年に初めて家を見たときからそこにあり、11月26日に椅子を入れるとき、押し入れへしまったという。座椅子に座ったときの目の高さは、古い写真の低い隙間と合う位置だった。
後藤さんは、子どものころ、夏休みにこの家へ来ると、門を入ったところで松の隙間からおばが手を振っていたのを覚えていた。おばはいつも、窓の前の座椅子に座っていたという。
村上さんは、店に残る古い作業帳を出してきた。手伝った日ごとに、どこを何本切ったかを書いた帳面である。2008年の秋の欄に、後藤さんの家の松のことが書いてあった。
「後藤様 松 南の座敷の座椅子より門の見えるよう、下枝を抜く。奥様の頼み」
その横に、もう一行あった。
「座る人が変われば、その人の目に合わせて切り直すこと ご主人より」
村上さんは、この一行を書いたことを覚えていた。文子さんが亡くなった後、義雄さんに言われたという。
「奥さんがいなくなっても、誰かがあの部屋に座るだろう、と。そのときは、その人から門が見えるようにしてくれ、と言われたんです。でも、ご主人が亡くなって、誰も座らなくなったので」
帳面には、2011年より後の欄に後藤さんの家の名前はない。村上さん自身は、言われたことを果たせないまま、この庭の仕事から離れていた。
村上さんは、今年の切り口の写真も拡大して見た。枝の付け根を少し残して斜めに切る、自分が義雄さんと一緒にしていた切り方と同じだという。ただ、同じ切り方をする植木屋はほかにもいる、と付け加えた。
私は、誰が椅子を知り、誰が枝を切ったのかまでは確かめられなかった。今年できた隙間が、かつての住人の低い目線より、新しく置いた椅子に座る人の目線に合うことは、その場で確かめられた。そして2016年から2020年までの隙間は、押し入れへしまわれるまで窓の前にあった座椅子の高さに合っていた。
小川さんに椅子と座椅子の話をすると、台所の窓から松を見て、「今年は、隙間が少し上にあると思っていたんです」と言った。
管理会社は、売却の前に庭全体を片付ける相談をしていた。松の形も整え直そうかと後藤さんへ聞くと、その隙間は残してほしいという答えだった。雨戸を開ければ、休みながら門を見るのに使えるからだった。後藤さんは、来月家を見に来るときに、その椅子に座ってみるつもりだと話した。
帰る前に雨戸を閉め、椅子は次の訪問にも使えるよう残した。門を閉めた松田さんが、その椅子のある窓へ向かって頭を下げた。家の中には、誰も残っていなかった。



