中央公園の砂場の貝殻に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。公園の砂場の上に、二枚貝や巻き貝の殻がたくさん散らばっている。

内陸の公園の砂場には、海から遠く離れているのに、毎朝決まって海の物が見つかることがある。

公園の砂場は、子どもが遊ぶ前に、掃除の担当者が見回る。割れたガラスや動物のふん、とがった物を取り除き、レーキと呼ばれる熊手のような道具で表面をならす。砂が減ったり汚れたりすれば、市が新しい砂を入れる。

柳瀬市の中央公園で掃除を受け持つ宮下邦夫さん(68歳)は、2022年2月初めから、砂場をならす前に貝殻を拾うようになった。ほぼ毎朝、20個から40個ほど見つかる。二枚貝も巻き貝もあり、殻はぬれている。公園から海までは約60キロある。宮下さんは、10年近くこの砂場を見てきて、以前にはなかったことだと話した。

初めは、子どもが海で拾った物を持ってきたのだと思ったという。翌日も同じくらいあったので、誰かが繰り返しまいていると考えた。とがった殻でけがをしないよう、砂場を開く前に取り除き、袋へためていた。掃除の日誌には、その日の朝に拾った数を書き込んでいる。最初の欄は「2月1日 貝23」だった。

「最初の何日かは腹が立ちました。いたずらなら、そのうち飽きるだろうと思っていたんです。でも、雨の朝にも、雪の朝にも同じくらいある」

写真を北都県立自然史博物館へ送ると、県内の海岸で見られる種類で、戸鳴町の砂浜でも拾えるという返事だった。似た海岸にもいるため、戸鳴から運んだとは特定できない。ただ、殻のぬれ方や付いている小さな生き物から、古い飾り用の殻を捨てただけではなさそうだった。

3月4日の22時、私は砂場を見に行った。街灯に照らされた表面に、貝殻は1つもなかった。子どもの小さな靴の跡と、バケツを伏せて作った砂の山が残っていたので、翌朝と比べるため、枠を含めて写真を撮った。

翌5日の6時に行くと、ぬれた殻が30個ほどあった。公園は夜も入れるし、砂場の枠へ近づく人が必ず足跡を残すわけでもない。私は宮下さんと一緒に、表面の殻を拾い始めた。

表面の巻き貝を持ち上げると、中で何かが動いた。小さなヤドカリだった。宮下さんは容器へ移し、博物館に扱いを相談することにした。空の殻を片づけているつもりだったが、乾いた袋へまとめて入れるわけにはいかなくなった。

博物館に電話で尋ねると、海のヤドカリは、海水がなければ長くは生きられないという答えだった。前の日の昼に誰かがまいたのなら、乾いた砂の上で一晩を越すのは難しい。

宮下さんが指したのは、前夜の写真にも写っている靴の跡だった。つま先の縁から白い物がのぞいている。横から砂を払うと、小さな二枚貝の殻が出てきた。殻の上の砂には、靴底の模様が残っていた。

朝までに上からばらまかれただけなら、表面のくぼみに入ることはあっても、形を保った足跡の下には入りにくい。ただ、昼間に子どもが殻を埋め、その上を踏んだ可能性はある。前夜の表面だけを写した写真では、殻がもともと砂の中にあったかどうかは分からなかった。

公園を管理する市の担当者に聞くと、最近砂を入れ替えた記録はなかった。古い砂に混じった殻が、遊ぶたびに出てくるのだろうか。宮下さんは翌日の掃除で、表面の殻を取るだけでなく、道具で浅く砂をすくってみた。

普段あまり掘られない枠の端からも殻が出た。表面は乾いているのに、殻の周りだけ砂が黒くぬれていたという。宮下さんは場所ごとに分けて容器へ残してくれた。私が翌日に見たときも、その砂はほかより湿っていた。海水かどうかまでは分からない。

砂に初めから混じっていた物を確かめるため、市の担当者と相談し、3月7日の夕方に砂をふるった。細かい目を通った砂を、小さな透明の保存容器へ入れる。この目より大きい殻は、そのままの形では中へ入れない。

表面には試しに靴底を押し、模様を崩さずにふたをした。署名した紙をふたと本体にまたがるように貼り、砂場の端の管理用の箱へ置いた。ふたを開ければ紙も動く位置である。同じ砂を入れたもう1つの容器は、事務所へ持って帰った。

翌8日、私と宮下さんが箱を開けると、署名の紙はつながったままで、ふたを外した跡は見えなかった。砂の上の靴底の模様も残っている。ところが、透明な容器を横から見ると、砂の中に白い殻が見えた。

ふたを開け、横から少しずつ砂を崩すと、二枚貝の片側が出てきた。ふるいの目より明らかに大きい。殻の周りだけはぬれていた。事務所へ持ち帰った容器には、殻はなかった。

霧島秀一撮影。細かい金属の網の上に、白い二枚貝の片側が1枚ある。殻は網目を通らない大きさで、少量の砂が付いている。
霧島秀一撮影。3月8日に保存容器から出した二枚貝の殻を、砂をふるった道具に載せた。殻は網目より大きい。

一晩中見張っていたわけではないので、誰も容器に触れなかったとは言えない。それでも、最初から砂に混じっていたとするなら、ふるいを通らない大きさが問題になる。後から上に埋めたとするなら、ふたの署名紙と砂の模様を元に戻したことになる。少なくとも、子どもが昼に埋めた殻を翌朝拾ったというだけでは、この容器の中は説明できなかった。

3月8日の夜、私は市の許可を得て、砂場の横の柵にカメラを取り付けた。10秒ごとに1枚、砂場全体を撮る設定にして、21時から翌朝6時まで残した。9日の朝、宮下さんが拾った殻は26個だった。画像を順に見ても、砂場に近づいた人や動物は写っていない。4時を過ぎたころから、砂の表面に小さな黒い点が少しずつ増えていく。点は、砂がぬれた跡のように見えた。殻そのものは、明るくなった6時前の画像で初めて見分けられた。

黒い点が出た場所は、宮下さんが殻を拾った位置とほぼ重なっていた。宮下さんはパソコンの画面で画像を何度も戻して見て、「満ち潮が来るみたいですね」と言った。枠の端から点が増え、砂場の真ん中へ広がっていく順番も、毎朝の殻の出方と同じだという。

その後、市の担当者が、砂場を作ったときの古い工事の書類を探し出してくれた。中央公園の砂場は1987年に作られ、砂は一度も全部を入れ替えていない。足りなくなった分を何度か足しただけだという。最初に入れた砂の欄には、市内の業者の名前と並んで、「戸鳴産」と書かれていた。

「当時は川の砂が足りなくて、海の砂を洗って使ったと聞いています。戸鳴のどこかの浜から、トラックで運んだんでしょう」と、市の公園担当の職員は話した。

業者は廃業していて、どの浜の砂かまでは確かめられなかった。海の砂は、塩を洗い流してから使うのが普通で、35年たった今、砂場の砂のどれだけが当時の物なのかも分からない。それでも、宮下さんが毎朝ならしてきた砂の一部は、博物館が貝の産地として名前を挙げた町から来ていた。

博物館の学芸員は、写真を見て、殻の多くはこの冬に死んだ貝の物のように新しいと言った。何十年も砂に埋まっていた殻なら、表面がすり減って白っぽくなるはずだという。殻に付いていた小さな生き物にも、乾ききっていない物があったという。砂場の殻は、古い砂に長く埋まっていた物には見えなかった。

拾ったヤドカリは、博物館の助言を受けて、宮下さんが塩水を入れた水槽で一時的に世話をしている。ほかの殻も、動くものがないか見てから扱うようになった。

「海から運んできた物なら、拾えば終わるんですが。砂のほうが覚えているのなら、拾っても、また出てくるんでしょうね」

砂場の表面に見えた殻は、毎朝取り除いている。宮下さんは、子どもが作った山や足跡を平らにする前に、砂を少しずつ崩して中を確かめるようになった。私が最後に訪ねた朝、宮下さんはレーキを枠に立て掛け、両手で砂を一すくいずつ持ち上げては、指の間から落としていた。

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