沢渡遺跡の1円玉に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。四角く深く掘られた発掘の穴。壁に茶色と黒の土の層が見え、底の黒い層に赤い旗が立っている。

地方の発掘調査の記録には、出てくるはずのない時代の物が、ほかの出土品と同じ番号の付け方で登録されていることがある。

柳瀬市沢渡地区では、道路工事に先立って、県の埋蔵文化財センターが発掘を進めていた。工事で地面を掘る前に、下にある古い暮らしの跡を調べ、位置や出土品を残しておくための調査である。見つかった物は、深さと位置を測り、写真を撮り、図面に書き込んでから取り上げる。一つずつ小さな袋へ入れ、管理のための番号を付ける。

2022年2月26日、私は現場の小屋で、二つの袋を並べて見せてもらった。一つには平成元年の1円玉、もう一つには縄文土器の破片が入っていた。

硬貨が出たのは、地表から約1.6メートル下の黒い土だった。この層からは、約4000年前と見られる土器がまとまって見つかっている。平成元年は1989年で、年代は合わない。

私は、新しい物が後から入り込んだのではないかと考えた。調査員の片岡美恵子さん(46歳)も、最初は掘っている途中に誰かが落としたと思ったという。ただ、それだけでは片付けにくい物が、硬貨の横から出ていた。

発見は2月15日だった。片岡さんが移植ごてで土を少しずつ削っていると、銀色の面が見えた。そこで手を止め、硬貨と周りの土を撮影した。位置と深さを測り、方眼紙の図面にも書き込んでから、土器の破片と分けて取り上げたという。

「上から落ちた物なら、土の上に載っているはずです。でも、あの1円玉は半分が土に埋まっていて、削っていって初めて縁が出てきました。作業員のポケットから落ちた物とは、出方が違いました」

この現場では、作業員は財布や小銭を小屋に置いてから掘り始める決まりになっている。落とし物が出土品に紛れると、記録が混乱するからだ。片岡さんは、その日に作業した5人に尋ねたが、1円玉を持って穴へ下りた人はいなかった。

片岡さんが最初に撮った写真には、硬貨の半分に土がかぶり、すぐ横に土器がある様子が写っていた。作業中に上から落ち、むき出しのまま地面に載った硬貨を撮ったものではなかった。

古い土の中にも、後の時代に掘った穴が通ることはある。植物の根や小動物が作る隙間も、新しい物が下へ入る道になる。片岡さんは硬貨の真上の断面を見せ、地表から掘って埋め戻したような大きな筋は見つからなかったと説明した。

細い隙間まで全くなかったという意味ではない。現場の記録では、入ってきた経路をまだ特定できていない、という説明だった。

1989年ごろ、この土地は田んぼだった。そこで落とした硬貨が、長い年月の間に下へ移った可能性は、年号だけでは否定できない。同じ深さから出た物が、全て同じ時代の物とは限らない。

1円玉はアルミニウムでできていて、1枚1グラムしかない。水を張った田では、泥と一緒に動くこともある。ただ、アルミニウムは土の中で白くさびる。片岡さんによると、この硬貨の表面のさびは薄く、30年以上土にあった物としては、きれいすぎるくらいだという。

2月27日、私は工事の前までこの田を作っていた梶田善治さん(83歳)を訪ねた。1989年ごろも、毎年ここで米を作っていたという。田んぼは、耕す土の下に、水を逃がさないよう固く締めた層がある。

「耕すのはせいぜい15センチ、深くても20センチです。その下は固い床になっていて、鍬もなかなか通らない。小銭を落としたって、床の上で止まります。1メートル半も下へ沈むことはないでしょう」

梶田さんの話は、田の土がどう作られていたかについての経験である。床の層に割れ目がなかったとまでは言えない。ただ、硬貨が自然に下へ沈んだという説明は、さらに通りにくくなった。

片岡さんが問題にしていたのは、硬貨の隣で見つかった土器片だった。洗って表面の土を落とすと、浅い丸いくぼみが現れた。大きさは1円玉とほぼ同じで、中央に枝分かれした線がある。

初めは、小石や植物を押し当てた跡かと思ったという。土器の模様には、まだ柔らかい粘土へ物を押して付けるものもある。縄を転がした縄目や、貝殻の縁を押した跡がよく知られている。丸いというだけでは、横の硬貨と結び付けられない。

拡大して見ると、くぼみの端に「一」と「円」に似た短い線が残っていた。中央の枝分かれは、1円玉にある若木の図柄に似ている。年号のある面とは反対の面である。

押し付けた跡なら、図柄の向きは左右が逆になる。片岡さんは硬貨とくぼみの写真の一方を反転させ、欠けていない線の配置を比べた。私も拡大鏡で現物を見た。全ての文字がはっきりしているわけではないが、円の内側で枝が分かれる所と、端の短い線の位置が対応していた。

下の写真は、比較のため硬貨と土器を並べたものだ。硬貨は若木の面を上にしているので、この写真には平成元年という年号は写っていない。

霧島秀一撮影。白い台の上に、若木の面を上にした1円玉と、茶色い土器の破片が並ぶ。土器の表面には硬貨と同じほどの丸いくぼみがあり、中に枝分かれした浅い線が見える。
霧島秀一撮影。2022年2月26日、沢渡遺跡の調査員に見せてもらった硬貨と土器片。土器の丸いくぼみと、その内側の線を、1円玉の若木の面と比較した。

発見時、硬貨は土器の上に貼り付いていたのではなく、すぐ横から出ている。取り上げた後に、試しに硬貨を押して作ったくぼみでもない。まだ土の付いた最初の写真にも、丸い輪郭の一部が写っていた。

片岡さんは、センターの顕微鏡で撮った拡大写真も見せてくれた。丸いくぼみの縁には、外へ押し出された粘土の盛り上がりがある。若木の枝に当たる細い溝の脇にも、同じように土が寄っていた。焼いた後の固い土器を削ったのなら、溝の縁は細かく欠ける。ここには、柔らかい粘土を押し分けた形が残っている。片岡さんは、若木の図柄が押された後に、この土器が焼かれたと判断していた。

くぼみのある破片の割れ口は、同じ黒い層の少し離れた場所から出た2枚の土器片に合った。片岡さんが3枚の端を合わせると、割れ口の凹凸がかみ合い、表面の縄目もつながった。つながった器の口の形と模様から、約4000年前の縄文土器と判断したという。丸い跡のある破片も、その器の一部だった。

「硬貨だけなら、混ざり込んだ物として一行で済みます。土器だけなら、何かを押した珍しい模様として済む。二つを並べたときだけ、どちらの説明も使えなくなるんです」

ただ、隣から出た硬貨が直接押されたと分かる傷までは確認されていない。同じ図柄の別の1円玉でも、似た跡は作れる。平成元年という年号が、土器に写っているわけでもなかった。硬貨の若木の面の細い溝には、取り上げたときの土がわずかに残っている。片岡さんはそれを洗わずに袋へ入れてあり、焼けた粘土の粒が混じっていないか、センターで調べる予定だという。

センターの決まりでは、時代の合わない物は「混入品」として、ほかの出土品と分けて整理することが多い。片岡さんは、硬貨をそう扱うかどうかを、まだ決めていなかった。混入品にすれば、硬貨の番号は土器の番号から離れた欄へ移る。

私は硬貨の袋の番号を手帳に控えた。片岡さんは土器の袋も指し、こちらも一緒に書いてほしいと言った。

硬貨だけを書き留めれば、新しい時代の物が紛れ込んだ話として整理できる。しかし、それでは焼く前に付いたと見られる若木の跡を説明できない。私は控えた番号の下に、土器の番号も書き足した。

調査は3月末まで続く予定で、報告には、見つかった位置をそのまま載せるという。現場では硬貨の場所に赤い旗が立ち、その隣には土器を外した浅い穴が残っていた。

土をもう少し削れば、穴の形はなくなる。片岡さんは穴の縁に白い札を差し、土器の袋と同じ番号を書き込んだ。私は旗だけを写そうとしていたカメラを少し引き、土器のあった所も画面へ入れた。

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