古い家の門柱には、もう配達の来ない牛乳箱が、店の名前を残したまま取り付けられていることがある。
牛乳の宅配では、客が店と曜日と本数を決め、配達員が朝早く、家ごとの牛乳箱へ瓶を入れていく。客は飲み終えた瓶を洗って箱へ戻し、配達員は次の配達のときに空き瓶を持ち帰る。箱の中で、満ちた瓶と空の瓶が入れ替わることで、配達は続いていく。
三ツ森町の下地区に住む川村佐知子さん(74歳)は、向かいの空き家に届く牛乳を、自宅の冷蔵庫で預かっていた。誰も飲まないまま、2022年2月半ばには瓶が20本近くになった。配達を止めてもらおうにも、紙のふたに書かれた店は、19年前に廃業している。
空き家には、2016年から人が住んでいない。門柱には木の牛乳箱が残り、「三ツ森牛乳」の文字が読める。川村さんが瓶に気づいたのは今年1月だった。月・水・金の朝に、180ミリリットル入りの瓶が1本ずつ入っていたという。
ふたには、見つけた日の2日後の賞味期限が刷られ、中身は冷えていた。傷ませたくなくて持ち帰ったが、飲んだことはない。空き家の持ち主から、箱の中を片づける了承は得ている。その持ち主も、牛乳を頼んではいなかった。
「捨てるのはもったいないし、飲むのも気味が悪い。だから冷蔵庫の奥に並べておくしかなかったんです」
三ツ森牛乳は2003年に廃業した。私は元店主の息子、中西隆久さん(63歳)を訪ねた。今は町内で別の仕事をしている。瓶を見ると、ふたの文字には覚えがあるが、底の製造の印は店で使っていた物と違うと言った。店の瓶は、底に丸で囲んだ「三」の字が浮き出ていた。届いた瓶の底の印は浅く、どこの工場の瓶なのかは中西さんにも分からなかった。
配達車も、ふたに店名を刷る機械も、廃業したときに処分している。家に残った客の控えには、その家へ月・水・金に1本ずつ届けるとあった。ただ、昔の配達を知る人はほかにもいる。店名や曜日をまねた人がいるのなら、配達日に見つかる瓶だけでは見分けられない。
2月20日の夕方、川村さんは「この家にはもう誰も住んでいません。配達は不要です」と紙に書いた。私と中西さんが見ている前で、牛乳箱へ入れた。翌21日の月曜日、私は4時30分から、向かいの川村さんの家の窓から門を見ていた。外はまだ暗く、門柱は街灯に照らされていた。門へ来た人はいなかった。7時30分に箱を開けると、紙はなく、瓶も入っていなかった。
私が見始める前に誰かが来て紙を読み、配達をやめたのかもしれなかった。川村さんは、それなら冷蔵庫も片づけられると話した。
23日の水曜日、また瓶が届いた。紙も箱に戻っていて、川村さんの文の下に、薄い鉛筆で返事があった。
「存じております。いつもの通りです」
「誰かが読んでいるのは確かなんです。読んで、それでも置いていく。そのほうが、黙って置かれるより落ち着きません」と川村さんは言った。
中西さんは、家に残る父親の配達の帳面を持ってきて、字を比べた。父親の字は太く角ばっていて、紙の細い字とは似ていなかった。

私が午後に見せてもらった瓶には、25日までの賞味期限が刷られていた。川村さんも中西さんも、返事の字には心当たりがない。少なくとも、空き家だと知らせるだけでは止まらなかった。
その日は、中西さんが持ち主に頼まれ、牛乳箱を門柱から外すことになった。受け取る場所をなくせば、配達する人も気づくだろうという相談だった。「箱がなければ、置きようがないでしょう」と中西さんは言った。私は箱の状態を記録するために同行した。
瓶はまだ川村さんの冷蔵庫にあった。中西さんは空の箱を外し、門の内側の台へ置いた。裏板や底に穴はなく、門柱の中へ続く仕掛けもなかった。私は開いた箱の内側と、外した跡を順に撮った。
中西さんは、箱を運ぶ前に、預かっている瓶も引き取ると言った。私は川村さんと冷蔵庫の瓶を見直した。以前の物と混ぜないよう、その朝の1本の底に、川村さんが赤い油性ペンで日付を書いていた。
中西さんがその1本を空の箱へ戻した。運ぶ途中で転がらないか確かめるためだった。箱の扉は開けたままで、私たちは箱の前に立っていた。白い中身の上の端が、瓶の肩からゆっくり下がった。
瓶を傾けた人はいない。口には紙のふたがはまり、底の下もぬれていなかった。中西さんがすぐ持ち上げたときには、底に薄く白い液が残るだけになっていた。日付の赤い文字も、そのまま見えた。
川村さんは中西さんの手を見て、「捨てたんですか」と尋ねた。中西さんは空の瓶を渡した。川村さんが紙のふたを外すと、内側には液が付いていた。白く見えるだけの紙や、瓶の中を区切る物はなかった。
ほかの瓶でも起きるのか。中西さんは確かめる前に、保管中の中身を飲まないよう川村さんに念を押した。私たちは冷蔵庫から別の1本を出し、門の台へ置いた。しばらく待っても中身は減らない。中西さんが牛乳箱の中へ移すと、開いた箱の扉越しに、また白い面が下がり始めるのが見えた。
途中で私が瓶を持ち上げた。中身は半分ほどで止まり、箱の外で持っている間は変わらなかった。箱へ戻すと、残りもなくなった。この2本については、空き家の誰かが飲んだ後に空瓶を置き直した、という順序ではなかった。
箱を門柱から外しても起きた。最初の瓶の中身は、その後も戻らず、台にも箱の底にも液は見つからなかった。液がどこへ行ったのかは、分からなかった。
川村さんは、これまで空瓶を一度も返していなかったと言った。届いた瓶は、どれもふたを付けたまま冷蔵庫へ運んでいる。箱の中で、満ちた瓶が空の瓶に替わるのを見たのは、この日が初めてだった。
その夜、私は川村さんを通じて、持ち主の男性に電話で話を聞いた。県外に住んでいて、空き家は母親が一人で暮らしていた家だという。母親は2016年に施設へ移るまでそこに住み、三ツ森牛乳が店を閉めるまでは、月・水・金に1本ずつ取っていた。
「母は朝、箱から瓶を出して、台所で立ったまま飲んでいました。飲み終えたらすぐ洗って、ふたをかぶせて箱へ戻す。それが決まりでした。留守にする前の日は、『あすは要りません』と書いた紙を箱へ入れておく。配達の人は必ず読んで、その日は置かなかったそうです。店がなくなってからも、しばらくは朝になると箱を開けていました」
中西さんの控えにある曜日と本数は、持ち主の話と合っていた。紙の返事の「いつもの通り」が何を指すのか、私は決められない。ただ、その家の「いつもの通り」は、箱へ入った瓶が、飲み終えた空き瓶になって箱に戻ることだった。
母親は、配達を止めたい日には紙で知らせていた。川村さんの紙も、その家の決まりどおりに箱の中で読まれ、返事まで付いて戻ってきた。それでも配達は止まらなかった。返事を書いた誰かにとって、住む人がいないことは、届けるのをやめる理由にならなかったように読める。
中西さんは箱を大きな袋へ入れ、瓶とは分けて持ち帰った。配達がどう行われていたか、返事を誰が書いたかは確かめられていない。川村さんが瓶を持ち帰っていなければ、1月から同じことが箱の中で起きていたのかも分からない。
川村さんは冷蔵庫に残った瓶を数えた。傷ませないように預かってきた中身は、まだ白く入っていた。中西さんは、それらを空にするために、もう一度あの箱へ入れることはしないと言った。川村さんは瓶を1本ずつ新聞紙で包み、中西さんの持ってきた籠へ、口を上にして並べた。



