町の引っ越し業者の控えには、何年も前に運んだ荷物の数や置き場所が、写真付きで残っていることがある。
柳瀬市内の小さな引っ越し業者では、依頼を受けると、まず電話で依頼主と話し、荷物の量と運ぶ先を確かめる。作業の日には、運転手が荷物を積み、届け先で置いた状態を写真に撮る。後から傷や数について問い合わせがあったときのためで、依頼書と写真をまとめた控えは、事務所の棚に年ごとに綴じてある。
2022年2月5日3時2分、この業者の事務所に、手書きの依頼書がファクスで届いた。希望日は12日の朝。たんす1、布団1組、段ボール6箱を、木造アパートの若葉荘201号室へ運んでほしいと書かれていた。字は細いボールペンで、品目と数が欄の中に几帳面に収まっていた。
依頼主は「ニシカワ タダシ」。荷物を引き取る住所は、本町の番地だった。社長の村上義文さんは連絡先へ電話したが、番号は使われていなかった。ファクスの送信元の番号も記録されていない。
「夜中のファクスは珍しくありません。ただ、こちらから一度も声を聞けない依頼は受けられない。荷物の量も、本当に引っ越すのかも分かりませんから」
村上さんが若葉荘の大家、中村和実さんへ問い合わせると、中村さんはその名前を知っていた。ニシカワさんは2016年3月に201号室を退去し、鍵も返している。その後は2017年から別の人が借り、2020年12月に退去した。現在は空室で、新しい入居契約もない。村上さんは車も作業員も手配しなかった。
私は村上さんに依頼書を見せてもらった。本町の番地は、北都信用金庫本町支店があった場所だった。この支店は2014年に閉じている。
ニシカワさんと本町支店については、2021年6月にも取材した。退去後もその名義で、中村さんへ毎月3万2千円が振り込まれていたためだ。銀行が個々の入金の番号から照会しても、送り手側の対応する送金や返金先の口座は見つからなかった。中村さんは金を家賃として使わず、別に残している。
そのときは、ニシカワさんの転居先を確かめられなかった。引っ越し業者には記録があるかもしれない。村上さんに棚の控えを調べてもらうと、2016年3月の分が残っていた。若葉荘201号室から、今回と同じ本町の番地へ、たんす1、布団1組、段ボール6箱を運んでいる。
今年の依頼書は、約6年前の仕事の出発地と到着地を入れ替えた内容だった。荷物の品目と数は、1つも変わっていない。
当時の運転手、松田健介さんは、今も会社で働いていた。控えを見ると、銀行の窓口の横を通って、奥の部屋へたんすを入れた仕事を思い出したという。
閉店後の建物を、倉庫として使っていたのか。私がそう聞くと、松田さんは窓口に人がいたと答えた。ニシカワさんが職員らしい人に挨拶をし、客が来る前に荷物を通すよう言われたという。
「銀行に住むのかと思って、ちょっと笑ったんです。でもニシカワさんは、ここでいいんです、と言って、たんすの置き場所まで指で示しました。迷っている感じはなかったですね」
たんすを傷つけないよう、松田さんはカウンターの角で保護用の布を巻き直した。その場所をよく覚えていた。荷物を置いた後に撮った写真には、たんすの横に布団、足元に6箱があり、戸口の先には窓口の番号札が見えていた。
写真のたんすは濃い茶色で、上から2段目の引き出しだけ色が薄い。段ボールの1箱には、角を斜めに補強する赤いテープがあった。
支店はすでに閉じていたが、建物の中に人や家具があったことまでは、閉店と矛盾しない。当時、建物が何に使われていたのか、松田さんは知らなかった。ニシカワさんの署名を受け取り、作業を終えたという。
希望日の2月12日の朝、中村さんは201号室の鍵を開けた。部屋は空で、引っ越しの車も来ていない。ただ、扉の横の名札入れには「ニシカワ」と書かれた白い紙が入っていた。
中村さんから連絡を受け、翌13日、私は村上さん、松田さんと若葉荘へ行った。外階段から廊下へ上がれば、部屋の鍵がなくても名札は入れられる。中村さんにも、紙を入れた人の心当たりはなかった。

中村さんが鍵を開け、私たちは廊下から室内を見た。玄関の先にあるはずの畳が見えなかった。床は灰色で、正面に低いカウンターがある。上には「2」と書かれた窓口の札が下がっていた。
私は部屋を間違えたのかと思い、扉の201の数字と、隣の部屋との間を見直した。中村さんは鍵を抜かず、昨日は空の畳の部屋だったと言った。カウンターの奥に人の姿はなかった。
松田さんは、窓口の左側を指した。壁との間に通路があり、その先の開いた戸口に、茶色のたんすが見えた。上から2段目だけ色が薄い。横には布団が重ねられ、足元には赤いテープの付いた箱があった。奥まで数えられず、6箱全部があるかは分からなかった。
2016年の写真を出すと、松田さんが荷物の間近から撮った戸口と、いま廊下から見えている戸口の位置がつながった。あの写真では、荷物の側から窓口を見ている。私たちは逆に、窓口を挟んで荷物を見ていた。
映像や大きな写真を置いたのかもしれない。私は敷居の外から左右へ動いて撮った。カウンターの端に隠れていた箱が横から見え、札の向こうの壁も、見える範囲が変わる。平らな写真が1枚あるだけ、という見え方ではなかった。
中村さんは誰も入らないよう頼み、外階段を下りた。私は廊下に残り、扉を開いたまま撮影を続けた。庭を挟んだ向かいは、中村さんの自宅だった。中村さんは自宅の2階から201号室を見た後、戻ってきた。窓からは、いつもの空の部屋に見えると言う。
「畳の目まで見えました。昨日、私が開けたときのままです」
今度は中村さんに、自宅の2階へ案内してもらった。201号室の庭側の窓と、ほぼ同じ高さで向かい合う位置だった。201号室は角の部屋で、庭側の窓と廊下の扉は同じ部屋につながる。カーテンはなく、窓越しには畳、押し入れ、開いた玄関の扉が見えた。戸口には、室内へ入らずに立っている村上さんの顔も見えた。カウンターはなかった。
村上さんへ電話すると、こちらからはまだ窓口が見える、と答えた。私は電話をつないだまま、中村さんの自宅を出て外階段へ戻った。村上さんの隣から見ると、窓のあった側まで灰色の床が続き、奥には先ほどのたんすがあった。
私たちは敷居を越えていない。室内に仕掛けがあるのか、どこまで床が続くのかは調べられなかった。ただ、同じ開いた扉の前にいる村上さんを、窓の側からは空室越しに見ることができた。誰かが名札だけを入れたという説明では、そこで見た室内の違いは説明できない。
中村さんは扉を閉め、鍵を掛けた。村上さんは、引っ越しを引き受けていないことを、中村さんに改めて伝えた。目の前に荷物らしい物が見えても、運び出すよう社員へ指示することはできないと言った。
「うちは頼まれた物を、頼まれた所へ運ぶだけです。6年前もそうしました。今度の依頼は受けていない。だから、あのたんすには誰も触らせません」
6年前、松田さんはあのたんすを窓口の向こうへ運び、仕事を終えた。今度の依頼書に書かれた運び先は、その荷物を廊下から見ていた私たちの目の前にある、若葉荘201号室だった。
中村さんは、本人が見つかれば、預かっている金を返すつもりでいる。けれども、この日は窓口へ呼びかけなかった。
201号室の前を離れるとき、松田さんは、閉じた扉の横の名札入れを見ていた。白い紙の「ニシカワ」の字に指を近づけ、抜き取らずに手を下ろした。それから中村さんに、ここから見えたたんすには手を掛けないでほしいと頼み、先に外階段を下りていった。



