アマチュア無線家の手元に届くカードの束には、何十年も前に使われなくなった用紙が、まれに紛れ込むことがある。
アマチュア無線では、電波で話した相手と、「交信証」と呼ぶはがき大のカードを交換する習慣がある。カードには、互いの無線局を示す呼び出し符号と、交信した日時、周波数が書かれる。郵送のほか、カードをまとめて取り次ぐ団体を通して送ることも多い。届いたカードを自分の交信ノートと照らし合わせ、会話が確かに成り立ったことを確かめ合う。
柳瀬市に住む安藤昭夫さん(64歳)は、中学生のころから無線を続けている。届いたカードは、ノートと一枚ずつ照らし合わせて整理してきた。
2022年3月、取り次ぎの団体から届いた束に、懐かしい図柄があった。中学生のころ無線を教わった宇佐美達郎さんが、1980年代に使っていた用紙だった。左上に刷られた局の所在地は「北都県鳴沢村」で、2005年に柳瀬市と合併する前の村の名前のままである。安藤さんが今も師匠と呼ぶ宇佐美さんは、1999年に亡くなっている。
昔のカードが遅れて届くことはある。しかし交信日は2021年12月12日、時刻は日本時間の2時20分とあり、宛先は安藤さんが現在使う呼び出し符号だった。周波数の欄には、宇佐美さんが夜によく使っていた帯が書かれている。余白には「また夜に」とあった。
その日のノートに交信の記入はない。安藤さんは早く寝て、無線機の電源も入れなかったと話した。妻の昌代さんも、その晩、無線のある部屋に明かりはついていなかったと話した。取り次ぎの団体では、届いたカードを宛先の呼び出し符号ごとに仕分けて送り出す。送り主の側は、カードをまとめて団体へ送るだけで、1枚ずつの記録は残らない。団体へ尋ねても、この1枚を誰が送ったのかまでは分からなかった。古い用紙に、いま誰かが書き込んだ可能性はあった。宇佐美さんの遺品の用紙が、どこかに残っていてもおかしくない。
カードに刷られた宇佐美さんの呼び出し符号は、亡くなった後に使えなくなっている。同じ符号が別の人に割り当て直されたという話は、安藤さんが昔の仲間に尋ねた範囲では出てこなかった。
それでも気になったのは、裏の余白にある鉛筆書きだった。上が閉じていない丸と、中央の点。その横に「順序を逆に」とある。
安藤さんは古い道具箱から、中学生のときに組んだ無線機の配線図を出した。部品のつなぎ方を描いた紙で、宇佐美さんと不具合を直した際の書き込みが残っている。二つの部品を並べた所に、同じ丸と「順序を逆に」の文字があった。
「宇佐美さんの家で、はんだごてを持ったまま固まっていたら、横からこの丸を描いてくれたんです。ここを逆につなげばいい、と。それで初めて、自分の組んだ機械から声が出ました」
私は3月26日、安藤さんの机で、図とカードを見せてもらった。

丸の欠け方や文字の傾きは似ている。ただ、宇佐美さん本人の字だと判定できたわけではない。図を見た人がまねた可能性もあった。配線は当時、教わったとおりに直し、今は別の市販の無線機を使っている。修理をやり直せという意味ではなさそうだった。
安藤さんによると、この配線図を人に見せたことはほとんどない。道具箱は押し入れの奥にあり、家族も中身を知らない。ただ、昔の無線仲間の何人かは、宇佐美さんの家で同じような図を見ていたかもしれないという。
その夜も安藤さんは、カードにある周波数帯を聞くつもりだった。ここ数晩、短い声を聞いてはいたが、誰が話しているかを確かめられなかったという。私は取材の続きとして、受信の様子を見せてもらうことにした。
宇佐美さんから教わったことで、今も守っていることがあると安藤さんは話した。相手の声が聞こえただけで、交信したとノートへ書かないことだ。こちらから呼びかけ、相手がそれに答えたと分かって、初めて会話として残す。
中学生のとき、宇佐美さんの声を聞き、自分の呼びかけも届いたと思い込んだことがあった。後で届いていなかったと分かり、ノートの1行を消した。そのページは、いまも取ってあるという。
夜になり、安藤さんは机のマイクを無線機から外した。声を出して相談しても、うっかり送信しないようにするためだった。私は受信音と、その場の会話を録音する許可をもらった。23時を過ぎたころ、安藤さんはカードの「また夜に」を指でなぞってから、無線機の音量を上げた。
雑音の中で、男性が安藤さんの現在の呼び出し符号を呼んだ。短い間を置き、「その丸のところ、見えていますか」と言う。安藤さんはすぐに返事をせず、机の配線図へ目を落とした。
すると無線機から、「はい、丸の中の点ですね」と聞こえた。年配の男性とは違い、近くに座る安藤さんの声に似ていた。私は安藤さんを見た。口は閉じたままで、配線図を押さえていた。
男性は、紙の端を持って裏返すよう指示した。無線機からは、紙を持ち上げるような音に続いて、「裏は白紙です」という返事があった。机の配線図は動いていない。安藤さんの手も、表の上に置かれたままだった。
昔のやり取りを録音した物だろうか。安藤さんは首を振り、「この図の裏には買い物のメモがあります」と小声で私に言った。実際に紙の端を持ち上げると、鉛筆で部品の個数が並んでいた。
その直後、無線機の男性が「いま、裏にメモがあると言いましたね」と言った。安藤さんに似た声は答えなかった。聞こえていた紙の音も止まった。
マイクは外したままで、机の端に置いてある。安藤さんは無線機の表示を確かめ、送信中にはなっていないと私へ示した。男性はもう一度、現在の呼び出し符号を呼んだ。
「そちらで答えてください。聞こえていますか」
安藤さんは返事をしなかった。無線機の中の、安藤さんに似た声も黙っていた。それまでは途切れずに続いていた会話に、初めて返答のない間が空いた。しばらくして受信音は雑音だけになった。安藤さんは、しばらく無線機の表示から目を離さなかった。
約6分の録音を聞き直すと、私に向けた安藤さんの小声と、それを受けたような男性の発言が続いていた。前半で鳴った紙の音の間、机の図を動かした人はいない。誰かが昔の録音を流していただけなら、後半の、その場の言葉に応じる発言は入らないはずだ。
どこから送られた声かは確かめられなかった。家の中の音を別の方法で聞いていた人が、似た声を使った可能性も調べ切れていない。男性を宇佐美さん本人とも、返事の声を安藤さん本人とも決めることはできなかった。
安藤さんは、先に返信のカードを書かなくてよかったと言った。自分の符号を呼ぶ相手と、自分に似た声で答える相手が、交信を進めていた。最後に求められた返事だけが、机のこちら側にいる安藤さんへ向いていた。
「あの声が私だとしたら、私はもう何度か、宇佐美さんと話していたことになる。それを、ノートに書いていいのかどうか分からないんです」
その夜、交信ノートには、受信した時刻と「送信せず」と書いた。届いたカードにある昨年12月の交信は、今夜の会話で確かめられたことにはならない。返信用のカードも白紙のままにした。
古いノートの、宇佐美さんの符号を消したページを見せてもらった。あのときは、自分の声が相手へ届かなかったので消している。安藤さんは今回も、その線のあるノートを開いたまま机の上へ残し、外したマイクのコードを無線機の後ろへ巻き付けた。



