地方の町内会の花見には、もうなくなった会のために、毎年同じ場所が取られていることがある。
北都県三ツ森町の上地区では、毎年4月最初の日曜日に、町内会が三ツ森川の土手で花見をする。土手には桜が並び、橋の側から数えて3本目の木の下は、昔から子ども会の場所だった。早く来た人が青いシートを敷き、四隅を石で押さえて場所を取る。終われば畳んで、それぞれの持ち主が持ち帰る。どこの花見でも見かける段取りだ。
上地区の子ども会は、子どもが少なくなったため1995年に解散した。ところが2017年から、花見の朝になると、橋から3本目の桜の下に「上地区子ども会」と書かれた青いシートが敷かれるようになった。誰が敷き、誰が片づけるのかは分かっていない。
2022年4月3日の日曜日、6時に土手へ行くと、そのシートはもう敷かれていた。四隅は川原の石で押さえられ、中央の札に「上地区子ども会」とある。表面は露でぬれ、花びらが数枚付いていた。土手にほかのシートはまだなく、人の姿もなかった。私は少し離れた所に立ち、7時半に町内会長が来るまで、シートに近づく人がいないことを見ていた。
町内会長の川村清久さん(72歳)は、以前の役員が懐かしがって敷いているのだろうと考えていた。子ども会の備品は、解散後も公民館の物置にしまってある。最初の2017年は、古いシートが出てきたと思っただけで、誰も気に留めなかった。2018年の花見の後に棚を確かめると、子ども会のシートはそこにあった。誰かが借りて使い、戻したのだと思ったそうだ。
「昔の役員なら、言ってくれれば鍵を貸すのに、と思っていました。ただ、黙って持ち出すような人たちじゃないんです」
物置の鍵を持っているのは、公民館の管理人と町内会長の2人だけだ。管理人の辻本悦子さん(66歳)は、鍵を貸すたびに名前と時刻を貸出簿に書いている。2017年からの花見の前後を見せてもらったが、子ども会の備品を出したという記載はなかった。辻本さん自身も、シートを貸した覚えはないという。
「子ども会の物は、物置のいちばん奥の棚にまとめてあります。その上に町内会の祭りで使う提灯の箱を載せているので、シートを出すには、まず箱を下ろさないといけない。箱のふたのほこりは、毎年そのままなんです」
土手に敷く人だけでなく、片づける人も分からない。花見が終わってから物置を見ても、使って戻したのか、初めから動かしていないのかは区別できなかった。
今年は、土手にまだ敷いてあるうちに確かめることにした。私がシートのそばに残り、清久さんが歩いて5分ほどの公民館へ向かった。物置を開けた清久さんと電話をつなぎ、いつもの棚にあるかと尋ねると、ある、と答えが返ってきた。その間、土手のシートは私の目の前にあった。
同じ会のシートが、もともと何枚もあったのだろうか。私は土手のシートの手前の角をめくって写真を撮り、清久さんにも物置のシートを棚から出し、同じ角を撮ってもらった。どちらにも白いペンキで子ども会の名がある。ただ、名前が同じだけなら、同じ人が複数の備品に書いたとも考えられる。
清久さんが比べてほしいと言ったのは、名の隣の補修だった。角の金具が一度外れたらしく、青い布を裏から当て、白い糸で四角く縫ってある。途中で縫い目が斜めにずれ、2本だけ外へ出ていた。土手でめくった角にも、清久さんから送られた写真にも、その不揃いな縫い方が見える。

清久さんが戻った後、私も公民館で現物を見た。物置のシートは乾いていて、折り目にほこりの線があった。土手の物は露でぬれている。少なくとも、電話で確かめていた間に1枚を公民館へ運んで戻した、という順序では合わない。
清久さんの妻、川村和子さん(70歳)は、解散まで子ども会の世話役をしていた。シートの補修をしたのは自分だという。
「金具がちぎれたのを、台所で縫ったんです。生地が厚くて針が通らず、途中で曲がってしまった。ほどくのも面倒で、そのままにしました。縫ったのは1枚だけです」
札の字も自分が書いたものだ、と和子さんは言った。厚紙に名前を書いてビニールで包み、ひもで金具に結んである。土手のシートの札も、物置のシートの札も、同じ字で、同じ結び方だった。
子ども会のことをいちばんよく知っていて、町内会長の鍵がある家に住んでいるのは和子さんだ。和子さんは自分からそう言い、疑われても仕方がないと笑った。ただ、和子さんが持ち出したのだとしても、物置の棚に同じシートがもう1枚あった理由にはならない。
誰かが後からまねた可能性は残る。しかしその場合は、会の名前だけでなく、裏側の曲がった縫い目まで写したことになる。単に同じ青いシートが2枚あったという話ではなかった。
和子さんは、解散の年の書き付けも残していた。1995年3月の解散の集まりで、和子さんが鉛筆で取った控えである。備品の扱いについては、こう書かれていた。
「シート、旗、太鼓は公民館に残す。上地区に子どもが戻ったら、また使う」
その下に、子ども会の花見の決まりも書き写してあった。「橋から3本目の桜の下は子どもの場所。場所取りは子どもがする。大人は座らない」。和子さんによると、当時は6年生が朝早くシートを敷き、片づけまで見届けるのが役目だったという。
「最後の花見の年は、当番の6年生が女の子1人きりでした。下の学年がいなくて、敷くのも畳むのも一人。片づけの後、この場所はもう誰が取るの、と聞かれて、子どもが来たらまた取ればいい、と答えたのを覚えています」
私は清久さんに、2017年に上地区で何か変わったことがなかったかを尋ねた。清久さんは町内会の名簿を開いた。2016年まで、上地区に小学生以下の子どもがいる世帯はなかった。2017年の春、川沿いの空き家に2つの家族が越してきて、名簿に子どもが3人加わった。その年の花見には、子どもたちも親に連れられて来ていた。土手にあのシートが初めて敷かれたのも、その年の朝だった。
9時ごろから町内の人が集まった。清久さんが朝の確認について説明すると、以前の子ども会の会員だった男性が、ここは昔から子どもの場所だった、と笑った。今は40代で、自分の子どもを連れて来ていた。
その子は札を読み、シートへ座ろうとした。父親は「これは昔の子ども会の物だから」と止めた。ほかの人も、誰が使うか分からない物に座らせるのはよくないと話し、隣へ新しいシートを広げた。
ぬれたシートを避けることも、誰かが取った場所に勝手に入らないことも、不自然な対応ではなかった。子どもたちは大人と一緒に、新しいシートの上で弁当を広げた。桜にいちばん近い青いシートは、空いたままだった。
私は昼過ぎに帰った。清久さんによると、片づけている途中で、土手のシートがなくなっていることに気づいたという。誰が持っていったかは分からず、私もなくなる瞬間は見ていない。公民館で調べた方は、朝と同じように棚へ戻してあった。
夕方、清久さんから電話があった。来年の配置について役員で相談し、橋から3本目の桜の下は、初めから空けておく方がよいという意見が多かったそうだ。清久さんも反対はしなかった。和子さんの控えにある決まりは、まだ誰にも見せていないという。
電話を切る前に、清久さんは、昼に止められたあの子のことを話した。帰りぎわ、その子は一人で3本目の桜の下へ戻り、空いたシートの札の字を指でなぞってから、父親のところへ走っていったという。



