旧白川街道のドライブレコーダーに関する奇妙な記録

情報提供者提供のドライブレコーダー映像。オレンジ色の照明が並ぶ古いトンネルが緩く右へ曲がる。車は中央線の左側を進み、ほかの車は見えない。

車のドライブレコーダーには、運転していた本人が通った覚えのない道が、数分だけ記録されていることがある。

ドライブレコーダーは、車の前と後ろに付けたカメラで走行中の映像を撮り続け、1枚のメモリーカードに保存する機械だ。前後の映像には同じ時計の時刻が入り、GPSで測った位置と速度も1秒ごとに記録される。事故の後に何が起きたかを確かめるための物なので、普段はほとんど見返されない。

南條市に住む中西利久さん(54歳)が、2022年4月3日の夜の映像を見返したのは、車が段差を踏んだように揺れたからだった。日曜の夜、柳瀬市の実家へ向かう途中、旧白川街道の峠の辺りで受けた衝撃だった。実家に着いてから車の周りを見たが、目立つ傷はない。何に乗り上げたのか確かめようと、前方カメラの映像を戻していくと、21時46分ごろから約3分間、走った覚えのないトンネルが映っていた。

中西さんが通ったのは、1979年に開通した、峠の横を回り込む県道である。その道にトンネルはない。

4月9日、私は中西さんの家で、保存された映像を見せてもらった。上り坂を進むと前方が暗くなり、古い坑口へ入っていく。壁には黒いしみがあり、オレンジ色の照明が続いていた。道は緩く右へ曲がっている。約3分後に出口へ近づき、外へ出ると、中西さんが知っている県道の下り坂になった。その間、ほかの車は見えない。

「坑口なんて見た覚えがありません。窓の外がオレンジ色になれば、さすがに気づきます。峠の手前で揺れて、ハンドルを握り直したことしか覚えていないんです」

まず疑ったのは、別の日の映像を開いたという取り違えだった。保存されていたのは、出発から実家に着くまでのひと続きの映像だった。トンネルが映る部分の前後には、その日に通った道の看板があり、最後には実家の門が見える。昔の走行動画が紛れ込んだようには見えなかった。

次に、記録された位置情報を地図に重ねた。走行経路は現在の県道に沿っており、速度は時速40キロ前後だった。ただ、位置情報が正しいから映像が間違いだと、その場で決めることはできない。私が行ったのは保存ファイルの確認で、映像の加工を鑑定したわけではない。

中西さんは、機械の故障も疑ってメーカーの相談窓口に問い合わせていた。窓口の説明では、この機種は前後の映像を別々のファイルに書き込むが、片方だけに別の映像を差し込む機能はない。故障なら、映像が途切れるか、乱れるのが普通だという。トンネルの3分間は、途切れも乱れもなかった。

このドライブレコーダーは、前方だけでなく、後ろの窓から見える道路も撮影していた。私は、後方側の保存映像を開いてもらった。

21時46分を過ぎても、車の後ろには屋外の道路が続いていた。白い路肩の線が遠ざかり、その外には木々が見える。前方がトンネルの壁と照明を映している間も、後方の画面には雪の残った路肩があった。次の画像は、中西さんから提供された後方映像の21時47分の画面である。

車の所有者提供。後方カメラに暗い山道、白い路肩の線、木々と残雪が映る。路面の手前が赤く照らされ、右下には2022年4月3日21時47分の表示がある。
中西さん提供。2022年4月3日21時47分、後方カメラの保存映像から切り出した画面。道路の両側に木々と残雪が見え、上には空が開いている。

前後で時計がずれているのかもしれない。私はまず、実家へ着いてブレーキをかけた場面を比べた。前方では門の前で景色の動きが止まる。後方でも同じ表示時刻に道路の動きが止まり、尾灯が路面を赤く照らしていた。出発時に車庫を出た場面も対応していた。

さらに、中西さんが衝撃を覚えた所を並べて再生した。前方にはトンネルの路面を横方向に延びる継ぎ目があり、その位置を通ると画面が小さく揺れた。後方の画面も同じ時点で揺れた。しかし、揺れた直後にも、後方には木々と路肩の雪が見えていた。

表示される時刻だけを合わせた比較ではなかった。出発、到着、途中の揺れという車の動きが、前後で対応していた。それでも峠の約3分間は、前方だけが天井と壁のある道を映していた。

4月11日、私は同じ県道を昼に走った。位置情報で揺れが記録された地点に車を停め、路面を見た。舗装は新しく、横に延びる継ぎ目も、段差も、穴もなかった。前後100メートルほどを歩いても、乗り上げるような物は見つからなかった。峠の手前では、道の脇の斜面に、草に埋もれた古い舗装の跡が下へ延びていた。

旧白川街道と周りの道を管理する県の土木事務所に問い合わせると、道路管理課の柴崎恒夫さん(58歳)が古い資料を出してくれた。峠の下には、長さ1.9キロの白川隧道が残っているという。1950年代に造られたトンネルで、水漏れがひどく、新しい県道が開いた1979年に、両側の入口をふさいだ。

古い内部写真にはオレンジ色の照明があり、途中で緩く右へ曲がっている。中西さんの映像と似ていた。時速40キロで3分走れば、距離は約2キロになる。長さも大きく外れないが、照明の色とカーブだけで、映像の場所を白川隧道だと特定することはできなかった。

柴崎さんは、1956年の竣工図も見せてくれた。トンネルの平面図に、県道が開いた後で誰かが鉛筆で上の道の線を書き加えている。峠を回る今の県道は、トンネルの両端に近い所から上り下りしている。その間で一度だけ、トンネルの真上を斜めに横切っていた。

「このトンネルは南口から約1.2キロの所で、工区が分かれていたんです。そこだけ路面に継ぎ目があって、車が通るとがたんと来る。閉める前の点検簿にも、継ぎ目の段差は毎年書いてあります」

柴崎さんが見せた点検簿は手書きで、1970年代の欄に「南口より1.2km 継目段差 要補修」と同じ文言が何度も並んでいた。補修されないまま、1979年に入口がふさがれた。

当時の点検員は、トラックで南口から入り、距離計の数字を読みながら進んだ。車体ががたんと来た所で停め、その数字を点検簿に書き写す。継ぎ目の位置は、毎年そうして体で確かめていたという。

私は中西さんの記録に戻った。このドライブレコーダーには、衝撃を測るセンサーも付いている。記録を見ると、21時47分過ぎに小さな衝撃が1回だけ残っていた。前方の映像でトンネルに入ってから揺れるまでの時間に、時速40キロを掛けると、約1.2キロになる。さらに、揺れた瞬間の位置情報を竣工図に重ねると、その点は、今の県道がトンネルの上を横切る所で、ちょうど継ぎ目の真上に当たっていた。私が昼に見た、何もない舗装の場所である。1970年代の点検員が距離計と体で確かめた1.2キロと、2022年のセンサーと位置情報が示した地点は、同じ継ぎ目を指していた。

中西さんは、後方の映像を見て、一度は安心しかけたと言った。自分が覚えている山道が写っていたからだ。その記憶に合う方だけを選べば、前方カメラの異常として扱える。

だが、車が揺れた瞬間は、どちらの映像にも残っている。何を踏んだか調べようとして、中西さんは同じ衝撃を、山道とトンネルの両方で見ることになった。その衝撃に見合う段差があるのは、ふさがれたトンネルの中だけだった。

高校2年の息子に2つの画面を見せたところ、車の前が中に入り、後ろが外に残っているなら、まだ入口を通っている途中のようだと言われたそうだ。

私もその状態がいつ終わるか、前後を並べて再生した。前方の画面には壁と照明が続き、やがて出口の先の下り坂が映った。後方の景色は、その約3分間、一度もトンネルの中に変わらなかった。

帰りぎわ、中西さんはドライブレコーダーからメモリーカードを抜き、「4月3日」と書いた封筒に入れて机の引き出しにしまった。新しいカードを差し込むと、5月の連休も実家へ行くつもりだと言い、カーナビの経路から峠の県道を外す設定を、私の前で一つずつ進めていった。

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