『三ツ森町史』第二巻に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。古い本屋の木の帳場。注文票の入った箱と、紙で包んだ本が置かれ、奥に本棚が並んでいる。

町や村が自分たちの歴史をまとめる「町史」には、予算や事情で刊行を取りやめ、原稿だけが残った巻が存在することがある。

北都県三ツ森町の『三ツ森町史』もその一つだ。第一巻は1994年に町教育委員会から刊行され、江戸時代までを扱っている。明治以降を収める第二巻も原稿は集められたが、1998年に予算が足りなくなり、印刷には進まなかった。教育委員会は今もそう説明している。

町で本を注文するなら、三ツ森書店の帳場へ行く。店主の片岡和彦さん(67歳)が注文を聞き、本の問屋とつながった端末で探して取り寄せる。端末には出版社が登録した書名、発行年、値段が並び、注文できる本には「受注可」と出る。

2022年2月、町の歴史を調べている宮下利昭さん(64歳)が、念のため第二巻を探してほしいと頼んだ。祖父が戦前に営んでいた製材所が、町の記録にどう残っているかを知りたかったのだという。片岡さんは、取り寄せできないという返事が来ると思っていた。ところが端末で検索すると、第二巻が見つかった。発行元は町教育委員会、1998年刊の近代・現代編で、「受注可」と表示されていた。

「出ていない本だと、町の人なら誰でも知っています。登録の間違いだろうと思いながら、注文だけは送りました」

4月8日の金曜日、その本はいつもの雑誌や新刊と一緒に届いた。布張りの本が1冊、第一巻と同じ色の箱に入っていた。片岡さんは、中止の前に刷った分がどこかの倉庫に残っていたのだろうと考えた。

端末に第二巻が出たこと自体は、それほど珍しくない。片岡さんが問屋の担当者に尋ねると、書名や発行年などの登録は1998年3月に教育委員会の名で入れられ、そのまま消されずに残っていたという。刊行を予定した本の登録が、中止の後も残ることはある。登録だけなら、本が実際にあることの証拠にはならない。

私は4月16日、書店の帳場で実物を見せてもらった。表題の配置も第一巻とそろっている。本の末尾で発行日や発行元を示す奥付には「平成10年3月31日発行」とあり、定価は3,800円。本文は412ページあった。

霧島秀一撮影。三ツ森書店に届いた本と箱。くすんだ緑色の布張りの表紙に、金色で「三ツ森町史」「第二巻」と縦書きされている。
霧島秀一撮影。2022年4月16日、三ツ森書店の帳場で確認した『三ツ森町史 第二巻』。布張りの表紙と、それと同色の箱。

最後の章の題は「町の商店のいま」だった。店の写真と来歴が並び、丸八酒店のページには、2012年に閉店したとある。閉店年は、私が前年に元店主の娘、加茂谷久美子さんから聞いた話と一致していた。奥付の1998年より14年後の出来事である。

後から内容を足したのに奥付を直していない本なら、この食い違いは起こりうる。私は、最後の章だけ別の紙を綴じた跡がないか確かめた。紙の色も端の裁ち方も、前のページと変わらなかった。ただ、印刷した時期を検査したわけではない。私は表紙と目次の写しを教育委員会へ送り、刊行が再開されたことや、内容を増やした版があるかを尋ねた。

担当者の返事では、表紙と章立ては、保管している原稿案に似ている。しかし「町の商店のいま」は、その案にない。公式に追加して発行したこともないという。私が丸八酒店の閉店年を伝えると、担当者は1998年の編集会議の記録を出してくれた。

当時の町史は、すべて紙で作っていた。印刷所が原稿を組んで「校正紙」と呼ぶ試し刷りを出し、編集委員が赤鉛筆で直しを書き込む。それを会議に持ち寄って、載せるかどうかを決める。

その年の2月の会議では、原稿案にない章を含む校正紙が議題になっていた。会議録には店名を挙げて「平成24年に閉店とあるが、現在も営業中」と記され、該当する本文が引用されている。平成24年は2012年だ。引用の続きには、閉店後に空瓶を集める日を設けたという話もある。1998年の会議で、まだ営業していた店の閉店が、すでに起きた出来事として読まれていた。

私は教育委員会で、会議録と添付された紙の写しを見た。綴じた原本は1998年の文書として保管されている。当時の編集委員だった菅野忠治さん(81歳)の手元にも、その会議で配られた同じ記録が残っていた。

「誰が出した原稿か、会議でも分かりませんでした。印刷所に聞くと、委員会から預かった原稿を組んだだけだと言う。うちの委員は誰も書いていない。それで、この章は使わないと決めたんです」

菅野さんによると、組版を請け負った町内の印刷所は2003年に廃業した。原稿の受け渡しを書いた伝票も、そのときに処分されたという。

会議録には、もう一つ引用があった。「令和4年4月8日、三ツ森書店に一冊が入荷した」。1998年には、令和という元号も、片岡さんへの今回の注文も決まっていない。菅野さんはこの文に赤鉛筆で線を引き、「年と出来事を確認」と書いていた。

届いた本の、町の文化事業を扱う節を読むと、同じ文が載っていた。第一巻を出した後、第二巻は予算の都合で取りやめになった。発行の準備は進めたが、町民へ配られることはなかった。その説明の続きに、今回の入荷までが書かれている。片岡さんは、私が指すまで、その記述に気づいていなかった。

次に、今の問屋の記録を片岡さんに確かめてもらった。問屋のシステムでは、本が倉庫に入ると入庫の記録が付き、書店へ送ると出荷の記録が付く。出荷の記録には、第二巻が1冊、4月7日に三ツ森書店へ送られたと残っていた。一方、その本が倉庫に入ってきた記録は見つからないという。返品された本や、出版社から直接持ち込まれた本でも、倉庫に入るときには必ず記録を付ける決まりで、記録のない本を棚に置くことはないと担当者は話した。

1998年の校正紙は、印刷所が組んだ記録はあるのに、誰が原稿を出したかが分からない。2022年の問屋の記録は、送った記録はあるのに、どこから入ったかが分からない。紙の手順でも端末の手順でも、本の出どころという一点だけが空いていた。

丸八酒店のページには、閉店年のほかに、元店主の言葉も載っていた。配達をやめるとき、空瓶を引き取るための1日を余分に設けたという話だ。私は久美子さんとは別の娘、加茂谷和代さん(58歳)にその部分を読んでもらった。

和代さんは、その1日を覚えていた。父親は、代金を取りに来たと客に思われないよう、空瓶を集めるだけだと先に知らせていた。そのとき配った手書きの知らせの控えを、和代さんは今も持っている。

「父の字です。閉店の前の晩、帳場で何枚も書き直していました。この一枚は、閉店の日に私が店の机から持って帰りました」

控えには「空瓶だけ頂きに参ります。お代はもう頂きません」とあった。本に引かれた元店主の言葉は、句読点の位置まで控えと同じだった。教育委員会で見た1998年の校正紙の写しにも、同じ文があった。2012年に元店主が書いた知らせの文が、その14年前の試し刷りに、すでに組まれていたことになる。

和代さんは、町史の取材を受けたことはない。父親から取材が来たと聞いたこともない。巻末には聞き取りに協力した人の一覧があるが、この言葉を誰からいつ聞いたかは載っていなかった。

宮下さんには、教育委員会の返事と会議録で分かったことを伝えた。宮下さんは定価を払い、最後の章から読むと話して、本を持ち帰った。片岡さんは、新しい郷土資料が手に入ったという案内を店に貼るのは見送った。発行元の教育委員会が、自分たちの刊行した本とは認めていないためだ。

私が帰る前、片岡さんは帳場の下から紙の入荷帳を出した。4月8日の欄には、片岡さん自身の字で「三ツ森町史 第二巻 1冊」と書いてある。片岡さんはその横に、鉛筆で小さく「出所 未確認」と書き足し、入荷帳を閉じて元の棚へ戻した。

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