柳瀬窯業所の煙突に関する奇妙な記録

情報提供者撮影。草木に覆われた工場跡に立つ、れんがの高い煙突。てっぺんから白い筋がまっすぐ上がっている。

地方の古い工場の煙突には、火を落として何十年もたつのに、決まった季節の朝だけ白いものが上がると言われるものがある。

北都県柳瀬市の川沿いに、高さ約30メートルのれんがの煙突が残っている。柳瀬窯業所という、瓦やれんがを焼いた工場の跡だ。1983年に火を落とし、建物の大半は崩れたが、煙突だけは町の目印として残された。土手を散歩する人は、天気を見るときにも煙突の先を目で探すという。

写真を送ってくれたのは、川向こうに住む石原千代子さん(64歳)だった。毎朝犬を連れて土手を歩いており、4月の終わりから5月の初め、風のない朝に、煙突の口から白いものが上がるという。2022年5月1日5時40分の写真では、煙突の口から細い筋が空へ伸びていた。

「最初は目の錯覚だと思ったんです。でも毎年、同じ時期の同じくらいの時刻なんですよ。気づいている人は、ほかにもいます」

石原さんがこの土手を歩くようになったのは2014年で、白いものに気づいたのはその翌年の春だった。それから毎年、見えた朝の日付を家のカレンダーに丸で囲んでいる。見えるのは年に2日から4日ほどで、いずれも4月25日から5月5日の間に入っていた。

写真だけでは、煙か水蒸気かを見分けられない。川沿いの霧が、遠くからは煙突に重なって見えている可能性もある。私は市に、この煙突について通報や点検がなかったか尋ねた。

2021年の春、近隣から消防へ「煙突から煙が出ている」という通報があった。市が残していた対応の記録では、煙突の外側を、熱を色で表示するカメラで調べたが、異常な高温は認められなかった。ただ、外側からの点検なので、内部のすべてが冷たいと確かめたわけではない。

誰かが中で火をたいている可能性も考えた。根元は、子どもが入らないよう1990年にコンクリートでふさいである。市の担当者の水野和弘さん(52歳)と現場で確かめると、足元に人が入れる口はなかった。上端は開いているが、そこへ上る階段も残っていない。

「市としては、地震のときに崩れないかを見るために、数年おきにれんがの点検をしています。中で何かを燃やせるような状態ではありません。2021年の通報も、最初は誰かのいたずらを疑いました」と水野さんは話した。

霧島秀一撮影。れんがの煙突の根元に、灰色のコンクリートで埋められた口がある。周囲には砂利と草が残っている。
霧島秀一撮影。水野さんと確かめた煙突の根元。根元の口はコンクリートでふさがれ、足元に出入りできる隙間は見えなかった。

別の散歩客からは、松の薪を燃やすにおいがすると聞いた。工場が使っていた燃料も松だったという。ただ、その話では、においが煙突から来たかどうかは分からない。石原さんの写真、消防の点検、においを嗅いだ人の話は、それぞれ別の朝のことだった。

私は一つの朝にそろえて見たくて、5月3日の5時に土手へ行った。晴れていて、川面にはほとんど波がない。土手の上には、もう一人、年配の男性が立っていた。工場で働いていた杉本正雄さん(84歳)で、石原さんが顔見知りとして名前を教えてくれていた人だった。

5時20分ごろ、煙突の口から白い筋が伸び始めた。両岸を移動して見ても、山を背にした霧がたまたま重なっているようには見えない。筋は煙突の口から出て、まっすぐ上へ伸びていた。

白い筋はしばらくして薄くなった。私は終わったのかと思ったが、杉本さんは帰ろうとしなかった。何を待っているのか聞くと、「もう一度、濃くなる」と答えた。6分ほどたって、筋は本当に太くなった。杉本さんは「薪置き場から焚き口まで、薪を抱えて歩くとそのくらいです」と言った。私は時刻が分かるように、腕時計を画面に入れて動画を撮り続けた。筋はやがて途切れ、5時50分ごろには見えなくなった。水野さんの立ち会いで根元へ近づくと、コンクリートは朝の空気と同じように冷たかった。私は松のにおいをはっきりとは感じなかった。杉本さんは、においを確かめに来たのではないと言った。

後日、杉本さんの家で話を聞いた。杉本さんは18歳で窯業所に入り、閉鎖まで27年働いた。最後のころは瓦の注文が減り、職人は十数人まで減っていたという。窯の火は、夜明け前に焚き口へ松の薪を入れて始める。最初の火が回ると、煙はいったん白く太く上がり、薪が燃え切りかけると薄くなる。そこで次の係が薪を足すと、もう一度濃くなる。煙突の煙は、窯の中を見られない外の人にとって、作業が進んでいる合図でもあった。

「私の仕事は最初の火を入れるところまででした。2回目の薪は次の係が入れる。煙がもう一度濃くなるのを外で見届けてから、家へ帰るのが決まりでした」

昔の作業を知っているから、今の白い筋もその手順に見えるのかもしれない。そう聞くと、杉本さんは否定せず、家にある作業帳を見せてくれた。日付、火を入れた時刻、薪を足した時刻、次の係の名前が、1日に1行ずつ並んでいる。めくった範囲では、火入れの時刻は日によって5時前から6時近くまでばらつき、私が見た5時20分と決まって一致するわけではなかった。

その後、水野さんと、2021年の点検で消防が撮った動画を見た。隊員が高所作業用の車から上端へ近づき、煙突の口より広い金属板を、白いものが出ている所の上へ差し出している。煙なら板に当たり、端を回って横へ流れるはずだ。

ところが、板の下でも上でも、白い筋は同じ位置に続いていた。端を回って流れる様子は見えない。隊員が板を少し上げ、横へずらしても、筋は曲がらなかった。板が重なった部分だけが見えず、その上には同じ幅の白いものがある。記録には、板に熱や水滴は認められず、成分を調べる試料は持ち帰れなかったとある。水野さんは水蒸気が板の上で再び白く見えた可能性も考えたが、板を動かしている間も、筋の位置は煙突に対して変わらなかった。

杉本さんにこの点検のことを話すと、自分も下から見ていたと答えた。「ふさいで消えるなら、去年で終わっていたでしょう」

作業帳の最後のページを開いてもらったのは、帰り際だった。最後の行は1983年5月2日。杉本さんの字で、火入れ「5時20分」とあり、次の係の欄に「梶浦」と書かれている。薪を足した時刻の欄は空いていた。

その朝、会社は窯を止めることを決め、出勤した梶浦さんは窯の前で事務所へ呼ばれた。2回目の薪は入らず、火はそのまま燃え尽きた。杉本さんはその朝、子どもが熱を出していたため、白い煙が一度薄くなったところで帰っていた。会社の決定を知ったのは昼過ぎで、煙がもう一度濃くなったかどうかは見ていない。梶浦さんは、その年のうちに町を離れ、後の消息は分からないという。

「梶浦さんは私より5歳上で、2回目の薪の入れ方がうまい人でした。あの人が足すと、煙が一度でまっすぐ濃くなる。最後の朝も、薪を抱えて窯の前に立っていたそうです。入れる前に呼ばれて、そのまま戻らなかった。窯の火は、誰にも足されないまま消えたんです」

私が5月3日に見た白い筋は、5時20分ごろに上がり、一度薄くなってから濃くなった。作業帳の最後の朝には入らなかった2回目の薪の煙まで、今の煙突からは上がっていることになる。消防の板で確かめられなかったのは、その白いものが煙突の中から来ているのかどうかだった。

杉本さんは、以前一度、薄くなったところで帰りかけたことがある。家に着くと気になって、土手まで戻ったそうだ。

「次の係が来たのか、確かめないで帰ったのは、あの朝だけですから」

来年の春も、杉本さんは土手に立つつもりだという。5月3日の朝、二度目の白い筋が消えたあと、杉本さんは煙突の根元をしばらく見ていた。それから、焚き口があったという辺りへ軽く頭を下げ、首のタオルを巻き直して土手を下りていった。

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