深海市の山道の落石よけの金網に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。白っぽい砂利道の山側に立つ落石よけの金網。2箇所の網目に角のある石が挟まり、向こうには暗い灰色の岩と土の斜面が見える。

地方の山道では、砂利の路面が雨で削れると、上から砕石を足して直す。砕石は、路面に敷くために岩を砕いた石である。山側には、落石を止める金網の柵を立てることが多い。網に引っ掛かる石は、上の斜面から転がってきたものと決まっている。

北都県深海市の山道で、道の手入れを請け負う松永裕茂さん(62歳)は、10メートルほどの区間だけ、砂利を足してもすぐ土が出ると話していた。同じ区間の山側の金網には、取り除いても取り除いても、別の石が挟まった。

「上から来るほうは、網で止まっているんです。困るのは砂利が減るほうで」

松永さんは、雨水が砂利を運んでいると考えていた。木材を運ぶ車が通る道なので、土が露出した所は雨のあとにぬかるむ。秋から2度、同じ区間へ白っぽい砕石を足したという。

2022年12月14日、市の道路維持課でこの道の補修を担当する杉崎和晴さん(45歳)から連絡があった。前日、金網に道路側から石が当たった、と松永さんが報告したという。上の斜面から来た石が、いったん道で跳ねたのだろうか。松永さん自身も飛び始めた所は見ておらず、石を持ち帰っていた。

私は19日、杉崎さんと現地へ行った。松永さんは、道の脇にたまった落ち葉を取り除き、水の流れを確かめる予定だった。補修のため車の通行を止めてあり、私たちは歩いて作業場所へ向かった。

柵は山側の路肩に立っていた。鉄の支柱の間に金網を張り、上の斜面から転がる石が道へ出るのを止めるものだ。向こうには土と暗い灰色の岩が見え、こちらには白っぽい砂利道が続いていた。

松永さんは、13日に石が当たった所を指した。胸ほどの高さで、ひし形の網目が1つ広がっている。石は目に食い込んでいたため、工具で外したという。以前にも同じように外したことがあり、柵の前で回収した石は、仕事場の袋にまとめてあった。

私たちは、その場所から道に沿って少し離れた所に立った。松永さんが指していた網の下で、小石が動いた。車も人も通っていない砂利の上だった。

角のある石が1つ、地面から離れた。足首ほどの高さでいったん止まり、そこから斜め上へ進み、速さを増して金網へ当たった。金属が短く鳴った。石が上から落ちてきて跳ね返ったのではない。私は土の上にあったところから、目を離さずに見ていた。

続いて、その横にあった数個も上がった。下の土は崩れず、乾いた葉は道に残っていた。石は道路側から網を押し、山側へ小さく膨らませた。網へ届かずに道へ戻る石もあった。

松永さんがかがみ、杉崎さんがその腕を引いた。3人で、石が動いていない手前の曲がり角まで下がった。網の鳴る音がしばらく続いた。曲がり角からも、石が上がる場所と、その周りの道が見えていた。人も車もいなかった。

音がやんでも、松永さんは網へ戻らなかった。少し離れた位置から見える範囲では、角のある石が2つ、網目に食い込んで残っていた。ほかの石が空中に浮いたままになっている様子はなかった。

私は曲がり角に残ったまま、望遠で網を横から撮った。石の細い先が山側へ出ていた。太い部分は道路側に残っている。この写真だけで、石が来た方向まで証明できるわけではない。ただ、見ていた間にどの目へ当たったかを、松永さんと一緒に指して確かめられた。

撮った写真を拡大すると、網の向こうの斜面に、土に半ば埋もれた白っぽい岩が帯のようにのぞいていた。石が当たった目の、ちょうど上の辺りだった。暗い灰色の岩肌の中で、そこだけ色が違う。

杉崎さんは作業を中止し、通行止めを続けると市役所へ連絡した。落ち葉を掃き出す作業も、予定していた砕石の補充も、その日は行わなかった。私も2人と一緒に現地を離れた。

21日、松永さんの仕事場で、19日の調査より前に網から外した石を見せてもらった。袋には土や枯れ葉も入り、大小の石が泥をかぶっていた。松永さんは柵の点検を終えるたびに持ち帰り、ほかの場所で集めた石とは分けて置いていたという。

洗っていなかったのは、捨てるつもりの石だったためだ。松永さんは袋から数個を出し、バケツの水の中で泥を落とした。

白っぽい地肌が出た。どの石にもいくつもの角があった。仕事場の隅には、秋の補修で使った砕石の残りが積まれていた。松永さんが使い残しの石を持ってきた。私は洗った石を左に、使い残しを右に並べて撮影した。

霧島秀一撮影。コンクリートの床に、角ばった白っぽい石が左右2組に分けて置かれている。左は洗った回収石、右は補修用の残り。
霧島秀一撮影。2022年12月21日、松永さんの仕事場。左は金網から外して洗った石、右は秋の補修で使い残した砕石。撮影のため左右に分けて並べた。

色と角の付き方はよく似ていた。同じ所から買った石かどうかを、見た目だけで決めることはできない。袋に入った石が全部、19日と同じ動きで網へ来たとも分からない。だが、私が地面から上がるのを見た石は、補修した道に敷かれていた物だった。

松永さんは、秋の作業写真を開いた。網の石を取り除いたあと、すぐ前の道に砕石を敷き直している。柵を点検する日のついでに、土が出た所も直していたのだという。

「同じ日にやれば、石を運ぶ車も1回で済むので」

杉崎さんは、砕石の納品書も見せてもらった。松永さんが秋に買った砕石は、市内の採石場から運ばれていた。産地の欄には「深海市 白岩沢」とある。山道の尾根を挟んだ反対側の谷だった。

杉崎さんは市役所へ戻り、この山道の古い記録を探した。12月23日、1971年に道を開いたときの工事台帳の写しを見せてくれた。台帳は道路維持課の書庫に、林道の図面と一緒に綴じられていた。

台帳には、問題の区間の位置に「白岩 切土 延長10メートル」と書かれていた。道を通すために、山側へ張り出していた白い岩を削った場所だという。削った岩は砕いて、その場で道の下に敷いたと書き添えてある。

19日の写真で網の向こうに写っていた白い帯は、そのとき削り残した岩の根元にあたる。白岩沢の採石場は、同じ白い岩の続きを、尾根の反対側から掘っている。松永さんが足した砕石は、半世紀前に削られた岩と同じ岩から来ていた。

この山道の下の集落に住む奥寺ミツさん(87歳)は、道ができる前の白岩を覚えていた。

「山の上からでも見える岩でした。道を通すとき、削るのは惜しいと言う人もいました」

奥寺さんによると、白岩の前は昔から、山へ入る人が足を止める場所だった。削られた後も、しばらくは道端に小石を積んでいく人がいた。いつ頃からか、積む人はいなくなったという。奥寺さんは子どものころ、白岩の前で拾った小石を、岩の割れ目へ戻すよう大人に言われた。持ち帰るものではない、と教わったそうだ。

松永さんは、台帳の写しをしばらく黙って見ていた。秋から2度、砂利がすぐ減ったのは雨のためだと思っていた。だが、減った分の石が網の目に食い込んでいたのなら、雨とは別の行き先があったことになる。

杉崎さんと松永さんは、この10メートルには、白岩沢の砕石を使わないことに決めた。別の採石場から、黒っぽい砕石を取り寄せる。袋の白い石は、市の許可を得て、柵の点検口から網の向こう側へ戻すことにした。黒っぽい砕石が減るかどうかは、春まで様子を見る。

12月26日、私はもう一度現地へ行った。松永さんは柵の端にある点検口の鍵を開け、袋の石を、白い帯の下の土の上へあけた。石は転がらず、その場にとどまった。

それから、10メートルの区間に黒っぽい砕石を敷いた。スコップで落とし、レーキでならす。網の前の路面が、そこだけ暗い色になった。

作業の間、網は一度も鳴らなかった。松永さんは道具を車へ積み、点検口に鍵を掛けた。帰る前に、空になった袋をたたみ、網の向こうの白い石の山を一度だけ振り返った。

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