地方の町では、小学校の同窓会を、正月明けに開くことが多い。帰省した同級生が町にいるうちに、料理店の座敷を借りて昼を食べる。幹事は古い名簿から連絡先を探し、店に人数を伝える。集まるのは、たいてい数人である。
2023年1月7日、北都県南條市の料理店で、小学校の同級生6人が昼食を取った。幹事の秋見孝典さん(仮名、66歳)は、久しぶりに町へ戻った同級生に合わせて会を開いた。関森義晴さん(仮名、66歳)は妻に車で送ってもらい、帰りも迎えを頼んでいた。
食事の間、義晴さんは長い机の端に座っていた。秋見さんによれば、近所のスーパーが改装することや、昔の担任の話をしていたという。帰る時刻が近づくと、自分の分を払い、壁のハンガーから紺色の上着を取った。
私が秋見さんから連絡を受けたのは、その日の夜だった。8日から10日までに、義晴さん以外の出席者5人へ、それぞれ話を聞いた。5人とも、上着を着た義晴さんが机と壁の間に立ったところから、異変を説明した。
義晴さんの顔が、横へ二重になった。秋見さんは初め、自分の目がかすんだと思った。だが、鼻と口が左右へ離れる間も、どちらの顔も薄くならなかった。2つの頬が離れ、その間に向こうの白い壁が見えた。上着の胸や袖も同じように離れ、床には2人分の足があった。
義晴さんの後ろから別の人が出てきたのではない、と秋見さんは話した。顔を正面から見ていた。鼻と口が一組ずつしか見えない状態から、左右へ離れるところを見ていた。義晴さんの向かい側にいた2人も、顔の間から壁が見えたときのことを話した。
2人は互いを見ると、一方が壁へ下がり、もう一方が机の端をつかんだ。誰かが義晴さんの名を呼ぶと、2人とも顔を向けた。机をつかんでいた方が「何だよ」と言い、壁際の方は自分の両手を見ていた。どちらも、上着を着て帰ろうとしていたと話したという。
秋見さんは店員を呼び、ほかの客から離れて座れる部屋を借りた。2人に痛みがないか聞き、義晴さんの妻、関森美佳さん(仮名、63歳)へ電話した。迎えに来てもらう前に、義晴さんが2人になっていることと、自分たちが見た様子を伝えた。
美佳さんが来ると、2人はそれぞれ「悪いけど、こっちへ来てくれるか」と声を掛けた。美佳さんは両方の前に立ち、顔を近くで見た。片方を夫だと言い、もう片方を知らない人だと言うことはできなかったという。
「声を聞いたら分かると思って来ました。どちらも、いつもの声と口調でした」
その日のうちに2人は病院へ行き、秋見さんと美佳さんが付き添った。警察にも相談している。体が離れた理由は、10日の取材時点でも分かっていなかった。
美佳さんは、その晩から2人と一緒に家で暮らせるか、すぐには答えられないと伝えた。秋見さんが泊まる場所なら用意できると言うと、一方が「今夜は秋見の所へ行く」と申し出た。翌朝また話すことにして、もう一方は美佳さんと帰った。美佳さんが夫を見分けられたために決めた順番ではなかった。
8日の朝、私は秋見さんの家で、泊まった方の義晴さんに会った。同窓会に着ていったという紺色の上着を、椅子の背に掛けていた。義晴さんは、秋見さんが出した朝食を食べ終え、自宅へ電話をかけようとしていた。
夜が明ければ元に戻るかもしれないと思ったのか、と尋ねた。義晴さんは首を振り、美佳さんに考える時間が要ると思ったと答えた。秋見さんの家へ来たことも、ここで眠ったことも覚えている。もう一方がどう過ごしたかは知らないという。
「今日は、美佳にこっちへ迎えに来てもらおうと思って」
その電話では、美佳さんから、まず家の前で話したいと言われた。秋見さんが送ることになり、私も双方の了承を得て同行した。
家へ着くと、美佳さんが玄関を開けた。廊下の奥には、もう一人の義晴さんが立っていた。紺色の上着は着ておらず、灰色のセーターに靴下姿だった。ここまで一緒に来た義晴さんと見比べても、顔の形や背丈に違いを見つけられなかった。
玄関の内側にいる義晴さんも、私に名前を告げた。2人は目を合わせたが、同時に動くわけではなかった。外の義晴さんが上着の前を開けている間、内側の義晴さんは廊下の奥を振り返った。
私は人が2人へ離れる場面を見ていない。この朝、顔を合わせて話した2人と、同窓会の席にいた5人の目撃を、分けて記しておく。
美佳さんは、もう少し時間がほしいと言った。外にいる義晴さんは黙って聞いていた。秋見さんが、今日も自分の家へ泊まれると伝えると、義晴さんはうなずいた。
「着替えだけ持っていく。寝室の箪笥にあるから」
美佳さんは振り返り、廊下にいる方へ声を掛けた。
「義晴、上から2段目。いつもの鞄に入れてきて」
内側の義晴さんが寝室へ向かった。外の義晴さんは、美佳さんに、寝巻きも入れてほしいと頼んだ。美佳さんが言い直す前に、廊下の奥から「分かった」と返事があった。
出てきた紺色の旅行鞄を、内側の義晴さんが玄関へ置いた。外の義晴さんは中を開け、畳んである寝巻きの下へ手を入れた。下着を確かめてから、ファスナーを閉めた。私は了承を得て、玄関に置かれた鞄を撮影した。

「洗濯物は、またここへ持ってくればいいよな」
美佳さんはうなずき、来る前に電話してほしいと答えた。義晴さんは鞄を持ち、秋見さんの車へ戻った。玄関の内側にいた義晴さんが、「寝巻き、もう1枚あったから」と声を掛けた。
9日、秋見さんが、同窓会の準備に使った紙を見せてくれた。料理店に予約を入れたとき、出席者の名前を書いてファクスで送った控えである。秋見さんは、卒業したときの学級名簿を写して出席者に印を付け、そのまま店へ送っていた。
店の予約票には「7名」とあった。秋見さんは6人で頼んだつもりだったが、店は名簿の名前を数え、7人分の席を用意していた。当日、机の端に1人分の箸と小皿が余っていた。店員が片付けようとすると、義晴さんが、そのままでいいと言ったという。義晴さんは、その隣に座っていた。
名簿の7番目には、印の付いていない名前があった。「関森晴彦」。義晴さんの双子の弟で、小学3年の夏、川で亡くなっている。秋見さんは名簿を写すとき、名前を消さずにそのまま書いていた。
「消すのが、何となく嫌だったんです。誰も来ないのは分かっていました」
10日、美佳さんに話を聞いた。晴彦さんのことは、結婚する前に夫から聞いていた。2人はよく似た双子で、近所の人にも見分けがつかなかった。晴彦さんが亡くなってから、義晴さんの母親は毎年、正月の間だけ、晴彦さんの分の膳を並べていた。母親が亡くなった後は、義晴さんがそれを続けていたという。
今年の正月も、関森さんの家では1月1日から7日まで、小さな茶碗を一つ多く並べていた。7日の朝、義晴さんはその茶碗を棚へ戻してから、同窓会へ出掛けた。
美佳さんは、2人のどちらが晴彦さんなのかとは言わなかった。2人とも、自分は義晴だと話している。どちらも、同窓会の席で余った膳の隣に座ったことを覚えていた。
10日の夕方、秋見さんの家にいる義晴さんが、洗濯物を持って関森さんの家へ来た。電話は来る前にあった。私は玄関の外で待った。美佳さんが受け取った袋を廊下に置くと、奥からもう一人の義晴さんが出てきて、中の寝巻きを洗濯機へ運んだ。
美佳さんは台所の棚から、小さな茶碗を出して私に見せた。白地に青い線の入った、子ども用の茶碗だった。来年の正月にこの茶碗を並べるかどうかは、まだ決めていないという。玄関では、2人の義晴さんが、同じ向きに靴をそろえていた。



