地方の小さな修理店には、預かり票に書いた「1時間」が、客が店先で待つ数分で済んでしまう作業台が存在することがある。
傘の修理は、壊れた所を見て、骨を替えるか、布を縫い直すかを決める仕事だ。店主は傘を預かり、2枚複写の預かり票に受付の時刻と渡しの予定を書いて、控えを客に渡す。客はその間に買い物を済ませ、予定の頃に戻ってくる。代金は店先のレジで払い、レジは日付と時刻の入った領収書を出す。
北都県南條市で傘の販売と修理を1人で営み、40年近くになる佐和田暁生さん(66歳)の店で、その待ち時間が縮んでいる。常連客の勝沼佳代さん(71歳)は、雨の日に畳んだ傘を店へ持ち込み、骨や布を見てもらってきた。佐和田さんが急に手早くなったと感じたのは、今年の5月からだった。
「1時間ほどかかります、と言われて傘を預けたんです。店先のベンチで眼鏡を探しているうちに、もう渡されました」
勝沼さんは初め、自分が時間を聞き違えたと思ったという。その間、店の奥の佐和田さんの両手は、どこで針を持ち替えたのか追えない速さで動いていた。
勝沼さんから話を聞き、佐和田さんに取材を申し込むと、作業を見に来てよいという返事があった。私は2023年6月27日、火曜日の午前、勝沼さんと店を訪ねた。雨が降っていた。勝沼さんは縁の糸が切れた青い長傘を持っていた。布が骨の先から外れ、その部分だけ垂れている。
店には小さなひさしがあり、その下に客用のベンチとレジの台が置かれていた。引き戸は左右へ開けてある。敷居の向こうに細い通路が続き、脇の作業台で傘を広げるようになっていた。ベンチから台までは、互いの手元が見える距離である。私は佐和田さんの了承を得て、入口とベンチを撮った。
佐和田さんはひさしの下へ出て、青い傘を広げた。骨の端には、布の角を糸で留める露先という小さな部品が付く。部品は残っており、切れた糸を抜いて縫い直せるという。ただ、ほかの角にも緩みがあるので、一緒に確かめたいと話した。佐和田さんは預かり票に「受付 10:02」「お渡し 11:00頃」と書き、控えを勝沼さんへ渡した。
勝沼さんが頼むと、佐和田さんは傘を畳んで店内へ戻った。敷居の向こうへ入ると、佐和田さんの動きが速くなった。台の前に座り、腕が上がったと思うと、もう傘の縁を引き寄せている。針を刺し、糸を引き、はさみを取る動作が、細かく続けて見えた。途中で湯飲みを持ったが、口元へ上がって戻るまでを目で追えなかった。
私はベンチの前に立っていた。勝沼さんが鞄から眼鏡を出す動きは普通の速さで、ひさしからは雨だれが落ちている。その奥で佐和田さんだけが、映像を早送りしたように働いていた。
佐和田さんは針を置き、私を手招きした。私は敷居を越えて台の脇へ入った。佐和田さんが椅子を引く動きは、そこで普通の速さになった。
振り返ると、勝沼さんがベンチへ腰を下ろす途中だった。膝を曲げた姿勢のまま、体がわずかずつ下がっている。ひさしの縁を離れた雨粒も、丸い形を保ってゆっくり落ちた。私は椅子へ座り、鞄を足元へ置いてから、その粒が地面へ着くのを見た。
私はすぐ外へ戻った。敷居を越えると、雨だれが続けて地面を打ち、勝沼さんがベンチへ座り終えた。勝沼さんに、わざとゆっくり座ったのか尋ねた。普通に腰を下ろしただけだという。私が店へ入ってすぐ引き返したので、忘れ物でもしたのかと思ったそうだ。
佐和田さんもひさしの下へ出てきた。店内から客を見ると、こちらを向き終えるまでにも待つことになる、と話した。話をするためにも、いったん店先へ出るようにしている。
「中では、ちゃんと1時間縫っているんです」
佐和田さんは、5月に客から腕が速く動いて見えると言われるまで、自分が速くなっているとは思わなかったという。針へ糸を通すのに失敗することもあるし、疲れれば手を止める。店先へ出ると、仕事を始める前に通った車が、まだ近くの信号を渡り切っていなかった。
私は、では台をこちらへ移すのかと聞いた。佐和田さんは首を振った。雨の日は、傘を壊した客がその傘を差して帰りたがる。奥なら待たせずに渡せるので、使うのをやめられなかった。
佐和田さんは、作業台の引き出しから帳面を持ってきた。修理ごとに、始めた時刻と終えた時刻を、自分の腕時計で書いている。腕時計は毎朝、ラジオの時報で合わせるという。私は、同じ日のレジの領収書の控えと並べて見せてもらった。
5月より前は、帳面の時刻とレジの時刻がほぼそろっている。5月の半ばから、ずれる日が出てきた。帳面で1時間の作業が、レジでは5分ほどで終わっている。閉店の頃には、腕時計がレジより何時間も先へ進んでいる日もあった。
ずれる日を拾っていくと、どれも雨の日だった。晴れた日は、帳面とレジがそろっている。雨の日に、客が店先で傘を待っているときだけ、奥の時間が長くなっていた。6月だけで、そうした日が12日あった。
「雨の日は、閉めて帰ると、くたくたなんです。朝から何本も直したら、そうなりますね」
この日の帳面にも、すでに3本分の行があった。佐和田さんの腕時計は、レジの表示より2時間あまり先を指していた。
話を切り上げ、私は佐和田さんと店内へ戻った。今度は傘を縫い終わるまで台の脇にいた。佐和田さんは1か所ずつ糸の緩みを調べ、縫い直し、傘を開閉して布の張りを確かめた。私も途中で立って脚を伸ばした。私は台に着いたときと縫い終わったときに、自分の腕時計を見た。その間に55分進んでいた。外へ出てレジの表示と比べると、私の時計も、ほぼ同じだけ先へ進んでいた。
佐和田さんは、作業台の下から弁当箱を出した。蓋はまだ閉じてあった。
「この傘が終わったら、食べます。今日はもう何本かやったので」
表の時計で昼になるまで奥で仕事をした日に、家から持ってきた食事を食べ尽くしてしまったことがある。それからは、空腹になると店先へ出て休むようになった。
青い傘を縫い終えると、佐和田さんは台の上へ開いて置いた。私は縫い直した角を撮らせてもらった。外から見えた速い手つきと違い、そばで見ていた間の修理には、糸を選ぶ時間も、縫い目をほどいてやり直す時間もあった。

勝沼さんはベンチで待っていた。雨はまだ降り続いていた。私たちが外へ出ると、「もう終わったんですか」と立ち上がった。持ってきた本もまだ開いていなかった。レジから出た領収書の時刻は10時24分だった。ひさしの下で話していた時間を除けば、奥での修理は外の時計で数分しかかかっていない。
佐和田さんは青い傘を渡し、ベンチの端へ弁当箱を置いた。勝沼さんは礼を言った後、鞄から畳んだ日傘を出した。こちらも1か所、布を留める糸が緩んでいるという。
「これもお願いしていいですか。急ぎませんから、ここで待ちます」
佐和田さんは日傘を受け取りかけて、弁当箱の脇へ手を戻した。
「今は食べたいので。明日にしてもらえますか」
勝沼さんは日傘を鞄へ戻した。明日は買い物の前に持ってくるつもりだと話し、青い傘を差して帰った。
佐和田さんはベンチに座って弁当箱を開けた。店の中には空いている椅子があったが、佐和田さんは私に、こちらで待っていてほしいと言った。
「中から見ていたら、私がなかなか食べ終わらないでしょう」
私はベンチの反対側に座った。佐和田さんが箸で卵焼きを切り、その1つを口へ運ぶ間を、隣で待った。



