地方の町内会が夏祭りで売るかき氷の会計には、使った紙椀の数が、売れた杯数より毎年1つだけ多くなっていることがある。
町内会の祭りのかき氷は、係の人が氷を削って紙椀に盛り、シロップをかけて渡す。1杯200円で、代金は会計の係が受け取り、ノートに正の字で杯数を付ける。祭りが終わると、残った紙椀を数え、用意した数から引いて使った数を出す。紙椀は100枚入りの袋で買い、残りは10枚ずつ重ねて数える。売れた杯数と使った紙椀の数が合えば、その年の会計は締まる。
2023年7月30日、日曜日。北都県南條市の町内会が開いた祭りで、私は準備から写真を撮っていた。かき氷の売り場は広場の端のテントにあり、隣に飲食用の長机と折り畳み椅子を並べていた。夕方になると客が減り、空いた所から机を拭き始めていた。
「その椅子は、まだ使っているんです」
かき氷係の島巻志津江さん(66歳)が、片付けに来た人を止めた。島巻さんは10年近く、祭りのかき氷を受け持っている。長机の端に白い紙椀があり、その前に折り畳み椅子があった。座面も背も見えている。その席では、氷をかむような細かい音がしていた。
島巻さんと一緒にかき氷を売っていた竹淵昌代さん(61歳)に呼ばれ、私はその席へ行った。最初に何があったのかを、2人から聞いた。
島巻さんが机を拭いていると、椅子の方から「氷をください」と声がした。顔を上げても人はいなかった。テントにいる竹淵さんへ目を向けると、竹淵さんも手を止めて同じ椅子を見ていたという。
島巻さんが、どなたですかと尋ねても返事はなかった。もう一度、氷がほしいのかと聞くと、「赤いので」と答えた。そこで島巻さんは売り場へ戻り、いちごのシロップをかけたかき氷を1杯作った。自分の小銭入れから200円を出し、会計を受け持つ竹淵さんへ渡した。
「氷を置けば、受け取りに出てくるかと思って」
売り場の氷を勝手に使わないよう、この1杯は自分の金で買ったという。紙椀を椅子の前へ置き、袋入りの小さなスプーンを添えた。すると、人の手は見えないまま、氷の山の片側が欠けた。竹淵さんが私を呼びに来たのは、その後だった。
私は長机の横へ回った。椀の前にも机の下にも、人はいない。氷の山には、赤いシロップの筋が何本か残っていた。溶けた水は椀の内側にたまっている。袋に入ったスプーンは、まだ机の上にあった。
氷の上へ赤い舌の先のようなものが出た。椀の縁には触れず、山の斜面を下から上へなぞった。白い粒が赤い面へ付き、そのまま見えなくなった。氷には、下からすくい取った幅のくぼみが残った。
私は顔を上げた。舌が出た辺りにも、その上にも頭は見えず、向こうのテントの柱が見えていた。島巻さんも同じ所を見ていた。手を椀の横へ置きかけたが、指を引っ込めてエプロンへ戻した。
まず、風や机の揺れで氷が崩れたのではないかと考えた。私は机の脚を手で押さえたが、氷はそれでも欠けた。誰かが机の向こうにしゃがんでいる可能性も考え、反対側にも回ったが、そこにも人はいなかった。少しして、何もない所で氷をかむ音がした。机の上へ粒が落ちることはなかった。椀の底の水は揺れたが、先ほどなくなった氷が水になって流れ込む様子は見えなかった。
「お味はどうですか」
島巻さんが聞くと、椅子の上、座った人の顔が来る辺りから「冷たいです」と返事があった。近くにいた竹淵さんは口を閉じていた。私も、島巻さんの顔と空の椅子を交互に見ていた。
私は名乗り、話を聞かせてほしいと言った。どこから来たのか、先ほどまで会場にいたのかと尋ねても返事はなかった。もう一度、氷を食べているのですかと聞くと、「はい」と答えた。
空いていると思った客が近づくと、島巻さんは隣の机を案内した。私は、食べている相手の席を確保しているのだと受け取った。相手の姿が見えないので、島巻さんは、客が椅子を引いたり、そこへ荷物を置いたりしないようにしていた。
私は2人に、席と椀を撮影してよいか確認した。空の椅子へも声を掛けたが、返事はなかった。私は長机の横から椀と椅子を撮った。写真に残ったのは、欠けた氷と使われていないスプーンだった。
竹淵さんが、ほかの机の片付けが始まったと知らせた。島巻さんが、こちらはいつまで使うつもりですかと聞くと、椅子の上から返事があった。
「食べ終わったら帰ります」
島巻さんはうなずき、売り場へ戻った。竹淵さんにもう200円を渡し、白い氷だけを入れた紙椀を持ってきた。使われていないスプーンの袋を開け、元の椀へ少しずつ氷を移した。残っていた赤い氷の上に、白い小山ができた。
「お代はいいですから」
島巻さんは椅子へそう言った。竹淵さんは、氷を移し終えて空になった方の椀を受け取り、ごみ袋へ入れた。白い山の片側が欠け、かむ音が続いた。島巻さんは向かいの椅子へ腰を下ろし、膝の上へ手を置いた。
その間に、竹淵さんが会計のノートを見せてくれた。町内会の祭りの会計は、6年前から竹淵さんが受け持っている。各年の頁の最後に、売れた杯数と、使った紙椀の数が並べて書いてあった。
どの年も、紙椀の方が1つ多かった。去年は売れた杯数が312、使った紙椀が313。その前の年も、その前も、差はいつも1だった。竹淵さんは、毎年どこかで1枚を落としたか、子どもが空の椀を持っていったのだろうと考え、欄外に「椀1不明」と書いてきた。いつ使われた1枚なのかは、どの年も書かれていない。代金は、いつも売れた杯数と合っていた。
「数え間違いだと思っていたんです。毎年同じ1つだなんて、考えもしませんでした。1杯分、数えていない氷が出ていたのかもしれません。今年は、島巻さんが払ったので」
竹淵さんは、今年の頁を開いた。正の字の横に、島巻さんが払った2杯の分が書き足されていた。
私は、名前を聞き直してみてはどうかと言った。島巻さんは、最初にも聞いたし、氷を渡してからも聞いた、と答えた。
「どうしてここに来たのか。それくらいは聞いておきたいです」
知り合いの声に似ているのか尋ねると、似ている人は思い当たらないという。島巻さんは、こちらの声に返事がある間に、もう少し聞けるかもしれないと言った。椀の氷が減るのを見ていた。
竹淵さんが、追加も頼まれたのかと聞いた。島巻さんは首を振った。最初の1杯以外に、注文はなかった。
「じゃあ、食べ終わるまで待っていれば」
竹淵さんがそう言うと、島巻さんは椀から目を上げた。
「それだと帰ってしまうでしょう。一度帰ったら、どこへ聞きに行けばいいんですか」
竹淵さんは答えなかった。椅子の上からも何も聞こえなかった。
ほかの机の椅子は畳まれ、長机も1台ずつ運ばれていった。竹淵さんは売り場を閉める前に、残っている氷をどうするか島巻さんへ尋ねた。島巻さんはもう1杯買うと言い、また小銭入れを出した。
島巻さんは受け取った白い氷を、元の椀の隣へ置いた。私は本人に断って、2つの椀を撮った。元の椀には赤い氷がわずかに残り、開けたスプーンの袋は島巻さんの側に寄せてあった。

島巻さんは向かい側の席へは戻らず、机の端に立ってスプーンを持った。
かむ音がやんだ。島巻さんはすぐに白い氷をすくい、元の椀に残る赤い氷へ載せた。続けて2度すくうと、椀の縁より高くなった。
「まだ残っていますよ」
島巻さんは椅子を見ながら言った。返事を待たず、もう一さじ足した。白い山の端で、氷がひと口分なくなった。



