地方の共同墓地の道具小屋には、何を入れるための物か分からないまま、誰も捨てずに残されている箱があることがある。
北都県南條市のある共同墓地では、毎年盆の前に、墓を持つ家の人が集まって草を刈る。入口の机に持参した鎌や剪定ばさみを並べ、通路ごとに作業を分ける。2023年8月12日の土曜日も、朝から十数人が集まっていた。
その朝、草刈りをしていた草壁征治さんの鎌から、鋼の刃が抜け落ちた。右手に残ったのは木の柄だけだったが、その次に引いたときも草が切れた。
草壁さんは自分の家の墓の周りを終え、通路の端へ移っていた。片手で使う短い鎌で、木柄の先から横へ出た刃が、内側へ緩く曲がっている。草壁さんが何年も使っている物だった。
こうした鎌は、刃の根元の細い部分を木柄の穴へ差し込み、金具や目釘で留めて作る。使い込むと木が痩せ、刃がぐらつくことはある。抜けた刃は、もう草に届かない。柄だけを握って引けば、草はなびいて手の中を滑るだけのはずだ。
隣で刈った草を集めていた藤巻奈津江さんは、石に何か当たる音を聞いた。草壁さんの靴の後ろに、灰色の刃が落ちていた。柄へ差し込まれていた細い部分まで抜けており、木の方には先端の穴だけが残っていたという。
藤巻さんが声を掛けるより先に、草壁さんは手元をもう一度引いた。つかんでいた草が根元で切れ、左手に残った。右手を上げたところで柄を見て、動かなくなった。
「軽くなった感じはあったんです。でも、草は普通に切れたので」
草壁さんは、後でそう話した。刃がないと知って試しに刈ったのではない。藤巻さんに足元を指され、落ちた物と右手の木を見比べてから、刈り取った草を下ろした。
藤巻さんから連絡を受け、私は同じ朝、墓地へ行った。ほかの人は入口近くで清掃を続けていたが、草壁さんがいた通路には入らないよう声を掛け合っていた。木柄は刈り残した草の脇に寝かせてあり、抜けた刃は離れた敷石の上で古いタオルに覆われていた。
私は初めに、普通に考えられる説明を確かめた。一つは、刃が落ちる直前に切れていた草を、草壁さんが手で引き抜いただけという見方である。草壁さんの左手に残っていた草の切り口を見せてもらうと、どれも斜めにそろって平らで、ちぎった跡はなかった。藤巻さんは、刃が落ちる音を聞いてから草壁さんが手を引いたと、順番をはっきり覚えていた。
もう一つは、別の人の道具が当たった可能性である。しかし、その通路にいたのは2人だけで、藤巻さんは熊手しか持っていなかった。
私は覆いを開いてもらい、抜けた刃を撮った。刃は根元から先まで1枚のまま残っていた。藤巻さんは撮影後、鋼の部分を再びタオルへ包んだ。
草壁さんは、木柄も人の通らない場所へ移したいと言った。草の間に残しておくと、後から来た人が拾いかねない。藤巻さんが近くの道具小屋から、ふたのある木箱を出してきた。普段は園芸用のひもや袋をしまう箱だった。藤巻さんは中身を入口の机へ移し、空の箱を草壁さんの横へ運んだ。
私は通路の反対側へ下がった。草壁さんは木柄の手元側を握り、地面からゆっくり持ち上げた。
柄の先が、刈り残した草の横を通った。その木から少し離れた所で、細い茎が2本、同じ高さで分かれた。葉の付いた上半分が斜めに落ち、下半分は立っていた。木の先も草壁さんの手も、その2本には触れていない。包んだ鋼の刃は、通路の入口の敷石に置かれたままだった。
後で、落ちた上半分を拾って切り口を見た。どちらの茎も、緑の汁がにじんだばかりの平らな面だった。前から折れていた草が、風で倒れたのではない。立っていた下半分も、同じ高さで切りそろえたように見えた。
「そっちは切れるんですか」
藤巻さんが尋ねた。草壁さんは右手を動かさないまま、私の方を見た。私は、今、草が切れたところを見たと伝えた。刃のあった側で切れたが、どこまでが触れてはいけない範囲なのかは分からなかった。
草壁さんは、柄を握る位置を変えずに、草のない方へ腕を伸ばした。藤巻さんが砂利の上へ置いた箱の、縁から離れた中央へ木柄を下ろした。木が底に当たる音がした。私たちは柄の先の左右に空きを残し、ほかの道具を入れなかった。
私は、ふたを閉める前に箱の中を撮った。底には土の付いた短い木柄が1本あり、周りには何も入っていない。写真だけを見れば、もっと小さい箱でも足りるように見える。

草壁さんは、その鎌を朝に家で確かめたと話した。刃のがたつきは感じなかったという。刃が落ちてから私が着くまで、柄はその場の草の脇に置いたままだったと、2人は話した。私が見た切断は、箱へ移す途中の一度だけである。もう一度草を刈るようには頼まなかった。
片付けの途中、入口の机で、私は藤巻さんが移した箱の中身を見ていた。ひもと袋の下に、二つ折りの古い紙が1枚あった。墓地の清掃当番の名前を書いた紙で、裏に鉛筆で「柄のみ 箱の中ほどへ 左右空ける」と書いてある。日付は「昭和51年8月」とだけあった。
藤巻さんはこの紙を見たことがなかった。箱を選んだのは、鎌を寝かせても入る大きさだったからだという。草壁さんも、清掃に30年近く参加してきたが、刃の抜けた鎌の話は聞いたことがないと言った。
紙に当番として名前が残る人のうち、今も墓地へ来ている人がいた。入口でお茶の番をしていた梶ヶ谷稔さん(84歳)である。藤巻さんが紙を見せると、梶ヶ谷さんはしばらく裏の字を眺めていた。
「私の父の字です。あの年も、盆前の草刈りで、鎌の刃が抜けた人がいた。父はその柄を、刃の向きを変えないで運べと言って、この箱に入れさせたんです。左右を空けておけ、というのも父が言いました」
梶ヶ谷さんは当時37歳だった。柄を運んだのは別の家の人で、梶ヶ谷さんは少し離れて見ていたという。その柄がその後どうなったかは、覚えていなかった。箱はその後もひも入れとして小屋に置かれ、誰も裏の書き込みを話題にしなかった。
「父は、柄を下ろすときに草の上を通すな、とも言っていました。そのときは年寄りの用心だと思って聞いていた。箱が広すぎるとは、みんな思っていたはずです。でも、父が決めた大きさだったので、誰も小さい箱に替えなかったんです」
私は、箱の大きさを、手近にあった物の偶然だと思っていた。梶ヶ谷さんの話を聞いた後では、柄の左右に残した空きが、47年前にも同じ考えで取られていたことになる。昭和51年の柄で何が切れたのか、紙には書かれていない。
箱にはふたをかぶせ、草壁さんの家へ運ぶことになった。共同の道具小屋へ戻すと、中身を知らない人が開けるかもしれない。草壁さんは家族に話し、普段の鎌と一緒には置かないと言った。
草壁さんが車を寄せる間、藤巻さんは包まれた鋼の刃を指し、「これを先に積んでもらえば、木の方は私が持てます」と言った。言い終えてから、ふたの閉じた箱を見た。
草壁さんは車の後ろから戻り、箱の両側に手を掛けた。
「さっき切れたのは、こっちです」
藤巻さんは、箱へ出しかけていた手を引いた。草壁さんは、鋼の刃も一緒に箱へ入れようかと尋ねた。藤巻さんは別のままにしてほしいと答えた。
「私には、刃の場所が分かる方を持たせてください」
藤巻さんは敷石へかがみ、タオルに包まれた鋼の刃を取った。梶ヶ谷さんは古い紙を折り直して、ひもの束の下へ戻した。藤巻さんは、草壁さんが木柄だけの箱を持ち上げるのを待ち、その後ろから車へ歩いた。



