柳瀬市の湖畔の白いハンカチに関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。湖畔の木のベンチと、その脇に立つ女性。白い布が座面にあり、奥の桟橋に救命胴衣を着た男性の手こぎボートが近づいている。

湖や池の貸しボート乗り場には、沖にいる客へ戻る時間を知らせる合図が、昔から決まっていることがある。

北都県柳瀬市の郊外にある湖では、岸の受付小屋で手こぎのボートを1時間単位で貸している。客の中には、岸に残った連れと自分たちで合図を決めて出る人もいる。

受付では、借りる人の名前と出た時刻を帳面に書き、救命胴衣を渡す。戻る時刻を過ぎても帰らない舟には、スピーカーで番号を呼ぶ。それでも気づかなければ、係員が別の舟で迎えに行くという。

2023年9月3日の日曜日、桐沢好夫さん(74歳)と妻の信枝さん(71歳)も、そうして合図を決めていた。湖の周りを歩きに来て、ボートに乗りたがったのは好夫さんだけだった。信枝さんは岸のベンチで待つことにした。漕いでいると岸の時計は見えない。戻る時間になったら、信枝さんが白いハンカチを振ると決めた。

2人がこの湖へ来たのは、結婚した年以来だという。若い頃の好夫さんは、信枝さんを乗せてここでボートを漕いだ。今回は、水の上は怖くなったと言って信枝さんが岸に残った。

好夫さんは出る前に、ハンカチを広げて見せてもらっていた。白い無地で、縁を細く縫った物だった。岸の木が背景になれば、離れていても見つけられる。笛を吹いたり大声で呼んだりせずに済むと思ったと、後で話した。

その日の午後、私は岸の遊歩道を歩いていて、信枝さんに呼び止められた。

白いハンカチが、ベンチの座面の上で左右に動いていた。そのそばに立つ信枝さんは、両手を下ろしていた。布の上の角が肩ほどの高さを往復し、その下で残りの布が開いたり、細くなったりしていた。ハンカチの四隅も、背後の空間も見えた。枝や竿からつるされているのではなかった。

「どうしたら下ろせるでしょう」

好夫さんのボートは、少し離れた水面にいた。岸へ戻るところだった。信枝さんはハンカチを見た後、夫のいる方へ向き直った。好夫さんは漕ぐ手を止め、片手を大きく上げた。

初めに疑ったのは風である。しかし風にあおられて舞い上がる動きとは違った。上の角が右へ行き、止まってから左へ戻る。下の角は少し遅れてついていき、白い面が広がった。信枝さんの袖と、ベンチに置いた帽子のひもは垂れていた。湖面にもさざ波は立っていなかった。

信枝さんは、動いている布へ右手を伸ばした。先ほどつまんでいたという角をつかみ、胸の前へ引いた。布は手元へ来たが、つまんだ角が指の間で左右に動いていた。信枝さんは左手を添え、布を二つに折った。折った布の間に、虫や小石は挟まっていなかった。

両手で挟んでいる間は、白い端だけが指の脇で揺れた。信枝さんは畳んだ布をベンチへ置き、手を離した。上になっていた角が起き上がり、そこを先頭に、布がまた左右へ往復し始めた。縫い目のある端が座面をこすっていた。

次に、糸でつられている可能性を確かめた。私はベンチの背後へ回り、布の上で手のひらを左右に通した。何にも触れなかった。布の下には木の座面があり、背もたれとの間にも、動かしている物は見えなかった。ハンカチは座面の同じ辺りを行き来し、どちらかへ飛んでいくことはなかった。

信枝さんは受付小屋へ声を掛けた。貸しボートを管理する須貝利昌さん(66歳)が来て、ベンチから少し離れて立った。信枝さんは、好夫さんに戻ってもらうために振ったのだと説明し、水面を指した。

須貝さんは、好夫さんがすでに桟橋へ向いていることを確かめた。人にけがはないかと尋ね、誰も触らずに待つよう言ってから、着岸の手伝いに戻った。

私は自己紹介をし、起きたことを記録させてもらいたいと伝えた。信枝さんの了承を得て、ベンチと桟橋の位置が分かる写真を撮った。好夫さんのボートは、ちょうど桟橋の横へ入るところだった。

好夫さんは須貝さんに舟を押さえてもらい、桟橋へ上がった。救命胴衣を脱いで返すと、ベンチの方へ歩いてきた。

「何度も呼ばせて悪かった。手を振ったんだけど、見えなかったかな」

信枝さんは、戻り始めたのは見えていたと答えた。それから、ハンカチを自分で振ったのは最初の1往復だけだと言った。

「手を下ろそうとしたら、布だけ残ったの」

好夫さんによれば、最初に白い布を見つけたとき、すぐに片手を上げて応じたという。ボートの向きを変え、桟橋へ漕いだ。途中で岸を見ても、白い布はまだ振られていた。返事が見えなかったのかと思い、漕ぐ手を止めて、もう一度大きく手を上げた。私が見たのは、その2度目の返事だった。

「急いでほしいのかと思ったよ」

「もう帰ってきているから、下ろしたかったんだけど」

私が来たのは途中からで、最初の1往復を見ていない。ただ、私が来てからの信枝さんは、ハンカチを振っていなかった。夫を待つ間は、むしろ布を畳み、下ろそうとしていた。その様子を好夫さんに伝えた。

須貝さんが受付から紙袋を持ってきた。家へ持ち帰るなら、これに入れてはどうかと言った。信枝さんは礼を言ったが、まず少し座りたいと答えた。私は2人に断り、ベンチの端へ寄って、布と座面を近くから撮影した。指を離した後、どの辺りで動いていたかを残すためだった。

霧島秀一撮影。木のベンチの座面にある白い無地のハンカチ。一つの角が座面から浮き、しわの寄った布の下端が板に触れている。そばに人の手はない。
霧島秀一撮影。2023年9月3日午後、同じ湖畔のベンチ。白いハンカチの一つの角が起き上がり、下の縁が木の座面に触れている。

撮り終えると、須貝さんがベンチの脇の地面を指した。コンクリートの台が埋まっていて、錆びた金具の跡が二つ残っている。

「昔はここに旗竿があったんです。スピーカーを付けた2008年までは、閉める30分前になると、ここで白い布を振りました」

白い布にしていたのは、沖から岸の木を背にするとすぐ見分けられるからだった。須貝さんは前の管理人から布を引き継ぎ、継ぎを当てながら使った。スピーカーを付けた年に、小屋の棚へしまったという。須貝さんは小屋からその布を持ってきて、広げて見せてくれた。ハンカチの何倍も大きい、黄ばんだ木綿の布だった。

須貝さんが働き始めた頃の決まりでは、白い布は1隻ずつに振るものではなかった。沖のボートが手を上げても下ろさない。最後の1隻が桟橋につながれるまで、振り続ける。受付の帳面には、その日の最後の舟が戻った時刻を書き、それを合図に旗を下ろしていたという。

「前の管理人には、手を上げた人に布を止めて返事をするなと言われました。止めると、その人は自分のための合図だったと思って、安心してゆっくり戻ってくる。まだ沖に残っている人がいるうちは、岸の布は誰か一人のためのものじゃない、と」

この日の閉場は17時だった。好夫さんは15時半から1時間借りていて、戻る時刻の16時半は、閉場の30分前に当たる。信枝さんはその時刻にハンカチを振った。須貝さんに頼んで受付の帳面を見せてもらうと、この日の午後に貸したボートは好夫さんの舟を含めて4隻で、16時半の時点では、まだ2隻が沖に出ていた。好夫さんの舟が桟橋に入ってからも、別の客の舟が1隻残っていた。

好夫さんが信枝さんの帽子と鞄を持ち上げた。2人はハンカチのない隣のベンチへ座った。水面には、その別の客のボートがまだ出ていた。

好夫さんは座ったまま、片手を上げた。水の上から返していたように、白い布の方へ一度振った。ハンカチは左右に動いていた。好夫さんは上げた手を下ろす前に、隣の信枝さんを見た。信枝さんは両手を膝に置いたまま、好夫さんにうなずいた。

16時50分過ぎ、最後のボートが桟橋へ入った。須貝さんが舟をつなぎ、受付の帳面に時刻を書き込んだ。ベンチの上で、ハンカチの角が座面へ下りた。信枝さんは立ち上がって布を畳み、須貝さんの紙袋へ入れた。

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