町の米屋で使われている荷運び用の台車には、米を下ろした後のほうが重くなる日があるという。
北都県南條市の住宅街で、宮坂邦照さん(58歳)は父の代から続く米店を営んでいる。店では玄米を袋で量り売りし、客の求めに応じて店頭の機械で精米もする。重い袋を客の車まで運ぶのに使うのが、青い荷台の手押し台車だ。押し手を倒すと畳める型で、店じまいのときは畳んで店内の棚へ立て掛けておく。
2023年9月17日の日曜日、夕方に宮坂さんから電話があった。米袋を下ろしても、台車が軽くならない。下ろした袋のほうは、紙の袋だけを持ったように軽いという。私はすぐに店へ向かった。
入口の脇に、その台車があった。荷台には茶色い紙の米袋が1つ載っている。宮坂さんによると、この日の午後、袋に30キロの玄米を量り入れた。常連の戸栗忠明さん(68歳)の注文で、閉店間際に車で取りに来る約束になっていた。戸栗さんは自宅で少しずつ精米して食べるため、いつも玄米を同じ量だけ買っていく。
袋は荷台へ載せるまではいつもの重さだった、と宮坂さんは話した。店内で量り終えて口を結び、台車で入口まで運んだ。袋が傾いていたので直そうとしたとき、片手で持ち上がった。中身を捨てたり、別の袋へ移したりはしていない。
宮坂さんが袋の口をほどくと、玄米が詰まっていた。袋を揺すると粒の擦れる音がして、表面が崩れて片側へ寄る。宮坂さんがつかんだ口元へ私も手を添え、2人で袋を上げた。
持ち上げるつもりでかけた力が余り、袋の口は思ったより高く上がった。袋の底はふくらんでいる。宮坂さんが手を離しても、私は口元を片手で支えていられた。底をもう片方の手に載せても、その手が押される感じはほとんどなかった。
私は袋を台車の横の床へ下ろした。宮坂さんは空になった台車の押し手を持ち、店内へ引き入れようとした。入口には低い段差がある。普段は前側を少し浮かせて越えるが、このときは腕を曲げても、前の車輪が床から離れなかった。私も荷台の前端を両手で持ち、真上へ持ち上げようとした。手に重みが掛かり、荷台は動かなかった。
まず考えたのは、袋の中身が玄米ではない可能性だった。宮坂さんに頼んで、店の奥にある台秤を使わせてもらった。数字で重さを表示し、量った値を細い紙に印字する秤で、量り売りの控えにも使っている。袋を載せると、表示は30.1キロになった。印字された紙にも同じ数字がある。私は袋を秤から下ろすとき、また片手で持てた。
次に台車を疑った。荷台の下には鉄の枠と4つの車輪があり、荷物を隠すような箱は付いていない。車輪の止め具は外れていて、宮坂さんが押すと平らな床ではすっと転がる。重いのは、持ち上げようとしたときだけだった。宮坂さんと2人で台車ごと秤へ押し上げようとしたが、前輪が秤の縁を越えなかった。代わりに、秤を床へ下ろして台車を転がして載せた。表示は11.8キロで、宮坂さんが覚えている買ったときの重さとほぼ同じだった。
自分の手の感覚も疑った。棚に並ぶ10キロの精米の袋を持たせてもらうと、腕にはきちんと10キロの重みが来た。宮坂さんも同じ袋を持ち、いつもと変わらないと言った。店の中の別の袋や、精米機の横に置いた空の米袋でも試したが、重さがおかしく感じられるのは、あの玄米の袋と青い台車の2つだけだった。
秤の数字では、玄米は袋にあり、台車は空の台車の重さしかない。手で持ったときだけ、重さが袋から台車へ移っている。私の手と宮坂さんの手で、同じことが起きていた。
「米だけ先に降りて、重い方が残ったみたいでしょう」
宮坂さんは、袋を荷台へ戻してみても変わらなかったと話した。待っているうちに元へ戻るかもしれないと思い、私が来るまで何度か載せ直していたという。
宮坂さんによると、この台車は10年ほど前に買い替えた2台目で、前の台車と同じ型を選んだ。荷台の青い塗装は、角が擦れて下の銀色がのぞいている。重さが変わったことは、これまで一度もなかったという。
宮坂さんは少し考えてから、店の奥の戸棚から黒い表紙の帳面を出してきた。2016年に亡くなった父の照夫さんが付けていた配達帳だ。車で取りに来る客が増える前は、近所の家へは台車を押して米を届けていた。帳面には日付、家の名前、品物と量が鉛筆で並んでいる。
宮坂さんが開いたのは、1994年9月の頁だった。戸栗家の欄に「玄米30」とあり、その横に照夫さんの字で「台車ごと置く」と書き足されている。次の行は翌日の日付で、「台車引取 軽し」とあった。
「父が台車を客の家に置いてくることは、ほかになかったはずです。だから、この行だけ覚えていました。何があったのかは、聞かないままでした」
戸栗さんには、宮坂さんが電話で袋のことを伝えていた。戸栗さんは約束より少し早く店へ来た。開いた袋の口から玄米を見たあと、底へ両手を回した。
「これなら、自分で積めますね」
戸栗さんも、持ち上げた直後に腕を上げすぎた。袋を胸へ抱き寄せ、片方の腕で支えていた。宮坂さんは新しい袋に別の玄米を量り直せると伝えたが、戸栗さんは袋の口から中を見直し、この袋でよいと答えた。
配達帳の頁を見せると、戸栗さんはしばらく黙っていた。1994年の秋、戸栗さんの父親が腰を痛めて入院したという。それまで米袋を家へ運び込むのは父親の役目で、当時39歳だった戸栗さんが一人で運んだのは、その年が初めてだった。
「玄米が届いた日、袋は軽かったんです。台車は家の前に一晩置いていきました。宮坂さんのお父さんに頼まれたのか、自分で預かったのか、もう覚えていません」
この夏まで、車から家の中へ袋を運ぶときは、隣に住む知人を呼んでいた。その知人が8月に子どもの家へ移り、今回は戸栗さんが一人で運ぶ初めての玄米だった。
宮坂さんは、家に着いても軽いかは分からないと言った。戸栗さんはうなずき、口を結び直した。車へ載せるところまでは一緒に来てほしいと頼んだが、持つのは自分でやると言った。
店の脇の駐車スペースまでは、平らな舗装が続いている。普段は台車を押す宮坂さんと戸栗さんが並んで歩き、車の前で袋を2人で持ち替える。この日は戸栗さんが袋を抱え、宮坂さんは何も持たずに後ろを歩いた。私も付いていった。
戸栗さんが車の後ろの扉を開け、袋を荷室へ横にした。袋は底の形を変え、玄米が中で広がった。宮坂さんは、転がらない向きに置き直すのを手伝った。その間も、戸栗さんは片手で袋の端を持ち上げていた。
私は店へ戻り、入口の段差と台車を撮影した。押し手は起きたままで、青い荷台の上には、袋を結んだひもの切れ端が1本だけ残っていた。

撮り終えると、宮坂さんがひもを拾い、押し手を畳んだ。棚へ戻すつもりで荷台の端を持ったが、台車は上がらなかった。
戸栗さんは車の扉を閉め、店の前を通って運転席へ回ろうとした。宮坂さんが呼び止めた。
「すみません。こっちを先に、手伝ってもらえますか」
戸栗さんは空の荷台を見てから、車の方を振り返った。米袋はもう荷室にある。宮坂さんが畳んだ押し手を起こすと、戸栗さんは押し手の側へ回った。
2人で端を持ち、入口の段差へ台車を上げようとした。前の車輪は段差の下に残った。戸栗さんは握り直し、荷台の中央を見た。宮坂さんが「いったんやめましょう」と言い、2人とも手を離した。宮坂さんは配達帳を開いて、今日の日付の行に「戸栗様 玄米30」と書いた。戸栗さんは車の鍵をポケットへしまい、台車の脇に残った。



