庭の花壇には、植物を掘り上げた跡に、いくら土を入れても埋まらない穴が残ることがある。
株分けは、育ちすぎた草花を根ごと掘り上げ、いくつかに分けて植え直す作業だ。掘った跡のくぼみは、周りの土を寄せるか、買ってきた土を足せば、たいていその日のうちに平らになる。
北都県南條市に住む立井千賀子さん(68歳)の庭では、そのくぼみが埋まらなかった。立井さんは今、花壇の一角を柵で囲い、家族にもそこへ入らないよう頼んでいる。
立井さんから写真が届いたのは、2024年3月12日だった。レンガで囲った花壇に、手のひら二つ分ほどの穴が写っている。穴の中は青く、白いものが見える。水がたまって空が映っているように見えたが、水はないという。私は15日の午後に訪ねた。
花壇は、物干し場へ続く舗装した通路の脇にある。奥にはミントが茂り、通路に近い手前の部分だけが掘ってあった。立井さんは夏になるとミントの葉を摘み、冷たい茶に入れている。
「増えすぎるくらいなので、欲しい人には分けているんです」
ミントは、地面のすぐ下を横に伸びる茎で増える。放っておくと花壇の外まで広がるので、立井さんは毎年春に、伸びすぎた所を掘り上げてきた。これまでにも何度か人に分けたが、掘った跡が埋まらなかったことはないという。
友人の細畑理津子さん(66歳)も家で育てたいと話したので、3月10日に1株を分けた。立井さんは根を乾かさないよう、根の周りの庭の土を付けたまま掘り上げた。細畑さんが持ってきた茶色い素焼きの鉢へそれを入れ、根の塊と鉢の内側との間に、市販の培養土を詰めた。細畑さんが自分で水をやると、鉢の底の穴から水が出た。水が切れるのを待って鉢を袋へ入れ、細畑さんはその日のうちに持ち帰った。
庭には掘り跡が残った。根と一緒に土を持ち出した分だけ土が足りない。12日、立井さんは培養土を買い足し、くぼみを埋めようとした。
初めのひとすくいは、穴の奥へ落ちた。思ったより深かったのかと考え、もう一度土を入れた。土の塊は下へ遠ざかって小さくなり、見えなくなった。底で崩れる様子も、音もなかった。そこで初めて、穴の下が青いことに気づいた。立井さんは通路へ戻り、そこからスマートフォンで写真を撮った。
「穴が深いのは、まだいいんです。入れた土がずっと落ちていって、どこにも着かない。それを見ているほうが嫌でした。手を入れたら、手も同じように行ってしまう気がして」
15日、私は柵の外の通路から穴をのぞいた。穴の側面には茶色い土と、切れた細い根がある。その土の壁は深く続いていなかった。側面が途切れた所から下は明るい空で、白い雲の上側が見えた。雲の縁には薄い影があり、奥には別の雲が重なっていた。
まず考えたのは、何かが映っている可能性だ。水面や光る物があれば、頭を動かすと自分の顔や柵が映る。私は位置を変えながらのぞいたが、何も映らなかった。この日の頭上の空は薄く曇っていた。穴の中には、頭上にはない濃い青がある。
次に考えたのは、地下の空洞だ。古い井戸や、水道管から漏れた水が土を流してできた空洞なら、入れた土が見えない所まで落ちることはありうる。
立井さんが呼んだのは、以前に庭の工事を頼んだ柚木造園の柚木達郎さん(57歳)だった。柚木さんは13日に来て、穴の周りを調べていた。花壇の土に、先のとがった細い鉄の棒を何か所か差したところ、30センチほどで下の砂利に当たったという。穴の縁の外側は、ほかの場所と変わらなかった。
「家の水道のメーターも見ましたが、止めても回らない。漏れてはいません。この辺に井戸があったという話も、立井さんは聞いたことがないそうです」
柚木さんは、おもりを付けた巻き尺を穴へ下ろしてみた。5メートル下ろしても、底に当たった手応えはなかった。引き上げた巻き尺は乾いていて、土も付いていなかった。
「穴が広がるかどうか、私には分かりません。埋め方は決められないと言いました。周りを掘ればかえって崩すかもしれないので、柵だけ立てたんです」
私が話を聞いている間に、穴の縁に付いていた小さな土の塊が崩れた。塊は雲を背景に落ちていき、粒ほどの大きさになって見えなくなった。私は落ち始めから見ていたが、どこかに届くところは見なかった。
立井さんは、当面は花壇へ入らず、鉢植えの世話だけを続けるつもりだと言った。その話を聞いて、私は10日に分けたミントの鉢はどうしているかと尋ねた。持ち帰った後の様子は聞いていないという。立井さんはその場で細畑さんへ電話をかけ、庭で見たことを話して、鉢から土がこぼれていないかと尋ねた。
電話を終えた立井さんによると、細畑さんの鉢でも土が減っているらしかった。細畑さんは、植えたときに土の詰め方が足りなかったと思っていた。立井さんは土や水を足すのをやめてもらい、翌日に見に行く約束をした。
翌16日、立井さんと私は細畑さんの家を訪ねた。ミントの鉢は、屋根のある物干し場の作業台に置いてあった。立井さんは、10日に一緒に植えた鉢だと確かめた。持ち帰ってから、ずっとこの台に置いていたという。
私は初め、持ち帰る途中で袋の中の鉢が傾き、土がこぼれたのだろうと考えていた。細畑さんは、袋は自転車の前かごに立てて入れ、家に着くまで一度も倒れなかったと話した。袋の底に土はなく、植えた日の夜には、鉢の土は縁の少し下まであったという。
細畑さんの話では、13日に水をやった後、ミントの根元と鉢の内側との間に隙間ができていた。そこへ土を足したが、翌日にはまた空いていた。水も隙間へ流れていくのに、受け皿へは出てこない。葉はしおれていないので、水を吸っているのだろうと思っていた。
「昨日も、ここへ土を入れたんです。下には落ちていないでしょう」
細畑さんは鉢を少し持ち上げ、受け皿を見せた。皿には乾いた土の粒がわずかにあるだけだった。下からのぞくと、鉢の底の中央に水抜きの穴が1つあり、黒い網が掛けてある。底が割れて抜け落ちた様子はない。10日には同じ穴から水が出ていたのだから、穴が詰まったとも考えにくい。
鉢を受け皿へ戻してもらい、私は上から見た。物干し場の屋根の下で、真上に空はない。芽の出た根の塊は中央に残っている。根と鉢の内側との間に、指2本ほどの幅の隙間があった。表面には細い根が張り出し、その下に青い所が見えた。
隙間の奥を見ていた立井さんが、私を呼んだ。青い所へ白い雲の縁が入り、細い根の向こうをゆっくり横切っていった。私は鉢の縁と根の塊が入るように撮った。

撮った写真を拡大して、私は隙間の形を見直した。隙間の内側の壁は、根に付いてきた庭の茶色い土だ。外側の壁は、10日に詰めた黒っぽい培養土で、鉢の素焼きの面はどこにも見えない。隙間は、その二つの土の境目をなぞっていた。
庭の穴を思い出した。あの穴も、ミントの根の塊を持ち上げた跡にできている。庭では根の塊を抜いた所が開き、鉢ではその塊の外側が開いた。立井さんが庭から持ち出したのは株と土だけのはずだったが、どちらの穴も、同じ土の塊の輪郭に沿って開いていた。
立井さんは、残りのミントは株分けしないと言った。細畑さんは鉢をこのまま作業台に置き、水は葉に霧を吹くだけにするという。
話を終えると、細畑さんは作業台の下へかがみ、板の裏を見た。それから立ち上がり、ミントの脇の隙間を見直した。鉢の下には台の板があり、根の下には雲があった。



