引っ越しの荷物からは、運び出す当日になって、見積もりのどこにも書かれていなかったものが出てくることがある。
引っ越し業者は、事前に家を下見して、運ぶ家具や箱の数を家財の一覧にまとめる。たんすや引き出しは、当日までに中を空にしておくよう頼むのが普通だ。中身が入ったままだと重くなり、運ぶ途中で物が壊れたり、こぼれたりするからだ。生き物は運ばない。犬や猫、水槽の魚などは、依頼した人が自分で連れていく決まりになっている。
2024年3月24日の日曜日、北都県柳瀬市内の住宅の前で、私は引っ越しの車の荷台をのぞいていた。荷台では、小さな男が、丸まった梱包用の紙を引いていた。背丈は、隣に置かれた大人の軍手より短い。紙の端が床の金具に引っ掛かると、男は両手を離し、私を見上げて「ここを上げてもらえますか」と言った。
私に電話をくれたのは、引っ越し作業員の榎森勇介さん(仮名、34歳)だった。荷物の間に小さな人がいる、という電話だった。私は依頼人の柏尾雅文さん(仮名、71歳)の了承を得て、昼過ぎに着いた。家財の搬出は途中で止まり、車はエンジンを切っていた。
榎森さんが見せたのは、荷台の後ろに置いた木製の小引き出しだった。幅は約40センチで、引き出しが上下に3段ある。下段だけは抜いて、本体の横へ置いてあった。小さな男は、その引き出しに敷かれていた布の上で見つかったという。
柏尾さんはこの日、一人で暮らしてきた家から、同じ市内の集合住宅へ移る予定だった。新居は今より狭い。運ぶ家財とは別に、使わなくなった小引き出しを榎森さんへ譲る約束をしていた。3月9日の下見の際、榎森さんがそれを見て、家でねじや釘を入れるのに使いたいと話したからだ。家財の一覧にも、小引き出しは「作業員引き取り」と書き込まれていた。
車を出す前に、中が空になっているかを確かめようとして、榎森さんは下段を抜いた。布の下から男が起き上がった。榎森さんは引き出しをすぐ荷台の床へ置き、柏尾さんを呼んだ。柏尾さんは男を見ても驚かず、「それも一緒で大丈夫です」と言ったという。
「一緒で大丈夫、というのが分からなくて。布ごと持っていっていい、という意味かと思いました。でも、布の上に人がいるんです」
榎森さんは作業を止め、会社へ電話した。小引き出しを引き取る約束も、いったん取り消していた。
私が荷台へ近づくと、男は紙を引くのをやめた。灰色の上着とズボンを着ており、頭には短い黒髪があった。初めは人形を誰かが動かしているのかと思い、しゃがんで見た。口の両脇のしわや、上着の袖口から出た指が見えた。男は私の視線に合わせて顔を上げ、紙に隠れていた片足を自分で抜いた。糸も、操る人もいなかった。
榎森さんが紙の端を持ち上げると、男は金具をまたぎ、空いた所へ紙を引いた。背の高さほどの紙を折り畳もうとしていたが、紙が開くので、両膝で押さえ直した。声は小さく、エンジンの止まった車のそばでなら聞き取れた。
名前を尋ねても、男は答えなかった。ここで何をしているのかと聞くと、「片づけています」と言い、押さえた紙を指した。榎森さんが、その紙は自分たちで回収すると伝えると、男は膝を離して立った。
柏尾さんにも、男がいつから家にいたのか聞いた。初めて見たのは1月で、台所の棚の下から、落としていた缶のふたを押し出してきたという。最初は距離を置いて見ていたが、呼び掛けると返事をした。翌朝にも同じ場所にいたため、棚のそばへ置いていた小引き出しの下段を空け、布を敷いた。
男は棚や家具の下から、硬貨、ボタン、輪ゴムなどを拾ってきた。柏尾さんが探していた物もあった。戻してくれたら礼を言い、食事のときには小皿を置いた。男は食べた後、小皿に残ったパンくずまで拾っていたという。
「初めは助かったんです。床に落とした物が、机の端に並んでいるので」
その後、ごみ箱へ入れたボタンや、壊れたボールペンの部品も戻ってきた。捨てた物だと説明しても、次の朝には同じ物が机に置かれていた。柏尾さんは、収集に出すまでのごみ袋を、玄関の外に置いたふた付きの箱へ入れるようになったと話した。
男を叱ったことはあるかと尋ねると、柏尾さんは首を振った。拾わなくてよいとは言ったが、男が小さな両手で物を差し出すと、受け取っていたという。その場でごみ箱へ戻すところは、男に見せなかった。
私がその話を聞いている間に、榎森さんは荷台へ上がり、男へ車から下りてほしいと頼んだ。男は抜かれた引き出しへ戻り、布の上へ座った。榎森さんは持ち上げてもよいか確かめ、引き出しを両手で運んだ。玄関前の低い台へ置くと、男は縁に手を掛けて外を見た。
会社からの返事で、榎森さんたちは家財だけを予定どおり運ぶことになった。会社は生き物を運ばない。男を家具と一緒に預かることはできないので、どこへ行くかは本人と話してほしい、と榎森さんは伝えた。柏尾さんは、新居には連れていけないと答えた。
「引き出しごとなら、榎森さんのお宅でも同じように使えると思って」
私はそこで、下見の日の話を思い返した。小引き出しを欲しいと言ったのは榎森さんだが、柏尾さんはそれを断らず、中を空けることもしなかった。榎森さんは、使うつもりだったのは小引き出しだと答えた。男のことは知らなかったし、自分の家へ来てもらう話もしていない。柏尾さんは、男が住んでいることを下見のときに言わなかったと認めた。家財の一覧の「作業員引き取り」は、柏尾さんにとっては、引き出しの中の男の行き先でもあった。
私は、男が拾った物を受け取るのが嫌なら、本人へそのことを話せないかと尋ねた。柏尾さんは引き出しの前にしゃがみ、ここからは自分で片づけるので、もう何も拾わなくてよいと伝えた。男は布の上から立ち、縁を越えて台へ下りた。
台の下には、口を何度か折り返して浅くした紙袋があった。柏尾さんが部屋から出した袋で、古い靴を包んでいた紙や、掃除で出たごみが入っていた。男は台の脚を伝って下り、袋の折り返した口へ手を掛けた。柏尾さんが拾わなくてよいともう一度言うと、男は袋の内側へ顔を向けたままうなずいた。
小引き出しの本体も荷台から下ろされた。私は柏尾さんと榎森さんに断り、玄関前に置かれた本体と、抜かれた下段を撮った。上の2段は閉まり、下段を抜いた所には奥板が見えていた。

男が紙袋から戻ってきた。肩に長い紐を掛け、その端を両手で持っていた。柏尾さんの前まで来ると、紐を地面へ下ろした。先がほつれ、途中にも擦り切れた所がある靴紐だった。
柏尾さんは、その朝、新しい紐に替えたばかりだと話した。古い方は捨てたので、持ってこなくてよいと言った。男は紐を拾い直し、柏尾さんへ差し出した。柏尾さんは受け取らず、男を見ていた。
榎森さんが、家財の積み込みを再開する前に、小引き出しをどうするか尋ねた。柏尾さんは、自分の車へ載せると答えた。男には、自分と一緒に行くかと聞いた。男はうなずき、差し出していた紐を柏尾さんの靴のそばへ置いて、台の方へ戻った。
柏尾さんは男が下段へ戻るのを待ち、布の入った引き出しだけを自分の車へ運んだ。後部座席の足元に置き、開いたままの上から男に声を掛けた。男が顔を上げるのを確かめてから、車のドアを閉めた。本体は、ほかの家財と一緒に新居へ運んでもらうことにした。
榎森さんが荷台へ戻ると、柏尾さんは玄関前へ戻り、靴紐を拾った。ごみの紙袋は足元にあったが、そちらへは入れず、自分のズボンのポケットへ押し込んだ。紐のほつれた端が外へ出ていた。柏尾さんはそれも指で入れ、車へ向かった。



