南條市の勝手口の閂に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。古い両開きの木戸の内側に、2つの鉄の金具を通して茶色の角棒が横に掛かっている。土間の床には水の入った青い長方形の容器がある。

古い家を買うと、前の持ち主から、雨戸の外し方や井戸ポンプの癖を書いた覚え書きを渡されることがある。そこには、理由の書かれていない決まりが一行だけ混じっていることがある。

北都県南條市の椋枝昌代さん(68歳)の家では、勝手口が台所に続く土間にあり、2枚の木戸が内側へ開く。戸の裏には鉄の金具が1つずつ付いていて、そこへ横に木の角棒を通すと、両方の戸を閉じておける。この角棒を閂(かんぬき)という。この家の閂は長さが70センチほどで、手を掛ける中央だけが黒く光っていた。

普段は棒を右へずらして左の金具から抜き、左の戸だけを開ける。右の金具には棒の端が残る。椋枝さんは2002年にこの家へ移ってきてから、朝晩そうしてきた。棒を金具から全部抜いた覚えはないという。

戸の下端が傷み、閉めるたびに床をこするようになったため、椋枝さんは建具職人の菅波信吾さん(52歳)へ交換を頼んだ。4月20日、採寸に来た菅波さんが閂を取り外すと、両手の間で棒が曲がった。落とさないよう握り直した手に、濡れた魚の腹が触れたという。

菅波さんは驚いて、魚の頭の側を元の金具へ戻した。手の中で尾が跳ね、作業着の袖に水が掛かったという。胴の途中まで通すと硬い棒になり、もう一方の金具へも差し込めた。椋枝さんもそばで見ていた。2人とも、その日はもう取り外さなかった。菅波さんはその晩、作業着の袖を洗う前に匂いをかいだ。川で捕った魚をさばいた後と同じ匂いがしたという。

翌21日、椋枝さんから私へ電話があった。交換は予定どおり行いたいが、閂を古材と一緒に持っていかれては困る、と話した。魚の形になったら水へ移す準備をして、もう一度菅波さんに来てもらうことになった。

4月27日、土曜日、私は交換作業に立ち会った。土間の奥には、台に載せた大きな水槽があった。椋枝さんはウナギに似た魚だと観賞魚店へ伝え、ふたやろ過器と一緒にそろえたという。水道水の塩素を除く薬剤を使い、水槽の隅では空気の泡が上がっていた。戸の下に置いた細長い容器にも、同じ水を分けてある。

作業の前に、私は二つの普通の説明を確かめておきたかった。一つは、20日に誰かが棒と生きた魚をすり替えた可能性。もう一つは、2人が同じ思い込みをした可能性である。私は椋枝さんに断り、閉まった木戸と閂を撮った。棒には端まで木目があり、触ると乾いた木だった。下の容器には水だけが入っていた。菅波さんには、作業の間、上着を脱いで袖をまくってもらった。

菅波さんは両手で閂を支え、右へ引いた。左の金具が空になり、続いて棒の左端が右の金具を通り抜けた。そこで、棒の手前側の角が丸くなった。

木目が消え、表面に濡れた光が出た。右端が細く曲がり、菅波さんの手首をたたいた。左端には丸い目と口があり、その後ろで小さなひれが動いていた。棒が抜けてから容器へ下ろされるまで、菅波さんの両手から離れるところはなかった。私はその間、一度も目を離していない。

魚は容器の水へ入ると、尾を振って端へ進み、胴を曲げて向きを変えた。細長い茶色の体は、さっきの棒とほぼ同じ長さだった。戸の金具には何も残っていない。すり替えの説明は、これで成り立たなくなった。容器の水面には、魚が入ってから細かなぬめりが浮いていた。

菅波さんが左の木戸を開けると、戸がきしんだ。魚が胴を曲げ、頭が水面から出た。容器の縁へ口先を掛けたため、椋枝さんが手元の板を上にかぶせた。魚は水へ戻ったが、板を持ち上げるとまた頭を上げた。

2人は容器を水槽まで運び、縁へ寄せて傾けた。魚が水と一緒に滑り込み、底を回った。椋枝さんはすぐにふたをした。私は横から水槽を撮った。魚が底へ体を寄せ、ひれを広げたところが写っていた。

霧島秀一撮影。台に載せた水槽の底近くに、細長い茶色の魚が体を曲げている。透明なふたが載り、奥の管の先から細かな気泡が上がっている。
霧島秀一撮影。2024年4月27日、同じ家の土間。作業中に水槽へ移した茶色の魚。ふたを載せた後、横から撮影した。

椋枝さんが水槽を用意できたのは、20日に魚を見たからだけではなかった。家を買ったとき、前の持ち主の舟越さんという女性から、便箋2枚の覚え書きを受け取っていた。雨戸の外し方、井戸ポンプの呼び水、庭の梅の消毒の時期が並ぶ中に、一行だけこうあった。

「勝手口の閂は、両方の金具から抜かないこと」

椋枝さんは、棒をなくさないための注意だと思っていた。だから20年以上、右の金具に端を残してきた。舟越さんは2010年ごろに亡くなったと聞いており、理由を尋ねたことはない。便箋は今も台所の引き出しに入っていて、椋枝さんは私に、その一行だけほかの行より濃い字で書いてあるのを見せた。

菅波さんは、作業の合間に自分の父親の仕事帳のことを話した。父親も建具職人で、2015年に亡くなっている。気になって前の晩に作業場の棚を調べると、1976年の帳面に、この家の勝手口の戸を2枚新しくした記録があった。当時の施主の欄は「舟越」で、その下に父親の字でこう書いてあった。

「閂は元の物。抜かずに戸ごと外す」

戸を2枚とも外すには、普通は閂を先に抜く。父親は、棒を金具に通したまま2枚の戸を一緒に外し、新しい戸に金具を付け替えて、棒も一緒に移したらしい。手間のかかるやり方だと菅波さんは言った。帳面にはほかの家の戸の交換も並んでいるが、「抜かずに」と書いた行はこの家だけだった。

「親父は、抜くとどうなるか知っていたんだと思います。私は、知らずに抜いた」

1976年の交換では、抜かずに同じ閂を新しい戸へ移した。2024年の交換では、抜いたことで閂が魚になった。舟越さんの覚え書きも、菅波さんの父親の帳面も、決まりは書いても理由は書いていない。

菅波さんが戸の取り外しを始めた。椋枝さんは水槽の前を離れず、古い戸をどこへ運ぶのかと尋ねた。菅波さんは、作業場で金物と木を分けるつもりだと答えた。

「この前みたいに戻すなら、金具も要りますよね」

菅波さんは道具を置き、椋枝さんを見た。椋枝さんは、戻せば水も餌も要らず、今までと同じにできるのではないかと言った。菅波さんは、木に戻ったところは見たが、その間に魚がどうなっているかは分からないと答えた。

椋枝さんは水槽のふたへ手を置いた。魚は端まで泳ぎ、壁に沿って上がってきた。

「今日は、こっちに入れておきます」

古い戸は庭へ運び出された。菅波さんは、そこから外した鉄の金具2つを新聞紙に包み、作業台の端へ置いた。持ち帰るのか置いていくのかは、椋枝さんに決めてもらうと言った。私は午後まで作業を見ていたが、魚は水槽の中にいた。椋枝さんが少量入れた餌には近づかなかった。魚の種類は、まだ誰にも確かめてもらっていない。新しい戸には内側のつまみを回す錠が付いた。菅波さんは鍵を作業台へ置き、開閉の仕方を説明した。椋枝さんは自分で錠を回し、戸が動かないことを確かめた。

菅波さんが工具を片付け始めたとき、水槽のふたが鳴った。魚が斜めに立ち、鼻先をふたの端へ押し付けていた。椋枝さんはふたを押さえ、もう少し開かないようにできるか、と菅波さんに頼んだ。

菅波さんは、ふたを留める金具の位置を直した。椋枝さんは魚が底へ下りるのを待ち、両側の留め具を掛けた。それからふたの縁へ指を掛けて引いた。ふたは浮かなかった。

椋枝さんはふたの縁へ指を掛けたまま、菅波さんに、これなら外出している間も開かないだろうかと尋ねた。

菅波さんが留め具を確かめてうなずくと、椋枝さんはようやく水槽から手を離した。新しい戸の鍵は、まだ作業台の上に置いてあった。

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