南條市の集会所の折り畳み椅子に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。集会所の青い折り畳み椅子に座る客を後ろから写した写真。中央に通路があり、正面の小さな台には座布団が置かれている。

地域の集会所で開く発表会では、係が予約の人数に合わせて折り畳み椅子を並べ、受付で来た人を数える。満席になれば、遅れて来た人は後ろの壁際で立って聞く。1脚の椅子に座れるのは、1人だけのはずである。

2024年5月11日、土曜日。北都県南條市内の集会所で、地域の落語愛好会が発表会を開いた。私は会場の管理人に別件の話を聞く約束があり、開演前に受付へ寄った。受付係の井野口正臣さん(61歳)に、客席を見てほしいと呼ばれたのはそのときだった。井野口さんはこの日、予約に合わせて青い折り畳み椅子を48脚並べ、来た人を紙に正の字で数えていた。

入口寄りの列の端に、瀬畑佳津子さん(66歳)と浦坂道代さん(64歳)が座っていた。2人は以前、同じ店で働いていた知人で、この日は会場で待ち合わせていた。瀬畑さんは茶色のスカート、浦坂さんは灰色のズボンを着ていた。

浦坂さんの左膝と、瀬畑さんの右膝が重なっていた。灰色の布の面から、茶色の裾に包まれた膝が半分出ている。瀬畑さんが足を手前へ引くと、茶色の裾が灰色のズボンの中を通った。布が引かれたり、膝が押しのけられたりする様子はなかった。

肩は左右へずれているが、腰は1脚の折り畳み椅子に収まっていた。椅子の脚は4本で、2人とも両足を床に着けていた。後ろに別の椅子はなく、片方が相手を抱えているのでもなかった。片方が膝に乗っているのなら、上の人の頭は一つ分高くなる。2人の頭の高さは、ほとんど同じだった。すぐ後ろの列の年配の男性は、2人が座るところから見ていた。「一人が膝に乗ったと思ったら、そのまま下まで沈んだ」と話した。

井野口さんが立てるか尋ねた。瀬畑さんは、胸の前で合わせていた両手を離し、椅子の横へ立った。スカートの布と右脚が、浦坂さんの左の腿を通り抜けた。浦坂さんは座ったままで、自分の膝を両手でさすった。痛みはなく、押された感じもなかったという。

続いて浦坂さんも立った。青い座面が全部見えるようになった。2人は通路で向かい合い、瀬畑さんが浦坂さんの腕へ触れた。今度は手が止まった。浦坂さんも、触れられたことが分かると答えた。

2人によれば、遅れて来た瀬畑さんが席を探していると、浦坂さんが「ここへどうぞ」と言ったという。客席はほぼ埋まっており、浦坂さんは自分が後ろで聞くつもりだった。浦坂さんが腰を浮かせたので、瀬畑さんは椅子に背を向けた。ところが、椅子の脚に掛かった手提げの紐を外そうと、浦坂さんは再び腰を下ろした。瀬畑さんも同じときに座った。相手の体にぶつかると思ったが、そのまま座面の硬さを感じたという。

「乗ってしまったと思って、すぐ謝ったんです。でも、重くないって言われて」

瀬畑さんは最初、2人で椅子の端に掛けているのだと思った。自分の右膝を見てから、井野口さんを呼んだという。

私は2人と井野口さんに、椅子と会場を撮ってよいか尋ねた。了承を得ると、井野口さんは空席を探しに行った。その間に、空になった椅子と客席の様子を撮った。青い座面には仕切りも穴もなく、ほかの席と同じ金属製の枠が付いていた。

霧島秀一撮影。金属の枠が付いた青い折り畳み椅子を斜め前から写した写真。座面は空いており、4本の脚が床に着いている。
霧島秀一撮影。2024年5月11日、同じ会場。瀬畑さんと浦坂さんが立った後の椅子。座面には仕切りも穴もなかった。

私はまず、椅子のほうを疑った。戻ってきた井野口さんに頼み、2人で同じ椅子に、同じように並んで腰を下ろしてみた。私の腰は井野口さんの腰にぶつかり、私は座面の端から半分はみ出した。椅子に変わったところはなかった。会場の管理人にも見てもらったが、2019年に60脚まとめて買った物の1脚で、裏の番号も台帳と合っていた。管理人は、この椅子のことで何か言われたことは一度もないと話した。

それなら、重なりは、瀬畑さんと浦坂さんの2人に関わることのようだった。

井野口さんは、ほかの席は全部埋まっていると伝えた。正の字は、瀬畑さんを入れて49で、椅子より1つ多かった。瀬畑さんは予約をせずに来ていた。井野口さんは、正の字の横に鉛筆で「立1」と書き、立ち見を1人出すつもりでいた。入口近くの壁際には、立ち見用の場所も空けてあった。後ろの壁際なら立って聞けると案内した。浦坂さんが見たい知人の出番は、まもなく始まるところだった。

その知人が客の前で話すのは、この日が初めてだった。浦坂さんは何度か稽古を聞き、扇子を箸に見立てる仕草も見せてもらっていた。今日はその表情まで見える所に座りたい、と瀬畑さんに話した。

待つ間に、浦坂さんは2人が働いていた店のことを話した。南條市内の呉服店で、2019年に閉めるまで、2人は15年ほど同じ帳場に立っていた。帳場の奥に、客の相手をしないときに腰を下ろす丸椅子が1脚だけあった。

「座るのは、たいてい私でした。佳津子さんは、いつも『どうぞ』って立っていてくれて」

瀬畑さんは笑って首を振った。ただ、自分が座った覚えはあまりないとも言った。

店を閉めた日、片付けの後で、2人はその丸椅子に一緒に腰を下ろそうとしたことがある。腰と腰がぶつかって、どちらも半分しか座れず、2人で笑ったという。浦坂さんは、きょうの椅子でも同じことになると思っていた。

瀬畑さんが先に座り直した。浦坂さんはその横に立ち、会場の後ろを見た。瀬畑さんが立とうとすると、浦坂さんが「さっきみたいに、掛けてみてもいいですか」と尋ねた。瀬畑さんは自分の右膝を見て、うなずいた。私と井野口さんは横にいた。浦坂さんが腰を下ろすと、今度は灰色の脚が、茶色のスカートの横から入っていった。2度目は、私も目の前で見た。浦坂さんの腰が下りる間、瀬畑さんの体が押されて揺れることはなかった。

2人とも、座面に腰が着いたと言った。息苦しさや痛みはないという。私は、立つなら手を貸せる位置にいたが、浦坂さんは高座の方を向いた。瀬畑さんも顔を上げた。

井野口さんは「お二人とも掛けられているなら」と言いかけ、瀬畑さんの手を見た。瀬畑さんはまた胸の前で両手を合わせていた。

私が、手を膝へ下ろさないのかと尋ねると、「道代さんの脚が見えるので」と答えた。自分の膝がどこにあるかは分かる。それでも、そこへ手を置くと、浦坂さんの腿に手を出すように見えてしまうのだという。浦坂さんは「私は気にしないから、大丈夫」と言ったが、瀬畑さんは手を下ろさなかった。後で浦坂さんが教えてくれたところでは、店では、帳場の前で胸の前に両手を合わせて立つのが、客を待つときの決まった姿勢だったという。

浦坂さんの知人が、小さな台の座布団へ上がった。浦坂さんは顔を少し前へ出し、瀬畑さんは横へ引いた。2つの頭は触れずに並んでいた。台の方で扇子が開くと、浦坂さんが笑った。瀬畑さんも笑ったが、そのあと一度、足元を見た。

話が終わると、浦坂さんは拍手をしてから立った。灰色のズボンが茶色の裾から離れ、椅子には瀬畑さんだけが残った。

浦坂さんは、次は後ろで立って聞くと言った。帳場で瀬畑さんがそうしていたように、今度は自分が立つつもりらしかった。瀬畑さんが「もう少し、ここで」と答えると、浦坂さんは、また一緒に座るのかと思ったのか、椅子へ向き直った。

瀬畑さんは自分の膝を見てから、浦坂さんへ顔を上げた。

「私が、ここでもう少し座っていたいんです」

浦坂さんはうなずき、後ろの壁へ歩いていった。受付の井野口さんが、それを見て紙の「立1」に小さく丸を付けた。瀬畑さんは胸の前から両手を下ろし、茶色のスカートに並べて置いた。次の演者が座布団へ上がるまで、膝の上で指を伸ばしていた。

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