南條市の多久野家の小屋の階段に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。軽トラックの荷台に、3枚の踏み板と両脇の板がつながった古い木製の階段が置かれている。踏み板には乾いた泥の跡がある。

庭の小屋を取り壊した跡には、運び出したはずの階段の高さに、物を置ける面が残ることがある。

北都県南條市の多久野康雄さん(79歳)は、2024年の夏、庭の小屋を取り壊した。市外で暮らす娘の多久野真理子さん(48歳)が、車を止められるようにするためだった。真理子さんは父親を訪ねるとき、少し離れた有料駐車場に車を止めていた。荷物を運ぶには遠く、夕方から料金が高くなるため、泊まらずに帰ることが多かったという。

小屋は1983年に康雄さんが建てた物で、木工の道具や古い家電を置いていたが、最近はほとんど使っていなかった。床は庭より高く、戸口の前に木の階段が3段あった。康雄さんは荷物を抱えて小屋を開けるとき、上の段へいったん置いてから鍵を出していた。真理子さんは子どもの頃、その階段に腰掛け、父親が道具を出すのを待っていたという。

解体を引き受けた工務店の杉津義昭さんから私へ連絡があったのは、7月2日だった。屋根と壁、床を外し、最後に階段を運び出した。その後、庭へ下ろしていた空の段ボール箱を康雄さんが片付けようとしたところ、箱が地面より上で止まったという。

私は翌3日の朝に庭を訪ねた。小屋はなく、母屋の壁と、その前の土が見えた。角のつぶれた段ボール箱が、地面から膝より低い所にあった。箱の下には脚も台もなく、向こう側の土が見通せた。

康雄さんが箱をわずかに持ち上げて、私に手渡した。中は空だった。私が別の所へ置くと、底はそのまま土に着いた。康雄さんは元の箱の位置へ手を伸ばし、掌を下へ向けた。腕を下げると、掌が途中で止まった。

私も横から手を伸ばした。硬く平らな面に掌が当たり、それより下へは押せない。手を手前へ引くと支えがなくなり、そのまま下へ動かせた。

まず、透明な板が残っている可能性を考えた。解体の際に、ガラスかアクリルの板を置き忘れたのなら説明がつく。私は杉津さんから細い角材を借り、その面の下を横からくぐらせた。角材は何にも当たらず、面の下を通り抜けた。上から触れる面だけがあり、支える物はどこにもない。掌に少し体重を掛けてみたが、面はたわまず、きしむ音もしなかった。触った感じは、日に当たって乾いた木の板に近く、ガラスのような冷たさはなかった。

次に高さを測った。杉津さんの巻き尺で、土から掌が止まる所までを測ると、手前から約18センチ、約36センチ、約54センチの三つの面があった。奥行きはそれぞれ25センチほどで、奥へ行くほど高くなる。

杉津さんは、運び出した階段をまだ処分していなかった。ほかの木材と分け、軽トラックの荷台に置いてあった。3枚の踏み板は両脇の板に付いたままで、表面には泥の乾いた跡が残っている。私たちは門の所でその階段を測った。段の高さも奥行きも、庭で測った面とほぼ同じだった。

杉津さんは、解体の前に撮った写真も見せてくれた。工事の記録として、毎回スマートフォンで撮っておくのだという。写真の階段は小屋の戸口の前にあり、位置は庭で面に触れた所と重なっていた。

「階段は小屋の床の縁にねじで留めてあって、脚はコンクリートのブロック4個に載っていました。ねじを抜いて、若い者と2人で持ち上げて運んだんです。ブロックも外しました。土に残っているのは、そのへこみです」

杉津さんが指した土には、四角いへこみが四つ並んでいた。へこみはどれも、私が手で触れた面の真下にあった。階段を支えていた物は、脚もブロックも、もう庭にはない。

康雄さんによると、初めに箱を置いたときは、階段をもう外したことを忘れていた。いつもの高さで手を離してから、箱の下が空いているのを見て気付いた。箱を抱え直しても、置き直せばまた止まった。杉津さんは作業を中断し、ほかの人が入らないよう庭の入口にロープを張った。

小屋があった所へ戻ると、康雄さんは箱を拾った。腰をかがめて、最も低い位置へ置く。箱は地面から少し離れた所で止まった。そこから奥へ持ち上げて置くと、初めに見た高さに戻った。

「一番上も残っています」

康雄さんはもう一度箱を持ち上げ、私の膝ほどの高さで両手を離した。箱の底は傾かずに止まった。杉津さんが指した元の戸口は、そのすぐ先だった。私は了承を得て、箱と、その下に見える地面を撮った。

霧島秀一撮影。小屋を取り壊した庭で、角のつぶれた段ボール箱が膝ほどの高さにある。箱と土の地面の間には台や脚が見えず、背景には母屋の壁がある。
霧島秀一撮影。2024年7月3日、同じ家の庭。康雄さんが両手を離した後、最上段があった高さで止まった空の段ボール箱。箱の下には地面が見えていた。

この面がどこまで続くのか、人が乗っても支え続けるのかは分からなかった。杉津さんは、駐車場所に仕上げる作業は続けられないと話した。康雄さんはうなずき、真理子さんに電話して、今度の日曜は庭へ車を入れないでほしいと伝えた。

真理子さんは、工事が延びたのかと聞いた。康雄さんは、小屋はもう片付いた、と答えた。電話を代わってもらい、私から箱と階段の話をすると、真理子さんは日曜に自分でも見たいと言った。

7月7日の日曜日、私が再び訪ねると、真理子さんは庭で康雄さんの説明を聞いていた。車はいつもの駐車場に置いてきたという。手には、夕飯の材料が入った買い物袋を提げていた。

庭の入口にはまだロープがあり、小屋の木材は運び出されていた。土の上に物はなく、通りから見ると車を止められそうに見える。真理子さんは父親の指す所で腰をかがめ、手を下ろした。掌が止まると、横へずらした。一番上の面の左端で、指が止まった。

「ここ、削ってある」

真理子さんによると、小学生の頃、父親の彫刻刀を黙って持ち出し、一番上の段の左端に自分の名前の「マ」を彫ったのだという。見つけた康雄さんにひどく叱られ、その後は階段に座るたびに手で隠していた。康雄さんはその話を覚えていたが、彫った跡は何十年も見ていなかった。

私は門へ行き、軽トラックの荷台の階段を確かめた。一番上の踏み板の左端に、浅く彫った「マ」の字があった。庭へ戻って同じ所に手を置くと、指先に同じ形のへこみが当たった。目には土しか見えない所だった。真理子さんも、もう一度そのへこみを指でなぞった。

真理子さんは立ち、買い物袋を持ち直した。康雄さんは、そこなら置ける、と一番上の辺りを指した。空いた椅子へ荷物を置くよう勧める口調だった。真理子さんは袋を渡さず、母屋の玄関へ運んだ。

戻ってきた真理子さんに、康雄さんは、今日は夕飯の前に帰ってよいと言った。せっかく来たのに、また駐車料金が掛かってしまうという。真理子さんは、今日は泊まるつもりで来た、と答えた。

「車の分は払ってきた。着替えも持ってるから」

康雄さんは門の外を見た。真理子さんは、車を止められるようになるまで呼ぶのを待たなくてよいと続けた。見えない段がいつなくなるのか分からないのなら、今日はこのままでよいという。

康雄さんは一番上の段があった辺りへ背を向け、ゆっくり腰を下ろした。尻が地面に届く前に止まり、膝が曲がった。両足は土に着いている。私が声を掛けると、康雄さんは、今朝もここに座って娘を待っていた、と答えた。

「小屋がなくなったから、門がよく見えるんです」

康雄さんは尻の横に手を置き、真理子さんに、まだ座れると言った。掌は腰と同じ高さで止まっていた。真理子さんはその手を見てから、母屋へ入った。

低い椅子を運んで戻ると、父親の隣に置いた。4本の脚を土に着け、座面を手で押してから腰を下ろした。康雄さんは空いている方へ少し尻をずらした。真理子さんは椅子を動かさなかった。

康雄さんは娘の方を向き、夕飯は何を作るのか尋ねた。真理子さんは買ってきた物を話し始めた。2人の膝はほぼ同じ高さにあり、康雄さんの左手は、何も見えない段の端に置かれたままだった。

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