南條市の版画展示館の案内図に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。木の机に置かれた薄い板と、その上に広げた白い案内図。離れた2棟をまっすぐな通路が結び、通路を横切るように紙の折り目がある。脇には手書きの小さなベンチが描かれている。

小さな展示館の受付で渡される案内図には、館の人が長年の間に書き足した印が残っていることがある。紙の上の印と実際の建物が、どちらに合わせて変わってきたのかは、たいてい誰も気にしない。

北都県南條市に、個人が開いている小さな版画展示館がある。本館と別館の間に中庭があり、平らな灰色の石を敷いた通路がまっすぐ延びている。通路の両脇は砂利で、片側に木のベンチが一つある。来た人は本館の受付で入館料を払い、案内図を受け取って、中庭を通って別館へ向かう。

稲束喜久江さん(74歳)は、昨年まで日曜ごとにこの館の受付を手伝っていた。入館料を受け取り、案内図を渡し、雨の降っていない日は別館の展示も勧める。受付を空けられないため、会期中の絵をゆっくり見る機会は少なかったという。

2024年7月14日の日曜日、喜久江さんは客として館を訪れた。別館に出ている雨の版画を見たかった。細い雨脚の写った案内はがきが届き、実物を近くで見ようと思ったのだという。

館主の梶坂尚昭さん(67歳)は、喜久江さんが持ってきた古い案内図を受け取った。喜久江さんが受付をしていた頃、客に道順を示すために使っていた1枚で、辞めるときに自宅へ持ち帰っていた。片隅には、庭のベンチが喜久江さんの手で描き足してある。

梶坂さんが新しい案内図を渡そうとすると、喜久江さんは要らないと答えた。「迷いませんから、今日は自分で見てきます」。古い紙は梶坂さんに預け、中庭へ出た。

途中まで進んだところで、足元が上り坂になった。通路の中央が横一筋に盛り上がり、その手前と奥の舗装が斜めになっていた。喜久江さんは横の砂利へ下り、受付に向かって梶坂さんを呼んだ。

梶坂さんはそのとき、喜久江さんの案内図を二つ折りにして封筒へ入れようとしていた。呼ばれて窓へ寄り、紙を開いたとき、通路も下がったという。喜久江さんはその日は別館へ入らず、私へ連絡した。梶坂さんは中庭への戸を閉じ、案内図を開いたまま受付の下へ置いた。

私は7月18日の木曜日、休館日に2人と会った。本館の受付からは、中庭の通路と別館のガラス戸まで見通せる。案内図は薄い白い紙で、2棟の間を結ぶ通路の中央を、古い折り目が横切っていた。喜久江さんは、受付にいた頃から、閉館のたびに半分に畳んで引き出しへ入れていたと言った。今月より前に通路が動いたという話は、2人とも聞いていなかった。喜久江さんが閉館後に畳むとき、紙はいつも受付の机の下で、引き出しに入れながら折っていた。机の下ではなく、中庭の見える机の上で畳んだのは、14日の梶坂さんが初めてだったかもしれないという。

まず、地面の側の原因を考えた。石の下を水道管が通っていれば、漏水で土が膨らむことがある。木の根が石を押し上げることもある。梶坂さんによると、中庭の下に配管はなく、近くに大きな木もない。14日に通路が上がって下がるまでは、喜久江さんが呼んでから紙を開くまでのわずかな間だった。土が膨らんだのなら、そんなに早く元へ戻るとは考えにくい。

梶坂さんは私に、通路から離れていてほしいと頼んだ。私はベンチの横に立ち、喜久江さんは本館の戸口に残った。梶坂さんが受付の窓を開け、紙の両端を持った。私が合図すると、印刷面を外にして、中央の折り目を少し立てた。

通路の中央が横一筋に盛り上がった。そこを頂点に、手前と奥の舗装が斜めになった。頂点をまたぐ石は、1枚の真ん中で折れ曲がっている。その表面には、左右へ続く細かい模様が途切れずに残っていた。石が割れる音はせず、両脇の砂利も動かなかった。頂点は私の足首ほどの高さで止まった。

梶坂さんが紙の角度を保っている間に、私は砂利の上から、持ち上がった通路と別館の戸を撮った。喜久江さんは、そこが14日に自分の立っていた場所だと指した。紙の上で通路を横切る折り目も、2棟のほぼ中間にあった。

霧島秀一撮影。本館と別館を結ぶ灰色の石の通路が、中央だけ低い山形に曲がっている。頂点をまたぐ1枚の石にも亀裂は見えない。通路の両脇には平らな砂利があり、奥には別館のガラス戸が見える。
霧島秀一撮影。2024年7月18日、同じ館の中庭。梶坂さんが受付で案内図を折っている間、通路の中央が足首ほどの高さまで持ち上がった。頂点をまたぐ石の表面には、割れ目が見えなかった。

私が声を掛けると、梶坂さんは案内図を開いた。山形の頂点が下がり、両側の舗装と同じ高さになった。紙を机に置いた後も、通路は平らなままだった。舗装には、持ち上がった所が割れた跡も、下がるときにこすれた跡も見えなかった。

その日の午後、梶坂さんが呼んでいた舗装店の辻嶺正吾さんが見に来た。この通路を敷いた店である。石は厚さ3センチほどの御影石で、下にモルタルを敷いて据えてある。辻嶺さんは測量用の水平器を当て、通路の端から端まで高さを測った。傾きはほとんどなく、石の目地にもひびは見つからなかった。通路を敷いたのは1998年で、それから一度も敷き直していないという。帰り際、辻嶺さんはベンチの脚の下ものぞいていった。脚は砂利に埋めたコンクリートの台に載っており、傾いてはいなかった。

「この厚さの石が曲がって、割れずに戻るということはありません。うちが敷いたときのまま、平らです」

この1枚の紙を畳んだときと開いたときに、私は通路が上下するのを見た。新しい案内図や、この紙を写した物では試していない。梶坂さんは、別の折り目を付けるのはやめておこうと言った。喜久江さんも、それ以上は頼まなかった。

その後、受付で古い案内図を見直していた梶坂さんが、片隅のベンチを指した。

ベンチは、喜久江さんが受付を始めた頃に描き足した物だった。当時の中庭にはベンチがなく、喜久江さんは、通路のこの辺りに座る所があれば別館まで歩きやすい、と案内図に鉛筆で描いて見せたという。梶坂さんはそれを見て木のベンチを買い、描かれた位置にそのまま据えた。今もベンチはその場所にある。

喜久江さんが受付を始めたのは2008年で、ベンチを描き足したのもその年の秋だった。

「描いたのは、半分冗談のつもりだったんです。次の日曜に来たら本当に置いてあって、紙の上と同じ所だったので、笑ってしまいました」

梶坂さんは、来た人が迷わないよう、紙と庭を合わせておきたかったのだと言った。

この中庭は、一度この紙に合わせて変えられていたことになる。

梶坂さんは薄い板を持ってきて、その上に案内図を広げた。紙の四隅を留め、上から透明な板を重ねた。誰かがうっかり畳まないようにするためだ。中庭にはしばらく客を通さないという。

私たちが話している間、喜久江さんは別館のガラス戸を見ていた。奥の壁には、雨脚を彫った版画が掛かっている。梶坂さんが鍵を持ち、絵を見に行きますかと尋ねた。喜久江さんは案内図の四隅を見た。手で押さえていなくても、紙は平らに留まっていた。

それでも喜久江さんは、中庭へ向かわなかった。

「その紙が見えない所へ行くのは、今日はやめます」

梶坂さんは鍵を机に戻した。喜久江さんは、版画をここへ持ってきてもらえないかと頼んだ。大きな絵ではないので、梶坂さんが額を外し、受付へ運んできた。運ぶ間、私は案内図を置いた机の脇にいた。誰も紙には触れなかった。

受付の向こうには、絵を受け取るときに使う小さな台があった。梶坂さんは額を台に立てかけ、喜久江さんを受付の内側へ招いた。喜久江さんは何年も、受付の椅子に座って庭への行き方を説明していた。

喜久江さんは客側に立ったまま、額をこちらへ向けてほしいと言った。梶坂さんが向きを変えると、喜久江さんは鞄から眼鏡を出した。近づいて雨の線を見た後、足を1歩引いた。

そこからなら、額の横に置かれた案内図まで見えた。喜久江さんはその位置へ客用の椅子を引き、腰を下ろした。梶坂さんが、はがきより細かいでしょう、と言った。喜久江さんはうなずき、絵へ顔を近づけたが、椅子はそれ以上動かさなかった。

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