手品の練習会では、輪がつながっても、講師が受講者を褒めないことがある。まだ教えたとおりに動かせていない、と言うのだ。
2024年8月18日の日曜日、私は北都県南條市内の集会所で、手品を教えている綱倉慎司さん(61歳)と会った。綱倉さんは同好会の仲間と月に2回、初心者向けの練習会を開いている。輪がつながる手品を教えられなくなった、と相談を受けていた。
その日は練習会のない日で、前回の参加者の早坂絹代さん(67歳)にも来てもらった。早坂さんは秋の町内の催しで手品を披露するつもりで、7月から通っている。これまでは催しの受付を手伝ってきたが、今年は舞台に出てみたくなったという。
綱倉さんの道具は、銀色の金属の輪2本だった。この手品では一般に、観客から見えない工夫のある輪を使い、持ち方と動かす順で、輪が通り抜けたように見せる。綱倉さんは初めに演技を見せ、そのあと受講者を自分の横へ呼び、正面の観客には隠す部分も見せながら手順を教えていた。早坂さんが受けた最初の2回は、途中で引っ掛かることも、輪を落とすこともあった。
8月11日の練習で、早坂さんは輪をぶつけ損ねた。右の輪が左の輪から離れたままなのに、手を戻す前につながったという。綱倉さんは、たまたま別の手順になったのだと思った。もう一度ゆっくり動かしてもらうと、今度は早坂さんが輪を机に置いたあとに、2本が起き上がってつながった。
綱倉さんは糸でも絡んだのかと輪を調べ、ほかの道具でも試した。しかし、説明のために外して置いた輪まで、机の上でつながるようになった。早坂さんは、その日から、どの動きを覚えればよいのか分からなくなったと話した。同じ日に輪を習った参加者はほかに2人いた。早坂さんが使った輪を手渡しても、2人の手ではつながらなかったという。綱倉さんもその週、自宅で同じ輪を1人で動かしてみたが、輪は手順どおりに動かしたときしかつながらなかった。
私が見た18日の練習では、綱倉さんが早坂さんの隣に立ち、右手を止めてもらった。左右の輪は、指が数本入るほど離れていた。綱倉さんは、その位置ではぶつからないので、輪はつながらないと説明した。
早坂さんが持ち直そうと右の輪を下ろすと、左の輪が手の中で横を向いた。右の輪へ寄り、金属が触れる音がした。次に見えたのは、早坂さんの両手の間でつながった2本の輪だった。綱倉さんは早坂さんの手首に触れておらず、私は机の向かいにいた。ただ、その短い動きだけでは、輪のどこを通ってつながったのかは見切れなかった。
綱倉さんは2本を受け取って外し、私にも道具を調べてほしいと言った。私は金属の輪を手に取ったが、手品の道具を調べた経験はない。隠れた工夫の有無を、私だけで決めることはできなかった。
そこで、手品用ではない輪でも起きるかを確かめることにした。私は工作用の厚紙と鋏を持参していた。青と黄色の紙から、手のひらより少し大きな輪を1枚ずつ切り抜いた。外側を切ったあと、中央に鋏を入れて穴を開けた。輪の内側から外側へ通じる切れ目は作っていない。綱倉さんと早坂さんにも裏表を見てもらった。
私は紙の輪を机の上に離して置き、鋏と切り残した紙を脇へ寄せた。金属の輪は綱倉さんの鞄に入れてもらった。3人で、何も持たずに机を囲んだ。
先に動いたのは青い輪だった。机から手のひらの幅ほど浮き、片側が持ち上がって縦になった。続いて黄色い輪が、平らなまま同じ高さへ浮いた。早坂さんが椅子を後ろへ引いた。私と綱倉さんも手を机から離していた。
青い輪は黄色い輪へ横から近づき、下側が黄色い輪の縁に触れた。私はその交わる所を見ていた。黄色い縁は切れず、青い紙がその中をゆっくり通り抜けた。青い輪の下半分が黄色い輪の穴の下へ出ると、2枚は鎖のようにつながったまま机に落ちた。
誰も紙に触れていなかった。私が青い輪を持ち上げると、黄色い輪もついてきた。2枚とも平らな紙の形を保ち、破れや貼り合わせた所はない。つながった2枚を引き離そうとしても、紙の縁が引っ掛かるだけで外れなかった。穴の縁には、鋏で切ったままの細かいぎざぎざが残っていた。綱倉さんに青い輪の上端を持ってもらい、黄色い輪が下がったところを撮った。机には、丸い穴の残った厚紙を並べた。

金属の輪の短い動きには、私の見落としがあったかもしれない。厚紙の方は、自分で別々に切り抜いたところから、つながるまでを見ていた。手品の仕掛けを知らないというだけでは、その間に起きたことを説明できない。
綱倉さんは、鞄から古い大学ノートを出してきた。1998年、綱倉さん自身が手品を習い始めた年の練習帳で、教えてくれた芦刈伸男さんの書き込みが残っている。芦刈さんは南條市内で長く手品の会を開いていた人で、綱倉さんの同好会もその会から分かれてできた。2012年に亡くなっている。ノートの表紙には、綱倉さんの字で「練習帳 1」と書いてある。
ノートの10月の欄に、芦刈さんの字で「輪、勝手につながる。手を止めて練習」とあった。その日付は、綱倉さんが初めて人前で演じた地域の祭りの、2週間前だった。
「すっかり忘れていました。私のときも、つながったんです。あれは私が上手になったんじゃなくて、勝手につながったんだと、先生に言われました。先生は、つながるまで待たずに、間違えた所で私の手を止めました」
綱倉さんは、その書き込みの下に描かれた手の絵を指した。右手の親指の向きが、矢印で示してあった。
綱倉さんによると、その後も本番の前日まで、輪は何度か勝手につながった。そのたびに芦刈さんは手を止めさせ、親指の向きを直した。祭りの当日は一度も勝手につながらず、教わった手順で最後まで演じられたという。
早坂さんは綱倉さんに、前回、ほかの参加者から上手だと言われたことを話した。初めはうれしかったという。しかし、家に帰ると輪はうまくつながらず、教室でできた動きを思い出せなかった。その朝も、家で試してから来ていた。家では娘に見てもらいながら練習しているが、そこでは一度も勝手につながったことがない。
「上手だと言われると、手順を覚えるのをやめてしまう人がいるんです。私もそうでした」
綱倉さんはそう言ってから、早坂さんの出番が10月13日の日曜日であることを確かめた。
綱倉さんは、秋の催しでは自分が舞台のそばにつくこともできると言った。早坂さんは首を振り、また輪が動くかどうかより、止まってしまったときに、どこからやり直せばよいかを知りたいのだと答えた。
「間違ったところで、止めてもらえますか。つながるまで待たないで」
早坂さんは自分のノートを開いた。前回の日付の下には、自分で書いた「3回つながった」があった。その脇に、右手のどの指で輪を支えるのかを書けるよう、小さく手の形を描いた。芦刈さんのノートにある手の絵と、同じ向きだった。
綱倉さんは鞄から金属の輪を出した。私はつながった紙の輪を別の机へ移した。早坂さんは輪を1本ずつ持ち、教わった位置まで右手を動かした。
「そこです。右手を返すのが早い」
早坂さんは右手を止めた。その手から右の輪が滑り、左の輪につながった。早坂さんは輪を引き戻そうとせず、空いた右手を同じ角度に保った。綱倉さんはその横へ自分の手を並べ、親指の向きを示した。早坂さんは下がった輪を見ず、2人の親指が同じ方を向くまで、手首を少しずつ戻していた。



