地方の商店街の靴修理店には、近所の洋品店から、展示用の靴が持ち込まれることがある。店先のマネキンに履かせる靴は、台座の棒を通すために靴底へ穴を開けてある。履いて歩くことはないので、穴を塞ぐ人はいない。直すとすれば、色が褪せたときくらいである。
靴底の穴を塞いでほしいと修理店へ来た客は、洋品店のマネキンだった。北都県南條市内で靴修理店を営む瀬越時彦さん(66歳)から、修理を終えた靴を受け取りに来るところを見てほしいと連絡があった。私は2024年9月24日に店を訪ねた。
瀬越さんは、預かった日に自分のスマートフォンで撮った写真を見せた。黒い紐なしの革靴が、片方だけ底を上にして作業台に置かれていた。右足の踵には丸い穴があり、靴の内側まで抜けている。踵が擦り減って破れた形ではなかった。縁は刃物で切ったように丸くそろい、穴の周りの革の切り口も新しかった。

「これを塞いで、外を歩けるようにしてほしいと」
19日の夕方、客は椅子へ座り、右の靴を脱いで、穴から入った小石を出したという。瀬越さんが足を見ると、白く塗られた樹脂だった。足首から上も同じ白で、ズボンの裾に肌は見えなかった。髪も眉も描かれておらず、鼻と唇の形だけがあった。
瀬越さんは初め、誰かが仮装をしているのだと思った。断ってから脛を指で叩くと、中の空いた硬い音がした。足首や膝に継ぎ目はなく、白い表面は一続きだった。中に人が入っていられる太さでもなかったという。客は脱いだ靴を瀬越さんに渡し、外を歩くと石が入って困る、と話した。
瀬越さんは道向かいの洋品店の津草真代さん(71歳)に電話した。その靴は津草さんが展示用に履かせた物で、修理代も自分が払うという返事だった。靴底は交換することにし、仕上がりを24日と決めた。マネキンは白い足のまま洋品店へ帰ったそうだ。
私が行ったとき、修理を終えた靴は作業台の端にそろえてあった。新しい黒い底には穴がなく、踵にもゴムが付いている。瀬越さんに断り、作業台と、客が履き替えるための椅子を撮った。
津草さんが入ってきた。その後ろから、白い顔のマネキンが歩いてきた。薄い灰色の半袖シャツに、濃紺のズボンを着ている。入口を越えるとき、右の足首が曲がり、白い踵が床から離れた。私が名乗り、話を聞いてよいか尋ねると、唇の形は閉じたまま、顔の辺りから「履いてみる間なら」と声がした。
津草さんは、9月に入ってからマネキンが歩くようになったと話した。閉店の支度をしている間に店の外へ出ていて、呼ぶと戻ってきた。一度は後をついて行ったが、マネキンは通りを右へ曲がり、駅の改札の前まで歩いて立ち止まった。名前を呼ぶと、同じ道を戻ってきた。それからは、夕方になると戸口へ来る。台座へ戻しても、自分で足を抜いて下りるという。買ったときは左脚を少し前へ出した姿勢で固まっていて、肘や膝を曲げることはできなかった。
津草さんは説明しながら、マネキンの左の袖口へ手を入れ、白い上腕を持って回した。腕が肩から離れた。付け根には金具があり、周りは薄い殻で、内側が空いていた。持たせてもらうと、見た目より軽かった。その間、マネキンは椅子へ座り、顔を私の方へ向けた。
「そっちは、戻してください」
津草さんが腕を戻すと、マネキンは膝の上へ手を置いた。瀬越さんが靴を床へ置くと、左右の足を入れて立ち上がり、椅子と入口の間を往復した。足を上げるたびに底が曲がり、床へ戻ると短い音がした。私は床に近い所から見ていた。右の踵は、毎回外側の縁から床に着いていた。
「これでいいです」
津草さんは代金を払い、領収書を財布へ入れた。それから、右の靴をもう一度預かってほしいと言った。台座から出た棒を通す穴を、同じ所に開けてほしいという。写真の丸い穴は、津草さんが自分で開けたものだった。
瀬越さんは、塞ぐために預かったのだと答えた。それからマネキンに断って右の靴を脱いでもらい、中敷きの下を指でめくった。土踏まずの所に、小さな刻印が押してあった。瀬越さんが修理した靴に付ける印だった。瀬越さんは中敷きを戻し、靴をマネキンの足元へ置いた。マネキンは白い右足をまた入れ、かかとを床に軽く打ち付けた。
瀬越さんは奥の棚から古い修理台帳を出した。2009年の頁に「津草信夫様 黒 紐なし 踵交換」とあった。津草さんの夫の名前である。信夫さんは8年前に亡くなるまで、この靴で毎朝、通りを右へ曲がって駅まで歩いていたという。洋品店の紳士服は信夫さんが仕入れていて、駅の向こうの問屋へ電車で通っていた。
瀬越さんは、信夫さんが踵を減らす癖を覚えていた。右足の外側だけが早く減るので、何度か同じ所を直したという。新しい底を付けたとき、瀬越さんは外側のゴムを少し厚くしていた。手が覚えていたので、そうしたのだと話した。
津草さんは、夫の靴だと認めた。19日に電話を受けたとき、そのことを言わなかったのは、瀬越さんに止められると思ったからだという。亡くなった人の靴に穴を開けて、店先に立たせている。自分でも、人に話せることではないと思っていた。
津草さんはそこで言葉を切り、白い足に履かれた靴を見た。紳士服の棚の前に立たせるマネキンに、ほかに合う靴がなかった。履かせるために、自分で踵へ穴を開けた。年内で店を閉めると決め、9月1日に戸口へ貼り紙をしたのも自分だった。
「閉めるまでは、あの棚の前に立っていてほしいんです」
紳士服の棚は、信夫さんが亡くなってから仕入れを止め、残った品だけを並べてきた。閉店の貼り紙を出してから、その棚の品もいくつか売れた。マネキンが着ている灰色のシャツと濃紺のズボンは、売れ残った最後の一組だという。
瀬越さんは、閉店の後にこの靴をどうするのか尋ねた。津草さんは、マネキンと一緒に処分するつもりだったと答えた。靴だけを家へ持ち帰っても、履く人がいない。棚も台座も、年明けに引き取りの業者が来ることになっている。マネキンには、業者の名前を書いた荷札がもう付けてあるという。
マネキンは右足を持ち上げ、新しい底を津草さんへ向けた。
「いま、立っています」
津草さんは足を見ずに、私たちの後ろの通りを見た。マネキンは足を下ろし、瀬越さんに、穴は開けないでほしいと頼んだ。瀬越さんは道具を取らず、靴の箱を畳んだ。
私はマネキンに、外へ出てどこまで歩くのかと尋ねた。顔の辺りから、駅までです、と声がした。そこから先は、まだ知らないという。改札の前で立ち止まるのは、その先の道を靴が覚えていないからだと話した。石が入らなければ、もう少し待っていられる、とも言った。
津草さんは、それを黙って聞いていた。瀬越さんは台帳の2009年の頁に紙切れを挟み、閉じて棚へ戻した。
マネキンは入口へ向かい、戸口で右を向いた。洋品店は通りの向かいにある。津草さんは半袖の袖口から手を入れ、マネキンの左の二の腕をつかんで店の方へ引いた。肩で金具の当たる音がして、津草さんの手に白い腕が残った。灰色の袖は空になり、マネキンの脇へ落ちた。マネキンは歩みを止めず、店先を右へ曲がった。津草さんは戸口に立ち、外れた腕の手首を、もう片方の手で支え直した。
「これがないと、上着が着せられない」
マネキンは通りの先で振り向いた。右手で、空いた左の袖口をつまんで見た。それから袖を離し、津草さんへ顔を向けたまま、穴を塞いだ靴で2歩、後ろへ下がった。



