柳瀬市の集会所の臼に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。集会所の舗装された裏庭に木の臼があり、数歩離れた長机の布の上に木の杵が横たわっている。臼の脇には水のバケツがある。

地域の集会所の餅つきには、杵を持つ人と臼に手を入れる人の2人だけで決めた短い合図が、何年も守られていることがある。

北都県柳瀬市のある集会所では、その合図は「待って」の一言だった。臼の中の餅を返す黒坂利枝さん(67歳)がそう言うと、杵でつく片江康文さん(72歳)は、どの高さにあっても杵を止める。黒坂さんが手を抜いてうなずくまで、杵は下りてこない。2人は14年、この決まりで組んでいる。片江さんは元大工で、杵の柄が痩せると自分で削り直す。黒坂さんは、ぬらした手で熱い餅を返すのは慣れだと言った。

2024年9月29日の日曜日、私はこの集会所にいた。地域の秋の集まりを撮るため、準備をしている朝から訪ねていた。臼は建物の裏の、舗装された庭に据えてあった。脇には水を張ったバケツがあり、少し離れた所に作業用の長机が置かれていた。厨房から蒸した米を運ぶ人と、つき上がった餅を受け取る人は別にいた。この集まりでは毎年4臼をつき、つき上がった餅は、集会所へ来られない近所の高齢者の家へも配る。私は庭の端から2人の作業を見ていた。

餅つきは、つき手と返し手の息が合わないと危ない作業だ。返し手は手を水でぬらし、杵が上がっている間に、臼の内側に付いた餅をはがして中央へ折り返す。つき手は、返し手の手が臼から出たのを見てから杵を下ろす。黒坂さんは片江さんと話しながらも、餅が臼の端へ寄ると「待って」と言った。片江さんは返事より先に杵を止めた。

「こっちが手を抜くまでは、下ろしてこないから」

黒坂さんは私にそう言った。餅を返し終えると臼から半歩離れ、片江さんはそれを見て、またつき始めた。

異変が起きたのは、2臼目をつき終える少し前だった。片江さんが杵を肩の高さへ上げたとき、臼から低く短い音が一つした。餅の中央がへこみ、周りが臼の内側へ広がった。杵の先は、片江さんの肩のそばにあった。黒坂さんの手は体の横に下がっていた。

「待って」

片江さんは杵を上げた姿勢のまま止まった。間を置いて、同じ音がもう一度した。餅の右寄りに丸いくぼみができ、その手前が盛り上がった。臼の上からは、何も下りてこなかった。

片江さんは杵を臼から外側へ向け、自分の足元へ下ろした。黒坂さんはバケツをまたいで後ろへ下がった。私も2人から離れ、厨房の戸を開けかけた人に、庭へ出ないでほしいと伝えた。

片江さんは杵を抱えて数歩離れた長机へ運び、水を切るために敷いてあった布の上へ横に置いた。手を離し、私たちのいる建物の側へ来た。それでも臼は鳴った。

庭にいたのは私たち3人で、誰も臼へ手の届く位置にはいなかった。餅の表面が下へ押され、押された所の左右が膨らむ。そのたびに、杵でつくのと同じ音がした。その間、長机の布の上の杵は少しも動かなかった。

片江さんは厨房の人に、次の米を持ってこないよう頼んだ。戸の内側に1人残ってもらい、ほかの手伝いの人も庭へ近づかないよう知らせた。餅を運ぶための盆は厨房へ戻された。

私は長机と臼を一緒に撮った。横に寝かされた杵と、離れた所にある臼が写る。次に少し横へ移り、離れたまま臼の中を撮った。白い餅には、手前の縁が盛り上がった丸いくぼみがあった。写真だけでは、いつ付いたくぼみなのかは分からない。

霧島秀一撮影。木の臼に入った白い餅。中央より少し右に丸いくぼみがあり、その手前の縁が盛り上がっている。
霧島秀一撮影。2024年9月29日、同じ集会所の庭で、臼から離れて撮影。餅には丸いくぼみと、その手前の盛り上がりがある。静止した写真だけでは、くぼみが付いた時点は分からない。

カメラを下ろすと、片江さんが「まだ遠くへ置いた方がいいですか」と私に聞いた。私は、もう杵には触らないでほしいと答えた。片江さんは黒坂さんへ両手を見せ、「持ってないよ」と言った。「分かってます」と黒坂さんはすぐに答えた。責めるような声ではなかった。

最初の音のとき何を見ていたか、私は黒坂さんに尋ねた。片江さんの杵だという。黒坂さんは餅を返すつもりで、杵が下りてくるのを待っていた。

「上がったのに、ついたでしょう。下ろしたところを見落としたかと思って」

この日の餅つきはそこで中止になった。手伝いの人が、集まりに来る人へ伝えるために表へ回った。私は庭に残った。臼の中では、押されるたびに餅が薄く広がり、内側にへばり付いていった。音のない間も、黒坂さんは餅を取り出しに行かなかった。

建物の壁際に並んでいた椅子の1脚を、片江さんが黒坂さんへ向けた。黒坂さんが座ると、片江さんも隣の椅子に腰を下ろした。2人とも、臼からは離れていた。

片江さんは膝に両手を置いていた。やがてポケットから手拭いを出そうと、右手を持ち上げた。

「待って」

片江さんの手が止まった。黒坂さんは臼を見て、それから片江さんの右手を見た。

「汗を拭くだけだよ」

「ええ。ごめんなさい」

片江さんは手拭いを出し、額を拭いた。臼の音は昼前から間隔が長くなり、やがて聞こえなくなった。

私は、普通の説明を順に考えた。蒸した米が冷えて縮み、中の空気が抜けたのなら、表面は全体に沈むはずだ。片側が盛り上がる丸いくぼみにはならない。地面から揺れが伝わったのなら、脇のバケツの水も揺れたはずだが、私が見ていた間、水面は静かだった。誰かが厨房の窓から何かを投げ込んだ様子もなく、くぼみの中にも周りにも、餅以外の物はなかった。

翌30日、自治会長の沼尻昭一さん(75歳)に立ち会ってもらい、餅を出した臼を持ち上げて、底と台を調べた。ひびも空洞もなく、台の下にも何もなかった。臼は昭和の終わりごろに地区の人が寄付したもので、毎年この庭で使い、終われば物置にしまう。この臼で音がしたという話を、沼尻さんは聞いたことがなかった。

そのとき沼尻さんが、集会所の備品台帳を見せてくれた。2008年までの欄には「臼1 杵2」とある。2009年11月の欄で杵が1本に減り、横に「杵1 廃棄」と書かれていた。台帳は自治会の役員が毎年4月に数を確かめて書き継いでいるもので、理由の欄は空いていた。当時の役員はもう亡くなっていた。

10月1日、私は片江さんの家を訪ねて、その1本について尋ねた。

「前は2人でついていたんです。私と、臼をはさんだ向かいにもう1人。交互に下ろすから、片方が上がったときに、もう片方が下りる。返し手は、その間に手を入れます。昔はそれで、合図も要らなかった」

2009年の秋、そのもう1人の杵が、黒坂さんの右手の上に下りた。黒坂さんは指を2本折った。つき手だった男性は、自分の杵を使わないでほしいと自治会へ頼み、その年のうちに杵は処分された。男性は2年後に市外へ引っ越したという。翌年から、この集会所では1人でつき、返し手が「待って」と言えば止まる、という今の決まりになった。返し手を続けると言ったのは、黒坂さん本人だった。

「向こうの杵が落ちるのは、真ん中より少し右でした。黒坂さんの手が入る側です」

片江さんは、私の撮った臼の写真を見て、くぼみの位置を指で押さえた。29日の最初の音は、片江さんの杵が上がりきった時だった。2人でついていた頃なら、ちょうど向かいの杵が下りてくる時だ。

翌2日、黒坂さんにも話を聞いた。最初の音のことを、黒坂さんはもう見落としだとは言わなかった。

「15年前も、片江さんの杵は上にあったんです。あの時も私は、上がっている片江さんの杵を見ていて、向こうの杵は見ていなかった」

黒坂さんは、29日に「待って」と言ったのは、片江さんに言ったのではなかったかもしれない、とだけ話した。

その日の午後、臼を物置へしまうのに立ち会った。片江さんと沼尻さんが臼を運び入れ、杵は片江さんが別の棚へ寝かせた。黒坂さんは物置の入口に立ち、右手を左手で包んでいた。片江さんが杵から両手を離して棚の前を離れるのを見てから、黒坂さんは物置の戸を閉めた。