地方の家では、遠くへ越す知人を送るとき、庭に並んで記念写真を撮ることがある。撮る人は全員が画面に収まるまで後ろへ下がり、背の高い人には少し屈んでもらう。並んだ人の大きさが写真の中で違って見えるのは、カメラからの距離が違うときだけである。
記念写真を撮る直前に、庭に並んだ男性の体が、服ごと大きくなった。北都県南條市の三垣昌介さん(70歳)の家で、2024年12月15日の午後、私はそれを見た。三垣さんとは以前の地域取材で知り合い、この日は撮影を頼まれていた。
この日、三垣さんの家へ、同じ工場で働いていた横沢孝文さん(69歳)、笹森信枝さん(67歳)、平倉克宣さん(71歳)の3人が集まった。笹森さんが年明けに遠方へ引っ越す。退職後も年に何度か会っていた4人で、写真を残そうと決めていた。
家の南側には、奥の生垣まで十数メートルある平らな庭があった。4人が室内で話している間に、三垣さんに断り、縁側の前から庭を撮った。手前は敷石で、その先には土が広がっていた。
4人は庭へ出て、横に並んだ。三垣さんは右端で、横沢さんとほぼ同じ背丈だった。私は数メートル離れ、全員が画面に収まる所まで下がった。カメラの設定を確かめて顔を上げると、三垣さんだけが大きく見えた。最初は、三垣さんがこちらへ歩いてきたのかと思った。だが、両足は同じ所にあり、隣に立つ横沢さんの頭が、三垣さんの胸より下になっていた。
横沢さんが、三垣さんの肩へ手を置こうとしていた。伸ばした手が、肩へ届かなくなった。三垣さんの灰色の上着は肩幅が広がり、袖口から出た手も幅を増した。ズボンの裾と靴も大きくなっていた。服が裂ける様子はなく、体と同じように形を保っていた。上着のボタンも、左手首の腕時計も、同じ割合で大きくなっていた。腕時計の文字盤は、遠くからでも針の位置が読めるほどになっていた。
私はカメラを下ろした。三垣さんの頭が、横にある家の1階の軒より高くなった。両足を見ていると、靴の先が土の上を伸び、かかとの後ろ側も広がっていった。足踏みをしたのでも、台に乗ったのでもなかった。横沢さんは後ろへ下がり、三垣さんは下を向いて自分の靴を見ていた。
大きくなる動きが止まったとき、三垣さんの腰は、私の頭より高い所にあった。全身が元の倍以上になっていた。巻尺で測ってはいない。息はできる、痛い所もないと、三垣さんは頭の上から答えた。笹森さんは撮影をやめようと言い、横沢さんが119番へ電話した。救急隊がこちらへ来ると伝えると、三垣さんは家の方を向きかけ、軒を見て足を止めた。
しばらくして、三垣さんが私のカメラを指した。
「来る前に、1枚だけ撮れませんか」
笹森さんは、今日はやめても構わないと言った。三垣さんは、笹森さんが引っ越すまでに、もう一度4人で会えるか分からないと答えた。自分だけ後から写真を足すのは嫌なので、今いる4人で写りたいという。
横に並ぶと、三垣さんの頭まで入れるために広く撮る必要があった。ほかの3人は画面の下へ小さく収まった。横沢さんが画面をのぞき、三垣さんだけ後ろへ行けば、皆の大きさをそろえられないかと聞いた。三垣さんは、ゆっくり庭の奥へ歩いた。私は三脚の脚を縮め、カメラを低い位置へ据えた。手前の3人には間を空けてもらい、その隙間から、奥に立つ三垣さんの体が見えるようにした。三垣さんが生垣の前まで離れると、画面の中では、4人の背丈が近くなった。
三垣さんは両足をそろえ、手を上着の脇へ下ろした。私は1枚撮った。体が戻ったわけではない。カメラから離れて小さく写る位置を、4人と探した写真だった。横沢さんは画面を見て、「これなら、いつもの4人ですね」と言った。私は横沢さんと、4人が最初に並んだ場所へ戻った。土の上には、三垣さんの大きい靴の跡が残っていた。2人の了承を得て、跡と、その脇に立つ横沢さんの靴を撮った。

救急隊を待つ間、笹森さんは持ってきた紙袋から、古いアルバムを1冊出した。工場にいた頃の写真を、引っ越しの前に分けるつもりで持ってきたという。社員旅行や慰労会の写真が、30年分ほど貼ってあった。
横沢さんと平倉さんがアルバムをめくり、名前を言い合った。どの頁にも、横沢さんと笹森さんと平倉さんがいた。三垣さんの顔は、1枚も見つからなかった。集合写真でも、旅館の玄関でも、写っているのはいつも3人かそれ以上の同僚だった。
「三垣さんは、いつも撮る方だったんです」
笹森さんによると、三垣さんは工場の写真係を長く務めていた。旅行でも慰労会でも、カメラを持って皆を並ばせ、自分は前に立って撮った。誰かが代わろうと言っても、構図が崩れると言って譲らなかったという。1枚だけ、宴会場の写真の端に、カメラを構える腕と、灰色の袖が写り込んでいた。
笹森さんは年明けに、北都県から遠い町で暮らす娘の近くへ移る。足を悪くした夫の通院のためで、もう戻ってくる予定はないという。アルバムは向こうへ持っていくつもりだった。
平倉さんは、4人で一緒に写るのは、今日が初めてではないかと言った。横沢さんも、思い出せないと答えた。生垣の前の三垣さんは、アルバムの頁を見下ろせる高さにいた。
「並ぶと、どこに立てばいいか分からないんです。撮る方なら、決まっているから」
三垣さんは頭の上から言った。今日は、自分から撮ってもらおうと言い出した。誰かに頼むのは初めてだったので、前の晩はよく眠れなかったという。
大きくなり始めたときのことを尋ねると、三垣さんは、横沢さんの手が肩へ来ると分かった途端に、背中が伸びたと話した。並んで肩を組まれたことは、これまで一度もなかった。どう立てばいいか考えているうちに、足元が遠くなったという。
三垣さんは退職の日に、写真係で使っていた工場のカメラを返した。それからは、自分でカメラを持っていない。4人で会っても、写真を撮ろうと言う人はいなかった。いつも三垣さんが言い出していたからだと、平倉さんが言った。
救急隊は庭に入り、三垣さんにしゃがんでもらって、差し出した腕で脈と血圧を測った。数字はふだんと変わらず、本人も苦しくないと話した。運ぶ方法を相談している途中で、私は次の取材のために家を離れた。その後の経過は見ていない。翌朝の電話で、3人が帰った夕方には、元の大きさに戻っていたと聞いた。
私は撮った記念写真を、4人それぞれへ渡すことにした。アルバムの最後の頁は空いていて、笹森さんは、そこへ今日の1枚を貼ると言った。三垣さんの顔が写る写真は、そのアルバムで初めての1枚になる。横沢さんは、自分の分は焼き増しせず、画面で見られれば十分だと言った。平倉さんは、額に入れて玄関に掛けるつもりだと話した。
救急隊が着く少し前、靴跡を撮り終えた後に、私はカメラを笹森さんへ渡した。笹森さんは記念写真を画面に戻し、自分の目の写り方を確かめていた。その間に、三垣さんが生垣の前から1歩、こちらへ足を出した。自分も写真を見たいと言った。
横沢さんが振り返った。
「もう1枚だけ。そこで待っていてください。場所が分からなくなるので」
三垣さんは片足を戻した。横沢さんは手前の立ち位置へ歩き、笹森さんのために間を空けた。三垣さんは奥から3人の足元を見て、自分の靴を少し横へずらした。私が笹森さんからカメラを受け取り、もう一度三脚へ据える間、三垣さんは顔を上げず、その場所に立っていた。



