地方の住宅地では、隣同士で庭仕事を手伝い合うことがある。重い鉢を動かす、伸びた枝を切る、といった用は、日と時刻を決めて頼む。都合が悪くなれば、前日に門まで来て断る。断りに来た人が、門の横桟を手で通り抜けることはない。
庭の手伝いを断りに来た男性の手が、門の金属の横桟を通り抜けた。北都県南條市に住む巻崎澄枝さん(79歳)は、その人を榧野さんと呼んだ。隣家に住んでいた榧野正次さん(享年83歳)は、6日前に亡くなっていた。
2024年12月23日の午後、私は巻崎さんの家にいた。近所の昔の風景を調べるために借りていた写真を返しに来ていた。巻崎さんは、写真に写っている家を庭から指して教えてくれた。その1軒が榧野さんの家だった。
榧野さんが17日に亡くなり、巻崎さんは20日の葬儀へ出たと、その場で聞いた。後で見せてもらった会葬礼状にも、榧野正次という姓名と12月20日の日付があった。巻崎さんは棺の中の顔も見たと話した。
私は生前の榧野さんに会ったことがない。返した写真には、若い頃の榧野さんが門の前に立っていた。この日来た男性は、写真の榧野さんと顔立ちが似ていたが、それだけで同じ人だと決めることはできない。巻崎さんは声も同じだと言い、榧野さんと呼び続けた。
巻崎さんの庭には、大きな茶色い鉢があった。腰ほどの高さの木が植わり、細い通路へ枝が張り出していた。洗濯かごを持って通ると引っ掛かるため、鉢を物置の脇へ移すつもりだったという。土の入った鉢は重く、巻崎さんが1人で抱えることはとてもできなかった。
巻崎さんは夫を15年前に亡くしてから、この家に1人で住んでいる。息子は県外で働き、帰ってくるのは盆と年末だけだった。庭のことは、たいてい隣の榧野さんに相談してきた。互いの庭を見て、枝を切る場所や鉢の置き方を話し合った。榧野さんも妻を早くに亡くし、1人で暮らしていたという。
12月8日にも、その鉢を移す場所を尋ねた。榧野さんは庭へ来て、物置の横なら日も当たると言った。鉢の反対側を持つので、2人で運ぼうと言った。2人の都合が合ったのが、24日の朝9時だった。榧野さんが入院したのは、その4日後だった。巻崎さんは、見舞いに行ったときも、鉢のことは口にしなかったという。
榧野さんの家は、入院した日から1階の雨戸が閉まったままだった。23日の午後も、巻崎さんの庭から見える2階の窓には、内側に白いカーテンが引かれていた。県内に住む娘の美佐さん(54歳)が片付けに来るのは週末だけで、この日は誰も来ていないはずだと巻崎さんは話した。
ここに載せる鉢の写真は、23日に訪問者が去った後、巻崎さんに記事化と撮影の了承を得て撮ったものだ。男性の姿は写していない。枝を避けて通れる幅は残っていたが、鉢はまだ物置から離れた所に置かれていた。

写真を封筒へ収めたとき、門の方から呼び掛ける声がした。巻崎さんは振り向き、「榧野さん。来てくれたんですか」と言った。門の外には、灰色の上着を着た白髪の男性が立っていた。
「明日の鉢のことですが、手伝えなくなりました」
巻崎さんは、わざわざ来なくてもよかったのに、と答えた。男性の右手は、閉じた門の横桟に重なっていた。指を引くと、手の甲が金属の中から出てきた。横桟には穴も曲がりもなかった。巻崎さんが門を開けても、男性は道路側に立ったままだった。灰色の上着の胸に、向こうの白い塀の継ぎ目が見えた。塀の上の葉の影が揺れ、その動きが上着の中央を通っていた。
男性がこちらへ顔を向けると、塀の線は首から頬へも続いていた。目も口も見え、話すたびに唇が動く。その奥に白い塀が見えていた。
私は名乗り、体の向こうが見えると伝えた。男性は自分の右手を見てから、「今日は、お断りに来ただけです」と言った。巻崎さんが上がっていかないかと勧めると、門の所でよいと答えた。
私は門柱の脇へ下がり、2人の話を聞いていてよいか尋ねた。巻崎さんはうなずき、男性も、構わないと言った。巻崎さんが、9時に来てもらう話でしたよね、と確かめると、男性はうなずいた。
「約束したのに、すみません」
巻崎さんは、謝ることではないと答えた。私が、榧野さんは亡くなったと聞いたばかりだと伝えると、男性は「ええ」と答えた。それ以上は説明せず、明日は来ないので、待たないでほしいと言った。
巻崎さんは、もう持ち上げられないのかと尋ねた。男性は右手を上着の脇へ寄せたが、返事はなかった。巻崎さんは、無理しなくていい、息子が年末に来るので、動かすのは頼めると言った。それから、置く場所だけ見てほしいと頼んだ。男性は首を振った。
巻崎さんは、それなら暖かくなってからでも、と続けた。男性は、巻崎さんが言い終えるまで待った。
「明日だけの話ではないんです。もう、頼まないでください」
巻崎さんは門の端をつかんだまま、うなずいた。男性は小さく頭を下げ、「今まで、お世話になりました」と言うと、隣家へ曲がらずに道を歩いていった。巻崎さんは開いた門を支えたまま、その背中を見ていた。私は門の外へ出て通りを見たが、角を曲がった先に、灰色の上着は見えなかった。
翌24日の朝、巻崎さんから電話があった。9時に、榧野さんの娘の美佐さんが来ることになったという。私も9時前に庭へ行った。美佐さんは父の家の片付けに通っていて、23日の夜、机の上に置かれた手帳を初めて開いたという。ふだんは週末にしか来ないが、手帳を読んで、平日の朝に休みを取った。
手帳の12月24日の欄には、鉛筆で「9時 巻崎さん 鉢 物置の横」とあった。最後の頁には、入院してから書いたらしい、揺れた字の数行があった。
「巻崎さんには、もう俺に頼まないでくれと言う。重い物を1人で持たないこと。困ったら美佐に電話するように」
その下に、美佐さんの電話番号が書いてあった。美佐さんは、父がこれを誰に渡すつもりだったのか分からなかったと話した。巻崎さんの名前が出てくるのは、手帳のほかの頁でも、庭のことばかりだった。剪定の日、肥料を分けた日、鉢の置き方を話した日が、短く書き留めてあった。24日の予定を見て、代わりに来ることにしたという。
巻崎さんは手帳を読み、しばらく黙っていた。前日の男性の言葉を、美佐さんにそのまま伝えた。灰色の上着を着ていたと話すと、美佐さんは、棺に入れたのはその上着だったと答えた。父が庭仕事のときにいつも着ていた物で、肘に土の染みが残っていたという。前日の男性の肘に染みがあったかどうか、私は見ていなかった。美佐さんは門の横桟を手でなでたが、何も言わなかった。
「断りに来たんじゃなくて、頼む先を変えに来たんですね」
巻崎さんはそう言って、手帳を美佐さんへ返した。美佐さんは、自分の番号を巻崎さんの電話へ入れてほしいと頼んだ。父の家は年明けに片付けを終え、売りに出すつもりだという。週に一度は来るので、庭のことはそのときに言ってほしいと話した。
美佐さんによると、榧野さんは入院中、見舞いに来た美佐さんに、隣の鉢はどうなったかと2度尋ねた。美佐さんは、何の話か分からないまま聞き流していたという。
鉢は、美佐さんと私で両側を持った。巻崎さんは前を歩き、枝を手で押さえて通路を空けた。物置の横の、榧野さんが日が当たると言った場所へ下ろした。巻崎さんは鉢の縁にこぼれた土を手で払い、木の向きを少し回して、隣家の方へ枝を向けた。



