南條市の取り壊し前の平屋に関する奇妙な記録

霧島秀一撮影。広い土の庭の奥に立つ平屋。玄関の引き戸は閉まっており、その前に平たい踏み石がある。

地方では、古い家を取り壊す前に、家族が近くの借家へ移り、家財を何度かに分けて運び出すことがある。電線を外し、水道を止め、最後の荷物を出したら玄関に鍵を掛ける。空になった家は、解体の日まで同じ場所で待つ。建物の方が、荷物について動き出すことはない。

最後の荷物を運び出して玄関に鍵を掛けた後、平屋が基礎から離れ、庭の土の上を進んだ。北都県南條市に住む久根田孝義さん(74歳)の家で、2024年12月28日の午前、私はそれを見た。以前、地域の古い家を取材した際に孝義さんと知り合い、取り壊す前に写真を残してほしいと頼まれていた。この日の写真は、孝義さんから後で掲載の了承を得ている。

家は孝義さんの父親が建てた木造の平屋で、孝義さんは子どもの頃からここで暮らしてきた。屋根の雨漏りが増え、柱の傷みも見つかったため、建て直さずに取り壊して土地を売ることに決めたという。夫婦の2人の子どもはどちらも独立し、県外に住んでいる。

孝義さんと妻の紀枝さん(71歳)は、近くに借りた家へ寝泊まりする場所を移していた。この日は、旧居に残した箪笥や食器棚を運ぶ日だった。2025年に家を取り壊す予定で、電線を外す作業は前の週に済んでいた。水道も止めてあるという。

家の前には広い土の庭があり、その先に道路への出口があった。引っ越しのトラックは庭に入り、後ろを玄関へ向けていた。家と車の間を、作業員が家具を載せた台車で往復していた。私は家具が運び出される前に、居間から台所へ続く室内を撮った。食器棚を動かすと、壁に四角く色の薄い所が現れた。紀枝さんは雑巾を持ってきたが、棚の後ろの壁を一度見て、畳に落ちたほこりだけを拭いた。

運転手の矢積信宏さん(45歳)は、積み終えたら先に新居へ向かうと言った。夫婦は戸締まりをしてから自分たちの車で行き、新居で家具を置く場所を伝える予定だった。孝義さんは、食器棚は以前と同じように台所の隅へ置く、と話していた。

最後の台車が出ると、紀枝さんは押し入れを開け、上下をのぞいた。孝義さんも忘れ物はないと言った。私は庭の横から家の正面を撮らせてもらった。窓は全部閉まっていた。屋根も壁も玄関の戸も、朝に着いたときと同じ位置にあった。

矢積さんが荷台の扉を閉めた。孝義さんは玄関の引き戸を寄せ、鍵を掛けた。取っ手を一度引き、開かないことを確かめた。振り返ったところで、戸の下から砂が落ちた。敷居の端が崩れたのかと思ったが、玄関の戸も、その横の壁も上へ動いていた。窓の下端が孝義さんの肩に近づいた。屋根の軒も同じように上がり、柱や壁が傾く様子はなかった。

孝義さんは庭へ走り下りた。紀枝さんが夫の袖をつかみ、2人で家から離れた。トラックは出口へ向かって動き始めたところだったが、すぐに止まった。家の下には、灰色のコンクリートが残っていた。その上と床下の木組みとの間に、向こう側まで通る明るい隙間があった。床の裏から細い木片が落ち、コンクリートの縁へ当たった。家が持ち上がる間、きしむ音も、瓦がずれる音もしなかった。軒の雨どいに溜まっていた落ち葉が、1枚だけ土の上へ落ちた。家を載せる台や車輪はなく、屋根の上にも建物を吊るワイヤーは見えなかった。

私は低い植え込みの外へ下がった。そこからは家の正面と横の壁を一緒に見られた。庭には土と、先ほどの台車が付けた線があった。

家は浮いたまま、庭の方へ進み始めた。人が歩くよりも遅く、軒の影も一緒に土の上を動いていった。玄関前の踏み石は残った。私には、夫婦が離れた方へ家が来るように見えた。2人にも植え込みの外へ出てもらった。家は向きを変えず、横の壁が土の上を進んだ。台所の窓が来た。ガラスの向こうに人はおらず、食器棚のなくなった白い壁が見えた。

矢積さんともう1人の作業員は、トラックと家の間へは入らず、庭の反対側へ離れた。矢積さんは110番へ電話した。車輪は止まっていたが、家と荷台の間は狭くなっていった。孝義さんは紀枝さんの前へ腕を出していた。紀枝さんは家を見ながら、その腕へ手を置いた。2人は足を動かしていなかった。家の後ろの角が、残ったコンクリートから離れた。家のあった所には低い基礎だけが残り、玄関前の踏み石から奥まで、日が当たっていた。

家はトラックの手前で止まった。建物は地面へ下りず、床下の木組みの下に隙間が残った。私は植え込みの外から、元の位置に残った基礎と、止まった家を1枚に収めて撮った。

霧島秀一撮影。土の庭に露出した低いコンクリート基礎があり、その向こうに平屋の裏側と側壁が見える。建物の木の土台は地面から離れている。
霧島秀一撮影。2024年12月28日午前、庭の横から。家が止まった後、元の位置に残った基礎と、離れた位置にある建物を撮影した。

孝義さんは、矢積さんの姿を探していた。家の角の向こうを見ようと体を傾けた。私たちのいる所からは、玄関の戸はもう見えなかった。

紀枝さんが夫の袖を引き、「そっちへ行かないで」と言った。それから、肩に掛けていた布の袋を開け、中から茶色い封筒を出した。押し入れの天袋に残っていた物で、新居へ持っていくつもりで雑巾と一緒に入れてきたという。

封筒には、古い白黒の写真が1枚入っていた。今と同じ平屋が、丸太を並べた上に載っている。周りでは、法被を着た男たちが綱を引いていた。縁側には、割烹着を着た女性が座っている。孝義さんの母親だという。裏には、孝義さんの父親の字で、鉛筆の書き込みがあった。

「昭和38年5月 曳家 旧地より30間 道路拡幅のため」

孝義さんは写真を手に取り、しばらく見ていた。家が一度、今の場所へ引いてこられたことは知っていたが、写真があるとは知らなかったという。当時、孝義さんは中学生で、学校から帰ると家が動いていたのを覚えていた。丸太の上を進む家の縁側で、母親が繕い物をしていた。家の中の茶碗は、1つも割れなかったという。曳家には3日かかり、その間も家族は家の中で寝起きしていた。夜は、止まった家の窓から、前の土地の方角が見えたそうだ。

父親は曳家の間、家財を1つも外へ出さなかった。箪笥も食器棚も中に入れたまま、家ごと動かした。紀枝さんは、義父から、家は中身と一緒なら引っ越せると聞いたことがあった。結婚して間もない頃、食器棚を動かそうとしたときに言われたという。

この日、家財はすべてトラックの荷台へ移っていた。荷台の扉は閉めたままで、中では箪笥と食器棚が、毛布に包まれて縄で留めてあった。家の窓は、ちょうどその荷台の扉と向かい合う高さにあった。家は空のまま、荷台の前で止まっていた。孝義さんは、自分が中身を全部出したからだろうか、と言った。紀枝さんは答えなかった。

矢積さんが庭の反対側から戻ってきて、食器棚を1つだけ家へ戻してみるかと尋ねた。孝義さんは少し考えてから首を振った。戻せば、家はまたここに残るかもしれない。だが、来年には壊すことが決まっている。紀枝さんは、食器棚は新しい家の台所の隅へ置く、と朝と同じことを言った。

110番の後に来た警察官は、家の周りを歩いて写真を撮り、解体を頼んでいる業者と話をするよう夫婦に伝えた。業者が来たのは昼過ぎで、私はその前に帰った。家がその後どうなったかは、翌日に孝義さんから電話で聞いた。夕方まで同じ所に浮いていて、日が暮れる頃に地面へ下りたという。

紀枝さんは写真を封筒へ戻し、袋をもう一度肩に掛けた。袋を持ち替え、空いた手で夫の手首を握った。2人の前にあるのは家の裏側だった。風呂場の小さな窓と、壁に付いた換気口が見えた。紀枝さんは、つかんだ手を下ろした。孝義さんもその場に立ち、荷物を積んだ車の方へ向いた家を見ていた。