地方の洋服直しの店では、ズボンの裾上げを頼まれると、まず古い縫い目をほどく。内側へ折られていた布を開き、新しい丈に合わせて折り直してから、新しい糸で留める。抜いた古い糸は、そのまま捨てる。
北都県三ツ森町で洋服直しの店を営む高埜久枝さん(67歳)から、裾上げを中断したズボンを見てほしいと連絡があったのは、2022年12月12日のことだ。古い縫い目をほどくと、抜いた黒い糸が布へ戻っていったという。新しい糸を使う前だった。
持ち主は町内に住む佐田恒紀さん(79歳)で、冬にはいている灰色のズボンを2センチ短くしたいと頼んでいた。最近買った靴に合わせると、後ろの裾が地面に触れそうになる。12月10日、高埜さんは店で佐田さんにはいてもらい、折り上げる位置を決めた。
ズボンは2009年に、亡くなった妻と町の洋品店で買ったものだという。そのときの裾上げは店に頼まず、妻が家で縫った。佐田さんが高埜さんの店に服を持ち込んだのは、今回が初めてだった。
高埜さんは12日の朝、作業を始めた。左右の裾を縫い留めた糸をほどき、内側へ折られていた布を開いた。次は新しい丈に合わせて折り直すところだったが、作業台に置いた糸の端が起き上がった。右脚の布へ入り、表側へ出て、また内側へ潜っていったという。
高埜さんは針を持っていなかった。手を離して見ていると、ほどいた場所に短い縫い目ができた。少し進んで止まったので、そのまま作業台の端へよけ、佐田さんへ電話した。左の裾には、まだ縫い目がなかった。
「短くされるのが嫌で、元に戻しているみたいでした」
高埜さんはそう言ってから、まだ布を切っていないことを佐田さんに説明した。元の丈でよければ、直さず返すつもりだったという。
私は13日の午後、佐田さんと店で会った。高埜さんは本人に糸の話を伝え、私へ見せる了承を得ていた。佐田さんは、裾のほつれなら前にもあったが、糸が動くところを見たことはないと話した。買ってから13年、冬はほとんど毎日はいてきたズボンだという。
作業台には、両脚を伸ばしたズボンが置かれていた。裾の内側には古い折り目があり、その少し上に、新しい丈を決めた白い線が残っている。右の裾の横には、抜いた黒い糸が曲がったまま載っていた。糸の先に針は付いていない。
高埜さんは、店で使っている糸も見せてくれた。裾上げに使う黒糸は細いポリエステルで、つやがある。台の上の抜いた糸はそれより太く、つやのない木綿だった。店の棚に、同じ糸は置いていないという。
高埜さんが右脚を持ち上げようとしたとき、台の上の糸が動いた。端が布の織り目へ入り、少し離れた所から出てくる。先端に続いて、台に載っていた糸が引き込まれた。
高埜さんは手を引いた。糸は布の上に小さな輪を作り、その輪が細くなると、前と後ろの布が寄った。端はまた隣の場所へ入っていく。ズボンは台の上にあり、ミシンには掛かっていない。私たち3人が見ている前で、糸だけが布の表裏を通っていた。
動きが止まってから、高埜さんは右の裾を両手で開こうとした。途中までは開くが、脚の外側に当たる部分が離れない。布をよけると、前側と後ろ側をつないだ黒い糸が見えた。
普通の裾上げでは、脚を出す筒の形はそのままに、内側へ折った布の端を留める。いまできていた縫い目は、前と後ろを重ねて、脚を出す所を横切っていた。一針が2センチほどもある、粗く緩い縫い目だった。
「元の縫い目じゃないです」
高埜さんはズボンを台へ戻した。佐田さんが、もう丈を直さなくていいと言った。高埜さんも、いったん作業をやめると答えたが、左脚の脇でも黒い糸が持ち上がっていた。
佐田さんは台から一歩下がった。左の糸は開いている裾をまたぎ、前側の布から後ろ側へ抜けた。布が寄ると、粗い縫い目が横へ延びていく。高埜さんは鋏を手に取ったものの、刃を近づけずに置いた。
糸が止まったあと、右の裾は外側から半分ほど閉じていた。左も、指先ほどの隙間を残して閉じている。高埜さんはその隙間に指を入れず、上から写真を撮らせてくれた。

高埜さんが腰の部分を持ち、ズボンを佐田さんへ差し出した。佐田さんはボタンを外し、ファスナーを下げて腰の部分を広げた。ほかに縫い合わされた所がないか、内側をのぞいていた。
佐田さんが腰の左右を開いていると、腰の後ろ側にある縫い目から、黒い糸が抜けてきた。高埜さんがほどいていない所だった。糸の端は布の縁を離れ、向かいにある前側の布へ伸びた。
佐田さんはすぐに手を離した。ズボンが台へ落ち、腰の前後が重なった。糸はその2枚を通り抜けた。ボタンとファスナーを開けたまま、腰の前と後ろが粗い目で留められた。
佐田さんはその日、ズボンを店に預けて帰った。高埜さんは、縫われた所をほどかず、たたんで紙袋へ入れておくことにした。
12月16日、高埜さんから再び連絡があった。佐田さんの娘の由香さん(50歳)が、母親の残したノートを店へ持ってきたという。佐田さんの妻の澄子さんは、2017年2月に74歳で亡くなっている。
ノートは、澄子さんが家族の衣類の手入れを書き留めていたものだった。季節の替わり目ごとに、どの服を洗い、どこへしまったかが並んでいる。由香さんは、父親から裾の話を聞き、押し入れの箱から探し出した。
灰色のズボンの名前は、2009年の春から出てくる。4月の欄に「恒紀 灰ズボン しまう しつけ 裾・腰」とある。翌年からも毎年4月、同じ言葉が続く。4月の書き込みは2016年が最後だった。
秋の欄にも、同じズボンが出てくる。2016年11月には「恒紀 灰ズボン 出す しつけ抜く」とあった。たんすから出したとき、しつけ糸を抜いて、はけるようにしていたのだという。これが、ノートの最後の書き込みだった。
「しつけ」は、仕上げる前の布を仮に留めておく粗い縫い目を言う。澄子さんは、冬物のズボンをたんすへしまう前に、両脚の裾の前と後ろ、腰の前と後ろを、しつけ糸で粗く留めていた。折り目が崩れず、たたんだ形のまま秋まで置けるのだと、由香さんは母親から聞いていた。
高埜さんはノートを読んで、ズボンの縫い目をもう一度見た。
「しつけの目です。そう言われれば、私も母に習いました。春に冬物をしまうときの縫い方です」
一針が2センチもある緩い目は、裾上げの縫い方ではなかった。前と後ろを重ねて留めるのも、しまうときの留め方だった。
澄子さんが亡くなったのは2月で、2017年の春には、灰色のズボンをしまう人がいなかった。佐田さんはそれから、このズボンを1年中ハンガーに掛けたままにしていた。冬にはき、春が来てもたんすへは入れなかったという。
由香さんによると、佐田さんが新しい靴を買ったのは、来年の春から娘の家で一緒に暮らすことが決まったためだった。今の家は年明けに片付け始める。靴は、娘の家の近くの坂道を歩くために選んだものだった。
佐田さんはノートを見せられて、しばらく黙っていたという。それから、裾は直さなくていい、あのまま持って帰ると由香さんに言った。その晩、ズボンを掛けていたハンガーを、押し入れの横の柱から外したという。
16日の夕方、佐田さんが由香さんと店へ来た。高埜さんは紙袋からズボンを出し、縫われたままの裾と腰を、古い折り目に沿ってたたんだ。黒い糸は、たたむ間も動かなかった。佐田さんは包みを受け取り、引っ越しの荷物に入れると話した。足元は、以前から履いている黒い靴だった。



